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私はアッシュの話を聞き苛立っていた。
こんなくそったれな世界を知っていながら望んだなどと、信じられないし、信じたくもなかったからである。そしてそんな気持ちを打ち明ける気にもなれず、黙したままただ苛立ちを募らせていたのだが、先ほどとは違い、アッシュからの返しはなかった。そのことが気にならないといえば嘘になるが、この時の私は怒りの感情でいっぱいになり余裕がなかったのだ。
その後やはり仕事仲間が聞いた通り、町のお偉いさんたちがわざわざこんな辺鄙な田舎の村まで訪れた。そして村のまとめ役に皇帝からの勅書が届けられたと宣い、この村も皇帝の所有であるとし、そこに住む私たちも同様なので中央の労働者に代わり、ゴールド採掘の命令が下された。高齢の老人を除く、働くことができる男は全員召集とのことで、最初にそれを聞いた村人たちはショックを受け倒れてしまった。
このような理不尽がまかり通る世界に誰が好んで来るものかと改めて憤っていたが、同時にそんな世界でも幸せになれると知っていたからと言っていたアッシュの言葉が思い出され、どうしたらいいのかと尋ねていたらきっと答えてもらえたはずだと今更ながらに後悔した。
そして夜になり、眠る時間となっても心はざわついたままだった。
暗闇で何も見えない窓の外に目をやり、アッシュに届くよう祈る気持ちで自身の態度について反省していること、もう一度話すチャンスを与えて欲しいと願い続けていた。
【こんばんわ。あなたからのエネルギーを受け、改めてお話しすることにしました。あなたは反省する必要も後悔する必要もないのです。すべてはただの経験なのですから。様々な経験を経て、その先をどうしていくか決めていくのですから、あなたにとってはミスや後悔となる出来事が起こっても、そのおかげでより自身にとってプラスとなる選択が可能となるわけですからむしろ感謝すべきでしょう。そしてわたしはあなたから送られてくる問に答えることはできますが、だからといってその通りにすることを強制したり、あなたの意見を拒否したりすることは絶対にありません。それは個の意識の自由に介入することになってしまうからです。わたしたちは常に個の意識を尊重し、それぞれが皆自由に好きなようにどんなことでも経験していきます。あなた方の世界で支配者の采配により定着してしまった概念、善悪や常識などはないのです。ですから自分と合わない存在を否定したり、排除したりせず、ただそっと離れ別の道を進んでいけばよいのです。そして同じ価値観を持つものはエネルギーで引き寄せ合いますので自然と小さく分かれているものなのです。価値観の違うものといる場所は同じでも、道が分かれていて互いに違う道へ進んでいけばいずれ互いに全く見えなくなりますよね?それと同じ原理なのです】
「アッシュ、また話をしてくれて本当にありがとう!実は私たちが住むこの村にもついに皇帝の魔の手が延びてきて、俺たち若い男は皆、中央へ駆りだされることになってしまったんだ。なぜそんな理不尽に従わなければならないのか?そもそもどうして皇帝なんてものがこの世に存在するのか?俺たちはただ静かに幸せな暮らしがしたいだけだ!もうこんな世界にはうんざりしている!だがもしも本当にこのクソな世界でも幸せな暮らしが望めるというのなら、どうかその方法を教えてほしい!」
【先ほども言いましたが住み分けるだけです。皇帝のみならず、ピラミッド世界の上位について下位のものたちを支配コントロールし、その重いエネルギーを吸収し自身のパワーとして生きている存在は多い。そしてそういったものたちにとても都合良く作られているのがこの世界、いわゆるエナジーヴァンパイアワールドです。家庭から始まり社会の至る所に存在しているピラミッド構造の中で起こる束縛や対立、競い合い等で発せられる恐怖や緊張、不安や苦悩、自己否定や絶望、他人への期待や落胆、嫉妬や優越、比較や僻み、我慢や修行、依存や執着、また軽いエネルギーと勘違いされる慈悲や同情さえもすべて重いエネルギーにつながり奪われてしまっているのです。そして奪われることでエネルギーが不足し、今度は無自覚にも自身が奪う側であるエナジーヴァンパイアとなって誰かからエネルギーを奪っているということも非常に多いのです】
「‥‥‥やはりまだすべてが難しく、今すぐには理解できませんが、住み分けるということを具体的に説明してもらうことはできますか?」
【はい。あなた方は皆、自由なのですから誰にも従う必要などないのです。そうですかと相手の言い分は聞いたという返しだけで、肯定も否定もせず無関心でいることです。大切なのは相手の強力な重いエネルギーに引っ張られて萎縮して怯えてしまったり恐怖心を抱かないこと。そして逆に自身が怒りや対抗の重いエネルギーを向けて対立してしまわないようにすることも同様です。常にわたしはわたしであるという確固たる意思表示で堂々と淡々としていれば相手も離れていきます。このようにそちらの意思は尊重しますのでそのようにどうぞ、ですがこちらの意思は異なりますのでご一緒できませんという思考状態が住み分けになるのです。ただどうしても物理の制限がある世界ですからやはり物理的に距離が近ければ住み分けが困難な場合もあります。ですから一番はまず、物理的に距離を置くことになります。そこから完全に無関心を通し、自身が望むまま、同じ価値観を持つ人たちと仲良く楽しく過ごしていけばよいだけです】
それからしばらくの間、私とアッシュとの会話は続けられ、気づけば朝になっていた。アッシュからは多くの情報を得、そのすべてを完全に理解することはできなかったが、一つ言えるのは、私にとってアッシュの話は腑に落ちるものであったということである。これまでは神という私たちの目には見えない尊い唯一の存在がいて、その神の教えを信仰する神教に縋らざるを得ない状況であったため、その理解を深めようとずっと努力してきた。だが絶対に納得できないことが度々出てきてしまい、どうしても疑念が拭えなかったのだ。このように何かはわからないが何かがおかしいという気味の悪さだけが常に纏わり続けていたのだが、アッシュの話により、長年目の前を覆っていた靄が晴れ、ようやく見通しが良くなった感覚になったのである。そしてこれまでの苛立ちや不満、漠然とした不安が嘘のように消え去りまさに快晴の心持ちで母のいる場所を目指した。
「母さん、俺は今日から朝食はいらない。というか、食事は自分で用意するから何もしなくていい。あと寝るのも起きるのも俺がそうしたい時にする。仕事も後で辞めてくる。ということで母さん、これまでいろいろと世話になり本当にありがとう。これまでもこれからもずっと感謝しているよ。できれば母さんにも母さんが自由に好きなことだけをして暮らしていってもらいたいと思っている。そのために協力できることは何でもしたいと思っているからいつでも相談してほしい」
「‥‥‥シザス、あなた何かあったの?というより早朝なのにものすごく明るく元気そうに見えてとても喜ばしいのよ。でもこんなに突然あれもこれもしなくてよいとか、仕事も辞めるだとか、それはさすがにもっときちんと順を追って説明してもらわないと混乱してしまうわ‥‥‥」
しまった、そうだった‥‥あまりに浮かれフワフワとしていたせいで、すっかり最初に話すべき大切なことを伝えるのを忘れていた。私は母と二人、水の入ったカップ二つだけが置かれたテーブルにつき、最初にアッシュとコンタクトが取れた日のこと、仕事先での話、その後に起こった隣町のお偉いさんからの皇帝の勅命の話、そして昨夜の二度目のアッシュとのコンタクトで得た情報をゆっくりと順を追って説明した。
意外なことに、母は途中で口を挟むこともなく、終始冷静なまま私の話を聞いてくれた。思えば母は私が幼少期から他の人には見えないものが見えることに対しても、一度として否定したり憐れむようなこともなかった。実は母も過去に私と同じような体験をしていて母なりに考えた結果、そういうものを認め、互いに尊重し合っていればまったく問題ないのだとわかったという話を初めて聞き、改めて母のすごさを実感することになったのだった。