母国と二極化
帰国するのはおよそ十年ぶりだ。
私は現在、確かに母国の空港に降り立った。
であるのにまるで隣国にいるかのように錯覚してしまいそうになるのだ。
聞こえてくる人々の騒めきも、アナウンスも案内表示も母国語ではなく、隣国語であるからだ。いや、正確に言えば我慢強く待ってさえいれば、アナウンスや表示も母国語に切り替わる。だが、それでも世界共通語とされているべいくに語がその大半を占めているというのもまた事実だ。
そんな不快な場所から離れバスに乗り、別の地域へと移動し予約していたホテルにチェックインした。ここは航空チケットの予約の際に、かなり調べて機械のみの対応に切り替わっていない昨今では非常に稀となったきちんと人間の手により対応してもらえるホテルである。
航空チケットもホテルも価格が嘘のように高騰しており、一瞬帰国を躊躇ってしまうほどのレベルであったが、それよりも二極化が進み、そろそろ自身の最終住処について決断しなければならないことを肌で感じていたためそこは「えいっ!」と思い切って支払いを済ませた。
言い忘れたが、私は既婚ですでに大人の子供がいて、孫が何人かいてもおかしくはない年齢の女性である。そして一度も白髪染めをしたことがない白と黒が入り混じった髪のまま、十年前から完全すっぴんを貫き生活しており、もちろん今回帰国するからといって髪染めも化粧もしていない。
さて、そんな私がまず最初に対面で会話をした母国人は空港のバスチケット売り場の担当者であった。彼女は言葉だけは丁寧であったが表情も対応もびっくりするほど雑で、覚えている前回の帰国時とはまったく違っていて驚いた。
彼女の心を読んだわけではないが、ものすごく対応するのが嫌だったらしい。
そんなエネルギーだけは伝わってきた。
初っ端からこのような印象であったため、ホテルでの対応も同じかと少し落胆していたが、実際にはとても普通で安心した。特に感じが良かったわけではないが、ちゃんとマニュアル規定通りであろう対応はしてくれたからという意味である。
それから外に出てコンビニに向かい、飲み物や菓子類を少し購入した。
店員は隣国人で隣についている指導員の母国人がサポートしていたが、一生懸命というより隣国語ではない母国語で対応しなければならないという面倒臭さがひしひしと伝わってきた。
ホテルまでの往復の間にすれ違ったのは、隣国語を話している隣国人や肌の色の違う外国人、神教色の強い装いをしている外国人で、まあ短い道中ではあったものの、母国人とはすれ違わなかったという十年前には経験することのなかった現実を目の当たりにし驚愕していた。
外国住みの私が帰国して感じる違和感を、ずっと住んでいる母国人たちが感じていないはずがない。でもなぜかその違和感の中にいて、十年前と変わらず生活している母国人たちの姿に悔しさに似た感情が押し寄せてきて涙が出そうになってしまった。
本当にこんな状態になっていても何かがおかしいと、自分の知らないところで何が起こっているのだろうと疑うこともない母国人の多さにはため息しか出ない。
翌日、予約していたホテル近くのレンタカーを取りに行くと、まずはパスポートの提示とそのコピーの了承を求められた。そしてクレジットカードでの支払いのみだと言われ驚き、そんな指定はなかったと返すと仕方がないとばかりに今回に限り現金での支払いを認めると言ってなぜか自分が悪さをしてそれが許されたかのような状況になっていた。
まあこれもグローバル化の一端なのであろう。
十年前にはそんな上から目線な店舗に出会うことなどなかった。
でも実際会ってしまったということは私がまだそれを受け入れているからということに他ならない。軽いエネルギー次元へと移行している最中でも、こうしてあっという間に重いエネルギー次元に引き戻ってしまうのだ。やはりこの世に誕生して以降、半世紀以上に渡りフォーカスさせられていた次元に戻ることがいかに簡単でほぼ無意識と言っても過言ではないということを再認識させられたわけだが、まあさすがに久しぶりの母国への帰国ともなれば、こうなってしまうであろうことはある程度予測できていた。
それからなんとか借りることができた車で母国にいる家族たちを迎えに行き、数日間一緒に墓参りや買い物、食事等に行ってきた。さて、その血のつながった私の家族はというと、十年前とは違う私の外見について何か言いたそうではあったものの、結局滞在最終日まで何も言うことはなかった。
面白かったのは、血のつながりはない家族たちの反応である。
十年ぶりに顔を合わせたわけであるが、顔にはっきりとショックが表れていた。
これもまた、心を読んだわけでもなく、彼らが何かを口にしたわけでもないが、私の外見に対する驚きのエネルギーをはっきり感じとったのだ。白髪の多さに加え、完全なノーメイクである。まあ今時、田舎の腰の曲がったおばあさんでも口紅くらいはひいているかもしれない。それが本当に何もしていない完全オールナチュラル状態の私である。驚くのも無理はない。
まあ十年前の帰国の際はまだ白髪もほとんどなく、一般的な化粧もしていたので余計にその差にショックを受けてしまったのだろう。実際、血のつながった家族も本当はその変わりようにショックを受けていたはずで、なぜ染めないのか、化粧をしないのかと問いたかったに違いないのだ。
事実、私も確かに十年前までは自分のためというより自分を見る周りの人たちへの配慮として外見に気を遣うことがマナーであると信じていた。
個人としてそれが本心で好きなことであるならともかく、私のように周囲の目を気にした筋違いな羞恥心からくる少しでも見栄えを良くしたいが為のそれは単なる彼らの美意識により近づける外見にするべきだという他人軸の思考でしかなく、気づけば馬鹿らしくなってすべてを手放していた。
家族は私に対する家族としての愛と、傷つけたくはないというその本人の性質であるやさしさからそういった問いかけや染めるべき、化粧をした方が良いというアドバイスをさせなかったのだと思う。
そしてこのような場面に置いても人々の意見は大体二極化する。
家族だからこそ、本当のことを伝え少しでも見栄えを良くさせるべき。
家族とはいえ、他人は他人なのだからそれでよい。どうしようと個人の自由だ。
このような感じで周囲の目を気にすることが常識となっている他人を干渉する支配者傾向にある思考の人間と、真逆の周囲の目などどうでもよい、個人の自由でかまわないと他人に干渉しない尊重傾向にある思考の人間というようにはっきり分かれるのだ。
今回の帰国では本当にわかりやすく自身の外見で相手の対応が二極化するのを感じた。飛行機内でさえも隣に座っていた女性二人組のサンライズ王国人がこちらを見ながらわざと耳元でコソコソ悪口を言っていたし、買い物でも支払いの際に目も合わせず頭を下げるだけで言葉を発しないような人もいた。
だが逆にしっかりと目を合わせながらとても親切丁寧に接してくれた人たちもいて、仕事だからと割りきり誰にでもマニュアル通りのきちんとした対応をする、またはその時の機嫌により対応が変わるような人が多かった二極化以前のサンライズ王国ではもうなくなっていたのだ。
個人の素の性格、正直な思考がそのまま出てきてしまう。
完全な二極化。わかりやすい一例である。
だが前者は特に、あくまでその本人を思ってのことであり、いわゆる思いやりからの行動であって決して干渉や支配コントロールの思考ではないと反論する人がほとんどであろう。
これに関してはそういった思考で相手を干渉しているパターンも多い。
例えば一番多いと言えるかもしれない親子関係。
親として、親なのだから当然という前提の元、子に対してこうしなさい、あのようにしなさいと告げる。子が親の言うことに従うのは当たり前で、これを誰もがその子を思ってのことであり、それが子に対しての愛であるのだと胸を張る。
だがそれは単なる親という立場を利用した子に対する強制でしかなく、その子の意思を無視した洗脳という教育、または余計なお世話でしかないのだ。
本当に子という個の意識を思ってのことであるならば、まずはどうしたいのか、どう思うのかと問い、子の意思を確認し、その上で親である自分の考えも示して一緒に考えながらどうするのが本人が一番望む結果になるのかを考えることで決して子の意思を無視した言動ということにはならず、真の相手を思いやる行動ということになるだろう。
相手が誰であろうとこちらの意見や都合を押し付ける時点で思いやりも減ったくりもないのだ。
そして前者は現在のアクアの表で形成されているピラミッド世界である支配コントロール社会に沿った生き方をしているということになり、後者はその三次元から離れ、すでに移行済のアクアの意識が向いている五次元へと移行し、真に自由に楽しく生きようとしているということになる。
さらに街を歩いていても場所によってはその雰囲気にかなり落差があり、十年前よりもそれがさらにはっきりとしていた。昔から人の出入りが激しく、その分ゴミが散らかり汚れが目立っていたような場所では相変わらず重く澱んだエネルギーで満たされていたが、こういった視覚や嗅覚でわかりやすくなっている場所以外でも重く澱んだエネルギーで満たされている場所や地域が増えていた。
車を運転していてもそういった場所にはすぐに気が付くことができた。
だがレンタカーを返して以降、電車やバスといった公共機関を利用しての移動の際にはよりそういった場所を認識することが容易であった。
平日のまるでベルトコンベアーのような出勤途中の人々からは一切の軽いエネルギーが消え、どんよりとした重いエネルギーしか感じられず、何かの切欠で点火され爆発してしまいそうな人があちらこちらで散見された。
実際、とある駅構内で斜め前を歩いていた女性が携帯の操作のためか少し歩みを緩めたのだが、それが邪魔になってイラついたそのすぐ後ろを歩いていた五十代くらいの男性がものすごい怒声をあげ、その彼女に対して脅すような言葉を浴びせながら改札を抜けていったのを見てしまった。
その時振り向いた彼女の表情は恐怖というよりただとても驚いているように見えたが、男性のあの暴力、攻撃エネルギーは相当なもので確実に彼女にダメージを与えていた。直後、顔色を悪くさせた彼女は私が声を掛けるよりも早く足早にその場を去っていってしまった。
このようにいつ爆発してもおかしくはない爆弾を抱え歩いている人だらけなのである。
ずっと以前より特に駅構内ではこのような状況を目にすることはあった。
だが今回の帰国で爆弾を抱えている人の数の異常な多さには驚かされた。
よく人はストレス解消などと言うが、どんな方法を用いたところで解消などされるわけがない。その原因となっている元凶から離れない限りは単に一時しのぎの痛み止めのような効果にしかないからである。
しかもほとんどの人がそれでよい、それしかないと満足してしまっていることもかなりの問題である。現在の社会こそ常識で当たり前なのであり、その中でうまく生きていくべきなのだと何もおかしなことなどないと疑問さえ感じることができない状態になってしまっているのだからもはや何を言っても無駄ということになり、本当になんて悲しく恐ろしいことなのだと嘆かざるを得ない。
そしてサンライズ王国人はまじめで勤勉と謳われることが多く、それがまるで賛辞のように捉えられているところにも洗脳の深さが垣間見れるというものだ。本来、個人で何をしようがしまいが自由であり、誰にもそれを強制させられることも禁止されることもない。
どの国もそうであるが私たちは王族をはじめ、王国議員や官僚といったお偉いさんと言われる人々や大企業等のトップ、莫大な資金力を誇るいわゆる上流階級に属する家柄のものたちの決めた様々なルールに生まれた瞬間から従わされ続けている。そしてその支配構造から抜けることに対しての罪悪感や孤立の恐怖心を煽るため、働かざる者食うべからずなどといったまるで働いて稼がなければ生きる資格もないというような思考が正当で当然であり、ご丁寧に私たちが国民という名の奴隷であるという証明のごとく、三大義務(教育、勤労、納税)まで憲法で課せられている。
とにもかくにも自身の家族でさえ私の思いが届くことがないのだから、他人といわれるそれ以外の人々に届くのはもはや不可能に等しい。
でもどうか苦しんで欲しくない、幸せでいて欲しいと願う気持ちに変わりはない。だから愛していると心からの言葉だけはしっかり伝え続けようと思う。
私はただ、覚悟した私の決めた道へと歩み続けるだけ。
日ごと確実に二極化は進んでいる。
これまで通り様々な心配や不安を抱え、恐怖や悲しみ、競争心や怒りのエネルギー渦巻くストレスからは決して開放されないパラレル、現実世界をそのまま進んで行くもの。
そこから覚悟して離れ、アクアが移行した五次元へと移行していくもの。
サンライズ王国ではほとんどの人が三次元を選択し進んでいた。
そして私は愛する故郷を後にし、そこでいまを生き、五次元へと移行中だ。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




