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3. 問題児クラス

 学園の大ホールを抜け、夕方の斜陽の中を寮へ戻る道を歩いていたのは、ユイス・アステリアとトール・ラグナー、そしてミレーヌ・クワント。三人とも今日が正式な入学日だったが、王都の格差に戸惑わされるばかりで、まだ学園の雰囲気には慣れていない。


「本当にこの先うまくやっていけるのか?」


 トールが足を止め、気まずそうに声を落とす。逞しい体格と陽気な口調が彼の特徴だが、今は不安が勝っている様子だ。


「やるしかないさ。何を言われようと」


 ユイスは正面を睨むように返し、わずかに唇を引き結ぶ。


 ミレーヌは二人の後ろを、少し離れて歩いていた。華やかな貴族学生たちとはまるで違う、地味な制服姿。商家出身で、緊張しがちな性格もあって、周囲の視線におどおどしている。


「私たち、問題児クラス…いえ、育成クラスなんですよね。どういう扱いをされるんだろう…」


 彼女が弱々しく呟くと、トールが渋い顔のまま肩をすくめた。特例奨学生としての扱いも、庶民への風当たりも厳しい。先ほどから、貴族の取り巻きが横を通るたびに鼻で笑われるのを感じていた。


 三人が寮の入り口に到着し、錆びついた扉を開けたとき、建物の奥から同じように帰ってきたらしい学生の姿が見える。その一人は気だるそうな態度の少年で、こちらをちらと一瞥してから視線をそらす。


「……誰だ? あれ」


 トールが低く問うと、ミレーヌが申し訳なさそうに小声で返す。


「えっと、確かレオン・バナード…って名前だったはず。張り出しの名簿で見ました。育成クラス枠みたいです」


 レオンは下級貴族のような落ち着きを感じさせるが、その皮肉げな眼差しは一見して近寄り難い。声もかけないまま、彼は軽く片手を挙げて階段を上がっていった。トールはさすがに「あいさつくらいしろよ」とむっとするが、ユイスは無言のまま奥へ進む。


 部屋に荷物を置き、食堂で軽く休んだあと、三人はもう一度校舎へ向かった。クラス分けの掲示がされているらしい、という噂を小耳に挟んだからだ。あちこちの案内図を確かめながら、再び人混みの多い場所へ足を運ぶ。


 掲示板の前には人だかりができており、貴族生や一般クラスの生徒らが、あれこれと自分の名前を探している。


「ユイス・アステリア…やっぱり育成クラスのところにあるぞ」


 トールが指差すと、ミレーヌは「私も…ここに」と自分の名を見つけ、苦笑い。そこにはレオン・バナードという名前とともに、新たな女子生徒の名「エリアーヌ・マルヴィス」も載っていた。


「マルヴィス伯爵…に関係あるのかな? すごい貴族出身じゃないのか?」


 ちらほら聞こえる周囲の声に、トールが驚いた口調になる。伯爵家の分家とはいえ、やはり育成クラス落ちは相当厳しい扱いだろうと思う。


 そこへ、後ろからひょこりと現れたのが、華奢な体つきの少女。大きな荷物を抱えており、掲示板をじっと見上げている。


「エ…エリアーヌ・マルヴィス…?」


 ミレーヌが恐る恐る声をかけると、少女は振り向き、あわあわと視線を交錯させた。


「はい、わたし…それです。あの、ここのクラスに…なるみたい、です…」


 自信のなさそうな声や仕草が、見て取れる。伯爵分家という出自らしく、それなりに高貴な雰囲気もあるが、魔力があまり高くないらしいという噂を耳にしたことがある。トールが何か言おうとして言葉に詰まる。


「……問題児クラスって、言われてる、あそこですよね」


 エリアーヌの声音は不安と羞恥が入り混じっている。ミレーヌは「ええ、私たちもそうなんです」と苦笑し、トールも「まあ、気にすんなよ」と大きく手を振った。ユイスだけが黙ったまま、人々の視線を気にせず掲示板を眺め続ける。


「じゃ、教室…探そうぜ」


 トールが口火を切り、四人は校舎の古い棟へ歩を進めた。壁面の塗装がはがれかけ、廊下が薄暗く、豪華な本館とはまるで正反対。途中、張り紙に「育成クラス教室」とだけ書かれた紙切れを見つけ、その矢印に沿っていくと、鍵のかかった木の扉が見えてくる。


 扉を押すと、すでに中には一人の男性がいた。椅子の背に腰掛け、コーヒーをすすっている。肩に掛けた長いコートと、やる気なさそうな佇まいが目立つ。


「……誰?」


 トールが思わず口を開く。すると男は教壇に立ちもせず、椅子ごとこちらにちらりと視線を向ける。


「グレイサー…この育成クラスの担任だ。お前たちが今期の連中か」


 その態度はやけに素っ気なく、ユイスたちが入ってきても立ち上がろうとしない。


 エリアーヌが恐縮するように頭を下げる。ミレーヌは自己紹介もそこそこに、グレイサーのだらけた雰囲気に言葉を失っている。トールは「先生、あの…これから授業は…」と切り出しかけたが、グレイサーはあくびを噛み殺すように口を開いた。


「授業? 勝手に受けたいのを受けろ。オレがあれこれ指導するつもりはない。好きにやりゃいい」


 唐突な放任発言に、一同が思わず顔を見合わせる。エリアーヌが慌てて声を上げようとするが、グレイサーはそれを制すように手をひらひら振った。


「文句があるなら言え。ないなら解散だ。お前らのことはお前らで決めろ」


 まるで突き放すかのような口調に、空気が凍ったようになる。エリアーヌが小さく唇を震わせ、トールが納得いかない表情を浮かべ、ミレーヌは呆然としている。ユイスはそんな騒動に目もくれず、教室の床をじっと見下ろしていた。


 グレイサーは椅子から立ち上がると、コーヒーを飲み干し、ちらりと生徒たちを見回す。


「では、解散」


 それだけ告げて、彼はあっさりと教室を出ていった。廊下の奥に足音が消えていくまで、一言のフォローすらなし。残された育成クラスの四人は唖然として顔を見合わせる。


「…どうするんだよ、これ」


 トールが頭を掻きむしるようにぼやき、ミレーヌは声も出ない。エリアーヌは心許なげに目を伏せる。ユイスは放置された机の角に手を触れ、埃のついた木目をなぞっていた。


「面白い教師だな…」


 一瞬、そんな声が聞こえたかと思えば、教室の扉が軽く軋んで、誰かが小さく足を踏み入れる音がした。見ると、先ほど寮で見かけたレオンが立っている。彼は扉の縁に寄りかかり、冷めたような目で全員を見渡した。


「ふうん。ここがオレたちの教室か。想像以上に薄汚いな」


 鼻で笑うと、レオンは誰に対しても挨拶をしないまま窓際へ足を運んだ。


「先生、もう帰ったぞ」


 とトールが声をかけるが、レオンは「知ってる」と言わんばかりに肩をすくめるだけ。


 エリアーヌが戸惑いを隠せない表情でユイスのほうを見る。しかしユイスは相変わらず、校舎の壁のほうに視線を向けたままだ。何を考えているのか測りかねる雰囲気が漂い、その沈黙がさらに重い空気を作る。


 ◇◇◇


 グレイサーは薄暗い廊下を抜け、校舎の外へ出たところで空を見上げていた。あたりは夕闇に染まり始めている。


「結局、オレは何もしてやれんよ…」


 そう呟いて、彼はポケットから古びたメモ帳を出して開く。そこにはかつて自分がまとめようとした術式理論の片鱗が走り書きされていた。保守派に猛反対され、日の目を見ずに潰された内容だ。


(数式理論…あのユイスとかいうやつ、面白い発想を持ってる。)


 胸の内で苦い思いがわき起こる。彼はメモ帳を閉じ、夕暮れに馴染むような曖昧な笑みを浮かべた。


「問題児クラスか…せめて死なない程度に頑張れ」


 そしてグレイサーは気だるそうに背を向け、再び校内へ戻っていく。自分の運命が変えられなかった過去を、今でも引きずるように。


 ◇◇◇


 夕刻の薄明かりが差し込む教室で、育成クラスの面々はどう動くかもわからずに所在なく立ち尽くしていた。レオンは窓から外を見下ろし、エリアーヌはそっと息をつく。ミレーヌが意を決して口を開く。


「あ、あの…とりあえず、少し片付けをしませんか。埃とかすごいですし」


 細やかな提案にトールが頷き、エリアーヌも「あ、うん」とぎこちなく微笑む。何か少しでも自分たちでやれることから始めようという気持ちがそこにはあった。


 ユイスは教室の隅で、鞄に手をかけながら「好きにしろ」というグレイサーの言葉を反芻している。確かに自由に行動できると言えば聞こえはいいが、それは同時に責任すら放り投げられているのと同義だ。


 だが彼は思う。研究を進めるなら、誰かに指示されるより自分で環境を整えたほうが早い。魔力量が低い者が見下されない術を創り出すには、この不便なクラスだろうと構わない。それどころか、むしろこんな放置のほうが却ってやりやすいかもしれない、と。


「やることは決まってるから…俺は図書館へ行く」


 ユイスがそう口にして扉へ向かうと、ミレーヌは少し戸惑って「今から? もう夕方ですよ」と止めようとする。トールも「寮の門限、まだ確認してねえぞ」と声をかけるが、ユイスは無言のまま廊下へ出ていく。


 遠ざかる足音に、エリアーヌが肩をすぼめる。レオンは窓辺から顔をそむけ、何も言わないまま扉へ視線を移す。


 そうして古びた教室には、気まずそうな空気がまた取り残される。その中でトールが「仕方ねえ、俺らも明日の授業の場所くらい調べよう」と嘆息し、ミレーヌが小さく頷いた。エリアーヌは寂しげに鞄を抱え、レオンは面倒くさそうに立ち上がる。

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