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2. 陰謀の気配

 ファルネーゼ侯爵の館は王都の貴族街でもひときわ格式を誇る。その夜、広い応接間にはわずかなランプの光が落とされ、壁際には従僕が控えたまま動かない。円卓の中央には、新たに届いた招集状が広げられていた。


「数式魔法の会議など開くとは、レオナート王子も余計なことをなさる」

 淡々とした声が、帳の奥から響く。長椅子に深く身を沈めるファルネーゼ侯爵は、痩せぎすな体躯に対して堂々とした気配を放ち、凍てついた視線を招集状に注いでいる。


 デイムローズ子爵が、すぐ隣で鼻を鳴らす。

「王子が改革派だなどと騒ぐのは勝手ですが、学園でも問題児どもが気炎を上げているとか。放っておくと評判を広められかねません」


「学園の小僧どもを対処するのはそなたに任せる。理事職の威光を使え。面倒な手続きや審査を増やしてやれば、一時は足止めできよう」

 侯爵はまぶたを伏せながら低く言う。子爵は膝を打つようにうなずいた。


「もちろんです。彼らが王都へ出る前に、嫌というほど嫌がらせを仕込んでおきましょう。書類の不備でも何でも使えますからね。下手に会議に出られて、数式魔法がもてはやされるのは御免被りたい」


 部屋の奥、壁際に控えていたヴェルト・グラメルが、ゆるりと一礼して口を開く。

「伯爵家の母を救っただなどと喧伝されていますが、たかが平民出身の女です。数式治療とやらで“奇跡”など大げさに広めるほうが愚かでしょう。私は学会を通じて、数式魔法の危険性を公にするつもりです。彼らが真面目な医療の場に立てないよう封じ込めるのも、一つの手段かと」


 ファルネーゼ侯爵はゆっくりと椅子から身を乗り出し、円卓上の紙片を軽く指先でたたいた。

「伯爵家が保守派を裏切ったのは誤算だった。あの女を『平民の血による病』と診断した貴公の見立てが覆され、我々は面目を失ったのだ。もっとも、今からでも巻き返しはできよう。イヴァロール伯爵家ごと貶める手を、われらは幾らでも持っている」


 端正な顔立ちのまま、侯爵は冷ややかに笑みを浮かべる。

「王子の会議に参加するなら、手酷い打撃を与えてやる。教会上層にも声をかける段取りだ。数式魔法こそ神への冒涜、と認定していただくのもそう難しくはあるまい」


 ◇◇◇


 教会の一角。荘厳な石造りの廊下を抜けた先の小部屋では、侯爵の使者らしき男が、大司教の代理神官に向かって深々と頭を下げていた。

「新手の魔術など、血統を否定する危険な理論です。どうか教会としても厳しく取り締まっていただきたい」

 使者の声音には丁重な響きがあるが、その奥に見え隠れするのは尖った敵意だった。代理神官はローブの裾を揺らしながら、奥の書棚へ視線をやる。


「大司教も、近頃の数式魔法という噂は把握しておられる。異端審問を行うかどうかは慎重に見極めねばならんが……そのうち、正式な動きがあっても不思議ではないな」

 そう呟く神官の表情は読めず、ただくぐもった声だけが薄い礼拝堂に響く。


「では、我々としては期待してよろしいのですね?」

 使者が低く問いかけると、神官は力なく微笑しただけで何も答えない。だが互いの意図は明白だった。教会がもし“異端”だと定めれば、王子や数式魔法にとって致命的な障害となる——。使者は一礼して去ると、暗い石床に再び静寂が戻る。


「魔法は神から賜った血統の証……。なるほど、数式魔法など異端に違いない」

 代理神官が小さくつぶやく。その言葉が廊下の壁に反響するころには、外の夜風がかすかにステンドグラスを揺らしていた。


 ◇◇◇


 王都の夕暮れ。学園理事会館の一室で、デイムローズ子爵は部下の保守派教師たちを前に苛立たしげに目を細める。

「問題児クラスの連中が近々、王子の会議へ出る算段を組んでいるそうだ。馬鹿馬鹿しいが、あれ以上評判を高められたら困る」

 教師の一人が神経質そうに眉間にしわを寄せ、「しかし彼らはレオナート王子の後ろ盾もあるとか……。下手に邪魔をすれば、かえって学園全体が王家の逆鱗に触れぬでしょうか」とおずおず口を開く。


「情けない。何のための理事と教員だ。学内ルールを駆使すれば、いくらでも足止めはできる。試験の再審査や外出許可の発行が遅れれば、奴らの出発を先延ばしにできよう」

 子爵の口調は静かだが、目には焦燥が滲む。保守派が気にかけるのは、王子が開く数式魔法の会議が世間の注目を集めることだ。もし問題児クラスが目覚ましい成果を披露すれば、保守派の威光に大きなダメージを与えかねない。


「伯爵家には、ファルネーゼ侯爵の方で圧力をかけるそうだ。学園側も全面協力し、問題児どもに手出しさせぬよう取り計らえ。それができれば、いずれ我が方も評価してくれる」


 教師たちがぞろぞろと頭を下げ、部屋を後にすると、子爵は窓辺へゆっくり歩み寄った。外では夕陽が王都の尖塔を照らし出している。子爵は深く息をつき、握った拳をもう片手で押さえ込むようにして呟いた。

「あれほど下賤な者たちに好き勝手させてなるものか……。学園理事という座は、こういうときこそ使い道があるのだ」


 薄暗い書斎には、分厚い書類の束と王立学園の印章入りのファイルが並べられている。子爵はその一つを開き、「問題児クラス」の文字列を眺めて不快そうに唇を歪める。


 ◇◇◇


 夜の帳が降りたファルネーゼ侯爵邸では、再び当主が円卓を睨んでいた。従僕が調えた文書には、教会や他の貴族家との連絡事項が羅列されている。侯爵は一通り目を通すと、乾いた笑みをこぼした。


「教会への働きかけも順調のようだ。異端審問となれば、王子と数式魔法の威勢は一気に潰える。学園はデイムローズ子爵に任せておけばいい」

 冷ややかな声に応じて、側近がそっと近寄り、巻紙をまとめて机上に置く。

「伯爵家への介入も着々かと。グラメル医師も動いております。彼が“数式治療の危険性”を訴えれば、イヴァロール家の母を救ったなどという話も一時の妄言にできます」


 侯爵は少しだけまぶたを閉じ、面倒くさそうに手を振ってみせる。

「どんな手段であれ、王都での会議を盛り上げなどさせぬ。ユイス・アステリアという小僧も、リュディア・イヴァロールも、まとめて駆逐する。王子が改革を語るなど笑止だ……必ず潰す」


 部屋の空気がひんやりと湿り、誰も言葉を継がない。側近たちは頭を下げたまま、侯爵の冷徹な表情をうかがっていた。やがて侯爵が薄く笑みを浮かべる。

「わが保守派を侮った報いを、思い知らせてやるだけだ」


 ランプの灯が揺れ、壁に映る侯爵の影が伸びては縮んだ。続く沈黙の中で、外の闇がますます深まっていく。ファルネーゼ侯爵邸は、夜毎に新たな策を練りながら、静かに爪を研いでいるようだった。やがてどす黒い企みが形を成すのは、そう遠い未来ではない——その予感を孕んだまま、館は一層の闇に沈んでいく。

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