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私は長から了承を得て仕事を辞め、数日間はまさに怠惰という表現がぴったりな日々を過ごしていた。夜は眠くなったら寝て、翌日は自然に目が覚めて、ゴロゴロした後のんびり起きる。そして飲食も時間には一切こだわらず、空腹を感じた時に食べたいものを好きなだけ食べ、のどが渇けば好きに飲む。思い立って趣味である木彫りをすることもあれば、川魚を釣りに行ったり散歩に出ることもある。疲れたら休み、眠くなればたとえまだ日が高くとも横になって眠る。
傍から見ればなんてつまらない時間を過ごしているのだと思われるかもしれないが、私にとってはこの上なく幸福な時間であったのだ。だがこのような怠惰な生活を始めてから数日が経ち、自分でも面白いと感じたのだが、何かがしたくなってきてしまうのだ。私の場合はまず、母の手伝いがしたくなった。家事自体は得意ではないが、嫌いなわけではないのでやる気を出して農作業や食事の用意などを進んで行うようになった。
母は元々農作業も家事も好きでやっていたと言い、それを私が一緒にやることで普段にも増して会話をすることができ、それが楽しくて作業もより捗るようになったと感じるとうれしそうに心からの笑みを浮かべた。母のその笑顔を見た瞬間、不覚にも涙が溢れてきそうになって慌てた。当然悲しい涙ではなくうれしい涙であったのだが涙を流すこと自体、赤子の時以来ではないだろうかと考えた。子供の頃は母の笑顔を見るのが好きで、母の笑顔が見られた時には本当にうれしくなったものだった。大怪我からの病気により亡くなってしまった生前の父と、母を笑わせるために面白い話をたくさんしていた懐かしい記憶まで蘇ってきた。この時改めて自身が求める幸せがどういったものなのかということがわかったような気がした。
アッシュはこういったうれしいや楽しい、自己肯定感や感謝から湧くエネルギーが不足してくるとエナジーヴァンパイアになるのだと言っていた。逆に常にうれしいや楽しい、自己肯定感や感謝のエネルギーで満たされている人は余裕があるので無自覚に自らそのエネルギーを与え、癒すことさえあるのだという。確かに私の周りにいる元気でいつも笑顔の絶えない人たちが、言い争いや険悪な空気が漂う場に来てくれるだけでほっとして、その場も不思議と鎮静化するという現象が起こっていた。
私とて、できればエナジーヴァンパイアなどにはなりたくはないが、どうしたってこのような世界で愚痴の一つや二つ、誰にだって出てきてしまうのが当たり前ではないかとアッシュに詰め寄ったことも実はあった。さすがにこれには私が納得できるような返しはないだろうと思ったが、この時のアッシュは思いのほか、私を包み込むかのようなやさしいエネルギーで私の言う通りだと肯定したのだ。そして感情はとても大事であること、どんな感情も俯瞰して受け入れること、そして抑え込んで自分の中に押し込めてしまわないようにすることも大切なのだと語った。だがアッシュは私たちの怒りや不満などの重いエネルギーはピラミッド世界の頂点に君臨している彼らが非常に好んでおり、そのエネルギーを奪われることで私たちのエネルギーが不足し、今度は自身が他の人間からエネルギーを奪うヴァンパイアになるという循環が起こっていると言っていたのだ。だからなんと矛盾したことを言うのだと憤慨しそうになったが、よくよく思い返せばアッシュは最初から重いエネルギーに対する善悪や、そういった感情を持ってはいけないというような話は一切していなかったのだ。そして誰かにその重いエネルギーを向けてしまうと相手も自身も傷つけることになり、両者ともにヴァンパイアになってしまうので、誰にも向けていないことをイメージしながら思いっきり外側に吐き出してしまえば昇華されるので大丈夫だと言っていたことも思い出した。
とにかく、私はたとえ誰に何を言われようと、どんな目で見られようとも一切気にすることなくシザスというわたしを貫いていくと決めたのだ。アクアで幸せに楽しくシザスという人間の経験をするために来たというのに、いつまでも操り人形のままでいるわけにはいかないのだ。限りあるこの物質世界でこそ体験できる様々な過程を楽しみながら結果に向かっていこう。
突然仕事を辞め、毎日ふらふらしているだけの私を最初は皆、もの言いたげな表情で見ているか、蔑んだ目で見ているかのどちらかであった。だがそのうち一人、また一人と私のところに来るようになり、何かを尋ねられては返すという会話がされていた。そして気づけばいつの間にか私の家は村人たちの相談所と化していた。
私はアッシュ方式で、尋ねられて答えられるものであれば答え、そうでない場合はシンプルにわからないとしか答えない。こちらからは一切こうするべきや、したほうがよいなどとも言わず、あくまで私だったらこうするというように一例として選択肢をあげてみるだけだ。結局はその本人の意思でしか何も叶えられることはないからである。昔誰かが言った、自分を救えるのは自分だけはまさにその通りであったわけである。さらに言えばそのことがばれると彼らやピラミッド上位にいるものたちが大変困ることになる。いわばストレスフリーな世界になってしまうので、重いエネルギーの搾取ができなくなるからだ。だからこそ絶対にそれを気づかせないよう私たちを常識や正義といったいかにもな精神縛りで互いの尊重にたどり着かないようあの手この手で必死なわけである。
そんな日々が続いていき、一年が経とうとする頃、村のまとめ役が皆を集め、話し合いがもたれることになった。
「今からおよそ一年前には皇帝の勅命により、働き手を全員奪われてしまうという村の存続が危ぶまれる事態に陥っていたはずが、それがまるで幻であったかのように平穏な暮らしを続けることができている。結局あれ以来、隣町からまたお偉いさんたちが来るということもなく、中央から軍隊が差し向けられるということもなかった。正直今後どうなっていくのかはわからないが、一つ言えるのはシザスが言っていた中央への無関心はいろいろな意味で正しかったということだ。そして村のものはこの一年の間にそれぞれがシザスとよく話す機会を得たと思うが最終的には他人は関係なく、それぞれが自由に好きなことをして暮らせばよいということにつきたはず。このように言葉にしてみるとなんと無責任な!と憤慨してしまいそうにもなるが、実際私たちはこの一年おおよそその通りにしてきた。皆どうだったであろうか?」
「俺は最初の頃、しばらく中央への恐怖心が消えずに正直、シザスのことを恨んでしまうこともあった。だがその反面、シザスの言う通りだったらどんなにいいだろうとも思っていたことも事実で、俺はそんな彼の暮らしを監視するかのように見ていたんだ。彼はただ怠けているようにしか見えないはずなのに、どうしてかとても幸せそうに見えてきてしまう。だがらどうしても話がしたくなって彼の家に行くようになって‥‥‥まあ皆も大体想像はつくと思うが、とても信じられないようなことばかりが返ってくる。それなのにどこか納得してしまう自分もいて‥‥‥あとは皆と同じ、結局シザスの言う通り好きにやってみようと馬鹿が突き抜けた感じであっという間の一年さ」
「わかる‥‥‥ホント最初はシザスの無責任さに呆れと怒りの感情しかなくて、無視したいのにどうしても彼が気になって目で追ってしまうという時期があった。以前の彼はどこかすべてを諦めているようなただ流されて生きているかに思えていたが、その時はものすごく生き生きと明るくパワフルになっていると感じたんだ。だからやはり彼のところに行って話をするようになって、段々と少しずつ理解していったと言う感じだろうか」
このようにあちこちから同様の話が上がり始め、笑い声が起こり、楽し気な皆の明るい表情だらけになった。そして最後に村のまとめ役はこの村は以前はほぼ外からの人間が訪れることはなかったが、二か月ほど前から旅人が寄るようになったのだと告げた。そして旅人はこの村で作られている小麦などの農作物や湧き水に価値を見出していたと言った。他の地域とはまったく味が異なると言い、間違いなくこの村のものが最上で美味であると宣ったそうである。
それを聞いた皆はただ純粋にとてもうれしそうに喜んでいたが、私はなぜか素直に喜ぶことができなかった。それどころか妙な胸騒ぎを覚え、戸惑っていた。
どうか、どうかこの憂いがただの思い過ごしでありますように‥‥‥‥
ここまでお読みいただきありがとうございました。
続きは執筆中で不定期更新となる予定ですが、今後ともお付き合い頂けると幸いです。