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5. 王都の門へ

 夜明け前の冷え込んだ空気が、街道の砂塵と混ざりあって肌を刺す。宿場町の古びた石畳から馬車が軋む音を響かせながら出発した。先頭には、まだ薄暗い空を見上げているトール・ラグナーの姿がある。


「よし、行こうぜ。もう王都までそう遠くないはずだ!」

 そう言うトールの声は、いつも以上に弾んでいた。


 隣ではミレーヌが地図を広げ、ランタンの淡い灯りに目を凝らしながら確認している。

「ここから大きな川を渡れば、王都の城壁が見えてくるはず……たぶんもう半日もかからないと思う」


「半日か。なんかあっという間だったような、長かったような……」

 エリアーヌがどこかぼんやりとした表情で答える。彼女は昨夜ほとんど眠れなかったらしい。乗合馬車の中で、エリアーヌとトールは大声で張り切っていたが、実は緊張しすぎて落ち着かないのだろう。


 一方、レオンは馬車の後方に身体を預け、まだ目が半分閉じている。

「……王都に着いたら、ゆっくり図書館で寝かせてくれ。それだけが望みだ」

「図書館で寝るなんて、あなたらしいわね」

 リュディアが小さく微笑む。馬車の窓を開けると、ほの白い朝の光が差しこんだ。


 ◇◇◇


 暁が白んでいく頃、馬車の揺れもやや落ち着いてきた。車窓の外には、延々と続く田畑が途切れ、視界の先に大きな石造りの城壁がうっすらと見えはじめる。

 それはアルステール王国の中心、ラグレア王都の外郭だった。


 リュディアは窓辺に座り、静かに城壁を見つめる。

「……王都。久しぶりに見たけれど、やっぱり……いろんな思いがこみあげてくるわね」


 彼女は声を落とし、まぶたを伏せるようにして深く息を吐き出した。想い浮かべるのは、母の笑顔と伯爵家の執事たちの顔、そして保守派との衝突の数々――まだ何も片づいていないのだ。

 母エリスが数式魔法で救われたことで、伯爵家の古いしきたりは一部ぐらついている。それを巡って保守派との対立は確かに激化しているが、同時にリュディア自身の決意も増していた。


「リュディアさん、少し顔色が優れないかもしれないわ」

 ミレーヌが心配そうに声をかける。

「そ、そうかしら。大丈夫よ。これくらいで立ち止まれないもの」


「伯爵家としても、母上のためにも……ここで引いたら何も変わらないですよね」

 ユイスが穏やかに言葉を添えた。自分の膝上に開いているノートの端は、徹夜の作業でめくれあがっている。そのノートには、新しい数式の断片や、道中の観察メモが詰まっていた。


 リュディアはそれを横目に見て、小さく笑う。

「あなたこそ、もう少し眠ったら? 顔に疲れが出てるわよ」

 ユイスははっとし、軽く首を振ってノートを閉じる。

「……王都に着いたら、すぐに動かないといけない気がして。正直、落ち着かないんだ。保守派がいつ、どういう形で攻めてくるか分からないし」


 馬車がぐらりと揺れ、トールの声が頭上から響いた。

「おい、ユイスとリュディアだけしゃべってないで、俺たちも混ぜろっての! 王都はすごいお菓子とかあるのか? エリアーヌ、楽しみだよな!」


「えっ……あ、うん。こんな大きな都市なら、きっと美味しいお店もいっぱいあるはず。甘くて可愛いお菓子……ふふ、考えただけで頑張れるわ」

 エリアーヌは夢見がちな表情を浮かべ、若干空気を緩ませてくれる。そのやり取りに、ミレーヌも苦笑した。


「トール、エリアーヌ。とりあえず、到着したら宿を探すのが先でしょ。お菓子を漁るのはその後にして。私たち、予算管理しないと、すぐにお金が底をつくわよ」

「わ、分かった! おれは力仕事なら任せとけ! 荷物運びとかやるから、お前らは細かい計算頼む!」

 トールが大げさに胸を叩く。その勢いで、ほかの乗客が怪訝そうに見つめてきたが、問題児クラスのいつもの調子に戻っていく。


 やがて、馬車はさらに数里を進み、のどかな田園風景が大きな石造りの道に切り替わった。人や馬車の往来が激しくなり、商人らしき集団の列が道を塞いでいる。

 視線を上げると、正面にはそびえ立つ巨大な城壁と堅牢な門。そして整然と並ぶ兵士たちの姿が見える。


 ◇◇◇


 門の前には長蛇の列ができていた。出入りする商隊や旅人たちが、検問所で書類を見せるなり税を支払うなりしているようだ。外の世界から王都へ入る際、様々な手続きを踏むのが通常である。


 問題児クラスを乗せた馬車が近づくと、門兵の一人が片手を掲げて合図した。

「そこ、止まれ。入城目的を聞かせてもらおうか」


 真っ先にリュディアが馬車から足を降ろし、腰に提げていた身分証を取り出す。

「イヴァロール伯爵家のリュディア・イヴァロールです。同行者は学園の仲間たち。王都で開かれる会合に参加するため、入城を希望します」

 門兵は身分証に目を通すと、微妙に表情を引き締める。


「ほう……イヴァロール伯爵家の令嬢? 失礼ですが、念のため同行の方々も見せていただけますか」

 ユイス、レオン、トール、エリアーヌ、ミレーヌ。それぞれの名を告げ、必要な書類を手渡していく。

 門兵の眼差しは、リュディアには愛想よく、しかしユイスたち庶民出身組にはどこか冷たい色を残す。


「……たしかに学園所属。だが、保守派とは違った立場のように聞くが。……いや、まあいい。中へ通ってよし」

 門兵が書類を返しながら小さく鼻を鳴らす。トールが思わず不快げな声を上げかけたが、リュディアがそっと視線を送って制止した。


「問題ありません。通らせていただきますわ」

 リュディアは穏やかに微笑んで、一行を促した。門兵は「イヴァロール伯爵家……」と呟きながら頷き、軍靴の音を響かせて道を空ける。


 ◇◇◇


 石壁を抜けた瞬間、視界が一変する。

 高い建物が連なる大通り、露店がずらりと並び、早朝にもかかわらず賑わう人波が広がっていた。行き交う商人が舶来の荷を並べ、大声で客寄せをしている。装飾の豪華な貴族や役人らしき人々も、護衛を従えて通りを行き来している。


「うわ、こりゃすごいなあ……」

 トールの素直な感想に、エリアーヌも目を輝かせる。

「これが王都か……全然、宿場町とは違う騒がしさ。人だらけね。でも不思議と活気があって……ちょっとワクワクするかも」


 ミレーヌは落ち着いた声で馬車から降り、通りの隅に広げた王都の地図を再度確認する。

「最初に滞在する宿をどうするか。あと会議の会場への下見は必須だし、もし保守派が妨害を仕掛けてきたら……」

 彼女の言葉の端々に緊張感が漂う。たしかに、王都が見せる華やかさだけに気を取られている場合ではない。


 一行のやり取りを後ろから眺めていたユイスは、そっと王城の方角に目を凝らす。高くそびえる王城の塔は、どこか冷ややかな光を反射しているようだ。

「……ここに、保守派も教会もみんな集まってるんだよな。改革派の王子も、きっと何か仕掛けてくる」


 リュディアもそちらを見上げ、淡い息を吐いた。

「たぶんこの王都に、私たちが求める未来も、激しい対立も、全部詰まってるわ。伯爵家としての役目は重いし、母のために引けない。……それに、あなたたちと一緒なら、どうにか乗り越えられるって、信じてる」


 エリアーヌが小走りで近づき、手を合わせる。

「とりあえず、困ったときはお菓子で落ち着きましょう! ほら、向こうにパティスリーっぽい看板があるわ!」

 そんな軽口にみんな笑顔を見せる。強がりでも何でも、仲間と一緒に乗り越えようという雰囲気が、そこにはあった。


 ◇◇◇


「さあ、行くぞ!」

 トールが力強く声を張り上げたのを合図に、馬車が王都の大通りを進み始めた。


 レオンは町並みの景観をちらりと眺めながら、小声で呟く。

「やれやれ……この喧騒の中で、どれだけ厄介な資料と巡り合うのか。すぐに図書館に行きたいところだが、そうもいかないだろうな」


「私がスケジュールをざっとまとめるわ。宿は予算と距離を考慮して……」

 ミレーヌの仕事熱心な響きに、ユイスとエリアーヌも「助かるよ」「ほんと頼りにしてるわ」と素直に感謝を述べる。


 リュディアは一瞬だけ、ギュッと拳を握った。

(ここで負けるわけにはいかない――母のことも、数式魔法の正しさも、ぜったいに証明する)


 城壁の外とは打って変わり、王都の石畳はきらびやかで、道行く人々の目も一様ではない。庶民的な好奇の視線、貴族的な蔑み、商人のやや利己的な視線。無数の思惑が交錯する街。この地がアルステール王国の心臓部であり、改革か保守か、その運命を左右する舞台となる。


 青白い朝日が街道に射しこみ、馬車の車輪を鮮やかに照らし出す。

 問題児クラスの馬車はゆっくりと、王城へと続く大通りを駆けていった。彼らの足取りの先には、まだ見ぬ波乱が待ち受けている――そう予感させるほどに王都ラグレアの空気は熱を帯びていた。

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