⒈ 大人になった私が語る過去(子供の世界)
こちらはもう一つの連載中であるGo my own way ~無限のパラレル~に出てくるモモのエピソードになります。ですがあちらを読まれていなくても問題なく読めますのでご安心ください。
私の家は父と母、そして三つ年の離れた兄がいて私を含む四人家族だ。
私は小等学舎に通わなければならない年齢になり、兄と一緒に徒歩で通っていた。
大人になってからわかることというのがいくつかあるが、その一つに義務教育というものがある。生まれたときからすでにある義務教育というシステムは両親のみならず、祖父母やそのまた両親らも通ってきた常識として誰の意思の確認も行われず、流れ作業のごとく仕分けされた場所で学ばされるものである。
だから当時の私は勉強が好きではないにも関わらず、毎日早朝に起き、まだ眠い目をこすりながら朝食を食べ、身なりを整え学舎に向かい、まるでロボットのように決められた時間割というものに従い必要かどうかもわからない何かを詰め込まされ続けていたのだ。
そんなある日のこと。
私は自分では解決できそうもない悩みを母に打ち明けていた。
「お母さま。私、勉強なんてやりたくない。でも学舎のお友達と遊ぶのは好き。どうすればいいのかな?」
キッチンで夕飯の支度をしていた母は作業の手を止め言った。
「いきなり何を言うのかと思えば‥‥でもまあお勉強が好きだという人はそういないでしょうね~。私にも覚えがあるわ。でもやらなければいけない大事なことなの。だからモモもがんばりましょうね」
母は私の頭をひと撫でした後、作業に戻った。
「でもお母さま、どうしてやらなければいけないの?」
私は感じた疑問をすぐ口にしたのだが、母は「忙しいからまた後でね」とだけ告げ、答えてもらうことはできなかった。
私は自分の部屋に戻り、やらなければいけない勉強のことを考えていた。
なぜやらなければいけないのか?
誰がそう決めたのか?
それをなぜこの国のすべての人たちが従っているのか?
どんなに考えてもやはり子供の自分では解決できそうになかったため、私は父に聞いてみようと思いたち、執務室へと向かった。だが執事のセバスチャンに今は外に出かけていると教えられ、がっかりしていた。すると「お嬢様、どうかされましたか?」と、頭上で声がしたので顔をあげるとニコニコと私を見ているセバスチャンが私の目線に合わせてしゃがんでくれていた。
私が「お父さまに聞きたいことがあったの」とつぶやくと、彼は「ちょうどお茶を飲みに行くところだったので、休憩室に一緒に参りませんか?」と言って私を休憩室に連れて行ってくれた。そこで私の大好きなココアをカップに注ぎ、目の前に置いてくれると自分も紅茶の入ったカップを持って椅子に腰を下ろした。
「それでお嬢様、もし私でもよろしければ先ほどの聞きたいことというのをご相談ください。もしお役に立てるようなご相談でしたら頑張ってお答えさせていただきましょう」
彼は両親だけではなく、兄もこの家で働いてくれているみんなからも信頼されている素晴らしい人物で、もちろん私も彼のことが大好きであった。だから迷わず相談することに決めた。
「あのね、私、勉強が嫌いなの。だからやりたくない!でも、お母さまはやらなければいけないって‥‥それでどうしてやらなければいけないのか聞いてみたんだけど、忙しいからお話してもらえなかったの‥‥」
「なるほど。そうでございましたか‥‥そういえば今日は手伝いのものではなく、奥様がご自分で夕食をお作りになられる日でございましたね。あ~だからお父上に‥‥」
そして彼は自分の答えが正しいとは言えないが、今の私の迷いを一旦なくせるかもしれない話ならできると言い、私にそれを聞くかどうか尋ねてきたので頷き、話をしてもらうようお願いした。
「ではお嬢様、実は私もお嬢様同様、子供の頃は勉強が好きではありませんでした。ですのでまあいやいややっておりましたが中等学舎にあがる頃、私の父の仕事であった執事というものに興味が湧いてきましてよく邪魔をしておりました。そしてある時父にお前も執事になりたいのかと問われたのです。ですがその時はなりたいとは答えられず、まだわからないと答えたのです。すると父はそれでかまわない、だがいつかもし執事になろうと思う日が来たらそのために必要な勉強はしなくてはならないだろう?だからお前が大人になって本当にやりたいことが見つかるその日まで、その見つける何かをできるだけたくさんの中から選べるように勉強をやっておくことが大切なんだと言われたのです」
彼は私が話についてこられるようにそれはもうゆっくりと、そしてはっきり言葉を紡ぎながら説明してくれた。その時の私はなんとなく理解したというような感じで彼にはお礼を言って部屋へと戻ったが、心の中ではできるだけたくさんの中からやりたいことを選ぶのではなく、唯一やりたいと思うことのために勉強をしていきたいと思っていた。
大人になって多くの経験を積み、多くを知った今ならあの時彼が本当に言いたかったであろうことは見当がつく。将来の仕事の選択肢を広く持つという別の言い方。学歴社会で仕事につくためには勉強する以外の方法はないと言いたかったのだろう。
テストというのもその選択肢を限定するためのものであり、子供たちにお前はその中から選べと指導するための材料となっているのだ。またその子供のランク付けにもなり、そこから優越感で人を見下しだす人間性や自分は頭が悪くダメな人間なのだと自己肯定感を低くさせ、依存、または従属性を形成されていくのだと思う。
そして私はもう一つ、私個人の人生に大きく影響することになる壁というものに直面することになった。それは小等学舎に通うことにも慣れてきた頃、父と母が乗った車が対向車からぶつけられてしまう事故に遭い、病院に入院することになった時の話だ。
二人の一月ほどの入院が決まり、両親は子供たちについてどうするかを話し合った。家の手伝いのものたちは皆とても良い人たちで、自分たちで交代してお世話をすると申し出てくれたが、それはすぐに断ったという。次に父方と母方の祖父母がうちで預かると言ってくれたため、一旦は近くて小等学舎に通いやすい父方の祖父母に預けられることになったのだ。
だが、まだ元気な祖父母ではあったが張り切り過ぎたのか、祖父が怪我を負ってしまい、距離は遠くなってしまうが母方の祖父母のところへ移ることになった。その際、その状況を知った兄のクラスメイトの母親が通学のことを考えてうちで預かる方がよいと申し出てくれたため、両親とも話あった結果、その家から通わせてもらえることになったのだ。
これでようやく落ち着いたと誰もが思っていたところ、私のクラスメイトの母親がうちの子と仲の良い妹の方はうちで預かると言い出し、入院中の両親に直談判までしたことにより、結果的に私はその家に預けられることになってしまった。
そしてその最初の夜の夕食時の出来事。
いただきますと、クラスメイトのその家の子と一緒に手を合わせたあとに食べ始めた。私自身は自宅でいつもしているようにしっかり咀嚼し味わって食べていた。すると目の前で食べていた母親から「くちゃくちゃと音を立てないで!」と注意されてしまった。
私は恐怖で手が震え、もう何も口に入れられそうにもなかった。
その隣で食べていた父親が「まだ子供なんだしそんなにうるさく言うな」とボヤき、私にはいいから食べなさいと告げ、自分はさっさと食べ終え席を立ちどこかへ行ってしまった。
母親の視線が私に刺さり、その痛みに泣きそうになっていると、「あなたの分は全部食べなさい。残すのはマナー違反よ」という更なる注意を与えられた。
私の隣で食べていたクラスメイトは終始何事もなかったかのようにこの後一緒にテレビを見ようといって笑っていた。
その後は二人でお風呂に入り、敷かれた布団に横になったが記憶はほぼない。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今日から三日間、毎日一話ずつ投稿いたします。




