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エナジーヴァンパイアワールド  作者: あずきなこ


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 まず俺とエイダン二人にオファーがあったとマネージャーから伝えられ、貴重な休みとなっていたその日が相手との面談のために当てられた。


 俺たちはマネージャーに連れられとある有名な飲料メーカーのオフィスビルに入っていった。そして会議室のような広い部屋に通されるとしばらくして数人のスーツ姿の男女が入ってきた。


 「どうもはじめまして。私は広報を担当しておりますイトウと申します」


 まずはその中の一人の女性から代表して挨拶を受け、その後全員の紹介が行われ全員席についた。彼らの話によると社内でも相当数の俺たちグループのファンがいて、意外にもメインの五人ではなく、俺とエイダンを推すものが多いのだという。そして社内で調査会議が行われ、最終的に上層部の判断により今回新商品として売り出される飲料のCMに俺たち二人が抜擢されることになったとオファーまでの経緯を説明された。


 「いや~正直最初はこの二人にオファーと聞き驚きまして、何かの間違いではないかとも思いましたが御社ではこの二人で構わないとのことですし、誠に意外ではありますが大変光栄なお話ですのでもちろん喜んでお受けさせていただきます」


 ‥‥‥ん⁉俺らだけではなく、相手側も全員ドン引きしているじゃないか?

 仮にも自分が担当しているタレント(商品)をまるで欠品かのごとく、補欠扱いとはいかがなものか?こういった場ではもう少し取り繕うべきなのでは?


 そんなことを思っていたが、確かに俺たちは元から五人のおまけ扱いだった。

 俺もエイダンも一応正式なオーディションを経て合格した(選ばれた)はずなのであるが、恐らくはあの五人のスカウトありきの二名補強程度の戦略か何かだったに違いない。


 それはともかくとして、現段階で俺とエイダンのみの初仕事が決まり、これにより一般の認知度も上昇するのではないだろうか?俺たちはアイドルを目指していたわけではないのでそれほど認知度に執着はなく、むしろ今までのあまり目立たない自由な行動も認められているくらいの環境がちょうどよかったのだが‥‥


 そんな思惑とは裏腹に、その後本当に認知度は急上昇していった。

 そのため街を普通に歩くことさえ困難になってしまい、それまでなんとかうまくやっていた七人の関係性にも変化が訪れた。


 五人に関して当初は俺とエイダンに対する媚びも偏見もなく、事務所の意向とは無関係に純粋に一緒に夢を追いかける仲間として認められているように感じていたが、このCM出演以降は周囲の目を憚ることなく避ける(無視する)ようになってしまった。


 それはたまにテレビやネットの視聴者にも気づかれるほどで、噂も拡散されたがそんなことはお構いなしの事務所サイドとファンを目の当たりにし、その時改めて人の心理というものの難雑さと世間の目という影響力を思い知ることにもなった。


 その後も七人での舞台やライブイベント等、オファーは止まず次々に仕事は舞い込んできたが、時折挟んでくる個人での仕事も増え続け、まったく休みのない毎日が仕事という生活になっていった。


 中でも突然広告代理店や制作会社などの担当に連れ出され、打ち合わせという名目の相手のご機嫌取り接待には特に辟易していた。事務所はそれらを当然のように仕事としてスケジュールに当ててくる。そんな日々が続き、さらに精神的にモヤモヤとする事象も現れ、知らずため息をついてしまいマネージャーに苦言を呈されるというようなことも多くなった。


 メンバー五人は元々学生時代からの友人同士で仲が良い。

 だがデビュー後、様々な仕事を受ける中でやたら撮れ高というものを気にするようになり、いつの間にかネイサンがいじられキャラとしてメンバーからあれこれ言われ始め、まるで彼になら何を言ってもどんな態度をとっても許されるというような仲間意識が芽生えてしまっていた。


 俺はこの業界に入る前からこのいじるだとかディスるというような造語に嫌悪感を抱いていた。人はそうやっていかにも冗談めかした軽いイメージの造語を免罪符に、堂々と他人を傷つける手段を手に入れたのだ。


 ネットで調べてみても堂々と()()()()()()()()()()()()軽い揶揄いであると表記されている。


 そもそも揶揄うということ自体に軽いなんてあるのだろうか?

 そしてその判断は一体誰がどうしているというのだろう‥‥


 ある撮影でメンバー同士が互いに良いところを褒め合うことになった際、ネイサンを除いて全員がそれぞれ歌やダンスがうまいや声が良いなど、なにかしら誰が聞いたとしても誉め言葉として捉えることができる話をした。


 そしてネイサンの番になった時、俺とエイダン以外の四人はネイサンのことを()()()()。身長が低いとか笑った時の鼻の形が面白いとか汗をかきすぎるとか友達がいないだとか。それは誉め言葉ではないし、言われた本人にとっては気にしているむしろ人から言われて悲しいことなのではないだろうか?


 俺にはただの公開虐めとしか認識できなかった。

 そしてなにより当の本人であるネイサンが皆と一緒に笑うことで必死に耐え、心で泣いていたその姿を見て、今のグループは俺の価値観とはまったく違う、話し合う必要があるのではないかと、そう思った。


 さらに驚くのは動画サイトやSNS等のコメントにはそういったことに対して不快感を示している人たちを攻撃している人の多さである。


 彼らはそれが()()なのだ。ちゃんと本人もわかっていて笑っているし、誰も傷つけようとしているわけではない。そうやって自分の推しに過保護になるな。グループ内には役目があるのだから仕方がない、それに文句を言うのはおかしい。


 どれも自分勝手な思い込みによる正当化で、それを盾に平気で相手を攻撃していることにさえ気づいていない。いや、気づいていながらわざとやっている人さえいるだろう。重いエネルギーというのはそれくらいあっという間に引き込まれ、瞬間とても気分が良いからだ。だがすぐにエネルギー不足を引き起こすのでまたターゲットを探し見つけ、同じことを繰り返す。


 自分が正しいと、マナーやルール、常識等を盾に誰かを攻撃して(追いつめて)他人をコントロール(支配)しようとする人の多さには恐怖すら感じる。


 頭で考えるのではなく、心で感じることができれば、たとえSNSの文字だけでもその姿を画面を通してでもそのエネルギーを読み取り本心は伝わってくるものだ。


 俺は常々自分を誰も強制できないように自分が他人を強制することもできないと思い過ごしている。だから何かが違うと感じたら話し合った上で一緒にいるのか離れるのかを決める。価値観の違うもの同士が一緒にいても我慢の押し付け合いの未来にしかならないからだ。


 俺はまずメンバー全員と話し合う機会を設けることにした。


 


 

ここまでお読みいただきありがとうございました。

続きは来週投稿予定です。

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