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翌朝、のんびり起床し身なりを整え荷物をまとめて宿を出た。
あの旅人はまだいるのだろうかとつい隣の宿を見てしまったが、私はだいぶゆっくりと起床したので恐らくすでに出ているに違いない。自嘲しながら歩を進めていると、後方から丁寧にお礼を述べる大きな声が聞こえてきて思わず振り返ってしまった。
昨日追い出されていた時に見た様子と違い、かなり身綺麗になってはいたが、ぼさぼさに伸びた髪に埋もれた顔はそのままであり、例の旅人であるとすぐにわかった。
何度も頭を下げる旅人に、女主人は困ったような笑顔でこちらこそご利用ありがとうございましたと言って頭を下げていた。そしてようやく旅人が歩き出し、私と同じ方向に向かってきたのである。
「おはようございます!あなたもこちら方面へ向かわれるのですね?もしよろしければ途中までご一緒しませんか?」
声を掛けた私に驚き立ち止まってしまったが、こちらを確認するかのように見て数秒、風貌にはそぐわないかなり高めな声色でもちろんですと返ってきた。そして近づいてきた旅人が目の前に来て、その顔を初めて真正面からきちんと見て衝撃を受けたのである。なんとその旅人は女性だったのだ。昨日はとにかく全体的にとても汚れていて当然顔も同様であったため、まさかその汚れの下にこのような可愛らしい顔が隠れているとは思いもよらなかった。
「おはようございます!お声かけありがとうございます。正直一人歩きに飽きてきたところだったのでとてもうれしいです」
私の驚愕の表情に気づいているのかそうではないのか、彼女はただ楽し気な顔をして微笑んでいた。
「‥‥‥えっと、はじめまして。私はスバルといいます。あなたの名前を伺ってもよろしいですか?」
「はい!私はリラといいます。スバルさんはどちらかを目指されている旅の方ですか?」
「リラさんは女性ですよね?こちらから声を掛けておいてなんですが、私と連れ立って歩いても大丈夫なんですか?」
「?はい。全然大丈夫です。でもあの、私は次の町までは街道を進みますが、それ以降は街道を外れて歩きますので次の町までの二人歩きになるかと思います」
どうも話が嚙み合っていない気もするが、とりあえずは歩きながら話そうと言って彼女を促し一緒に歩き出した。私はまず彼女が一人で旅をしていることに対していろいろ危険ではないのかということを尋ねた。すると彼女もようやく思い至ったかのように私を見て先ほどの問も含め改めて答えてくれた。
彼女が言うには私は非常に勘が鋭いということで、危険な状況や相手なども読み取れるので、身なりさえ女性というのを表に出しさえしなければ問題ないのだと胸を張った。その勘とやらがどこまで正常に働いているのかは大変疑問ではあるが、これだけは聞いておこうと思ったことを口にした。
「実はリラさんが昨日宿から追い出されているのを見かけたのですが、まさかいつもあのような対応をされているわけではないですよね?」
「まあ⁉あの現場を見られていたのですね?でもいつもではありませんよ。あのお世話になった宿主さんのような親切な方もいらっしゃいますし。あの姿を見ていたならお判りでしょうが、私は野宿好きでして、あまり宿に泊まることはないのです。ですがたまには綺麗にしてゆっくりと休みたいと思って。それで今回は偶々前の町で会った旅人から次の宿場町で泊まるならよかったことろがあるから紹介すると言われたところに行ったんです。で、結果は追い出されてしまいましたけど」
彼女はそう言ってクスクスとまったく悲壮感の欠片もなく笑った。
私は元々それほど女性と接する機会はなかったが、彼女のようなタイプは初めてで困惑していた。だがその反面、不思議と一緒にいて心地よいと感じる何かもあって、私たちはそのまましゃべり続けながら街道を進んでいった。
かなりの距離があったはずが、気づけば町が目の前に迫っていて驚いた。
そして私は町に到着したらどこかの店でゆっくり食事でもしようと彼女を誘ったが、暗くなる前に山に入りたいからと断られてしまう。
「えっ⁉今から山に?いくらなんでもそれは無謀なのでは?せめて町の宿に一泊して明日の早朝からということにしたらいいのでは?」
「ここは山の麓よ。それにこの山に入るのは二度目でこれから向かう先も決まっているの。だから大丈夫」
「それなら俺も一緒に行く!リラ一人での山中泊はやっぱり心配だし、元々放浪の旅なんだ。街道ではない野道や山道を行くほうが楽しめるだろう?」
私は必死に説得を試みたが、結局彼女の意思が変わることはなかった。
町に到着後、彼女は私の手に無色透明のキラキラと輝く小さな石を握らせた。そしてこれは自分の一番のお気に入りで大切にしているものだからと言い、次に会う時まで預かっていてほしいと微笑んだ。
私はその小さな石を握りしめたまま、彼女が見えなくなるまでずっとその後ろ姿を見つめていた。そしてしばらく呆然と山の方を見ていた私に後方から声がかかり、振り向けば同じ旅人らしき男性が立っていた。
「あなたも旅の方ですよね?私は先ほどここに到着したばかりなのですが、もしこの辺りに詳しいようでしたら何かおいしいものや珍味などを食べられる店を紹介していただければと思いまして‥‥」
「実は私も到着したばかりでここも初めてなんです。ですので申し訳ないが‥‥」
「そうだったのですね?いや、こちらこそ失礼いたしました。ではもしよろしければ一緒に何かうまいものでもいかがですか?」
突然見知らぬ旅人から誘われ戸惑ったが、出会いを大切にしていると言う彼女の言葉が思い出され承諾した。そして二人でいろいろな店を覗きながら歩いて回り、とある一軒の店に入った。とてもおいしそうな匂いに釣られて入ったが、食事をしている人々の顔がここで正解だと物語っていた。
私たちはそれぞれが注文したものを食べ、大いに満足した後ワインを飲みながら話をした。彼も商人の家系の生まれであるが兄弟も多く、特に自身が関わらずとも問題がないという理由から自由に旅することが許されているのだという。
私とは反対方向から来て、これから中央へ戻るという彼は、これまで旅で巡ってきた印象深い場所やその地で食べた珍味等、たくさんの興味深い話を聞かせてくれた。中でも私が一番興味を持ったのは、帝国の端にあるという小さな村のことであった。ある日何の気なしに街道から外れて野道を歩いていた際、なんとなく気になった方へと歩を進めていて偶然見つけた村なのだといい、そこに住む村人たち全員がとても幸せそうで、村のあるその場所だけがこの世から切り離された異世界のようにも映ったのだとそう彼は口にしたのだ。
小さな村といえば、私にとっても決して忘れられない最高のあの村がある。そして今から思えば確かに異世界感はあったかもしれない。だがそれはきっと中央とは正反対の静かで質素な暮らしが私たちにとっては珍しく映るからであり、異世界というほどではないだろう。そう返した私に彼は、口ではうまく説明できないのでとにかく他との違いを表現したくて異世界という言葉を使ったのだと言った。それから私はどうしてもその違いをこの目で確かめたいと思い、彼の記憶にあるそこから一番近いと思われる町の場所を教えてもらうことができたのだ。
その後町の宿に宿泊し、翌朝早くから次の町を目指して街道を進んでいった。