第54話 「汚れを払う・前編」(バトル)
「サイガ、聞こえたかい?」
「ああ。どうやら、おれ達も動いたほうがいいな」
宿泊地、満月亭のロビーでリンの声を聞いたサイガ一行は、朝食のために食堂へ向かう足を止め、玄関の方へ視線を向けた。
既に市道には逃げ惑う市民の姿があり、人々の悲鳴に混じり理性の失われた声も聞こえる。
「討伐にはおれが行こう。セナ、エィカ、二人は警備隊に強力して避難誘導に回ってくれ」
「わかった。それじゃあ、武器を取ってくるよ。いこう、エィカ」
「はい」
二人が自室に向かい階段を上がる姿をサイガは見届けた。その時、玄関の方向から悲鳴が聞こえた。
サイガが振り返る。玄関には、大剣を握った一人の冒険者の姿があった。
「あ、あいつバルカスだ。商人を狙った盗賊をやってた、前科持ちの冒険者だ!」
「でも、あいつ、でかすぎないか?それに、様子がおかしいぞ」
「まさかさっきの六姫聖の言葉どおりなら、魔物になってるんじゃ・・・」
その姿を見るやロビーの客達から驚きと疑いの声が上がる。そして、その疑いは的中していた。
バルカスはギドン邸で幾度も食事をし、その結果、魔物への変貌を遂げていた。だがその姿は宿泊客達が判断できたことからもわかるように、顔は人間のそれを保っていた。
違いと言えば、腕が人間の数倍の太さを誇っているところと、指摘された通り、異常に高い身長のせいで頭が天井に届き、窮屈そうにかしげているところだ。
バルカスの姿をかろうじて人間に近い形で保たせていたのは、その自我の強さだった。
前科三犯の冒険者バルカスは生来、巨躯を誇っていた。学生から成人にかけても何でも力で解決し、わがまま放題に生きていた。
決して我慢をせず、節約、節制を知らず、欲望のままに罪を犯し投獄された。
出所後は定職につかぬままに冒険者となり、その素行の悪さに拍車をかけた振る舞いで悪名だけを高めていった。
冒険者の格付けは、初級、中級、上級、特級の四段階に分けられるが、バルカスは上級への昇級条件である『依頼人からの多数の高評価』と『ギルドへの貢献』の二つを満たすことが出来ず、戦闘能力は上級と言われながら中級にとどまっている。
それだけ、他者ではなく己の我を尊重する男だった。その我の強さが、バルカスのアント化を一部にとどめていたのだ。
「アアアアア、ガアアア、か、金ェエエエエエ!女ァアアアアア!」
我を貫き通した結果、バルカスの精神は崩壊し、欲を口走るだけの怪物と化していた。残ったものは形骸となった人間風の顔だけだった。
バルカスは高揚していた。理性はないが、どこか満たされた感覚が頭を支配している。わずかに残された人間の部分で、いよいよ、たがの外れた自分に対して得体の知れない満足感を味わっていた。
「今のおれは万能だ。今なら力で何でもできる。上級冒険者になれる!上級の特権をむさぼれる!」
傲慢な欲望が心に溢れかえり、叶うはずもない夢を思い巡らせる。
「ウォオオオオオオオオ」
歓喜か発奮か、欲望を実行に移すためにバルカスが咆哮をあげた。
だが、それは当然ながら叶わなかった。
咆哮のために開けられた大口に、爆薬付きのクナイが打ち込まれた。続いて胸に二本、腹に二本、股間に一本、連続して突き刺さると、間をおかずに炸裂した。血飛沫がロビーを赤く染める。
サイガはバルカスを見るや否や攻撃を開始したのだ。
「ガァアアアアアアアア」
と、バルカスは再び咆哮をあげたかったが、今はそれすら叶わない。その口は下顎と喉ごと失われている。
頭は後頭部だけがわずかに残り、胸には向こうを見渡せる穴が開き、内臓は失われ胴は空、骨盤は下半分を失い、その巨体を支えきれずに崩れた。
容赦のない急所だけを狙った攻撃に、バルカスはその欲望を何一つかなえることなく命を失った。欲望に忠実に生きた男の無惨な最後だった。
「凄い声だね、上まで聞こえてきたよ。って、なんだいその死体。もう倒しちまったのかい?」
武器を手に取り戻ってきたセナが、階段から顔を覗かせ驚く。
「ああ、リンの言う通りなら、こいつは既に魔物なのだろう。どうみても異形だったからな。それに、避難を促されておきながら抜き身の剣を持つなど、問答無用で攻撃されても文句は言えん」
バルカスの死と表の安全を確認すると、セナとエィカは宿泊客達を連れて宿を出た。
「みなさん、避難所はこっちです。私についてきてください!」
宿を出たところで、出動してきた警備隊員と合流し、二人を含んだ全員が避難所へ向かって駆けて行った。
「もういいだろう。出て来い」
一人残ったサイガが宿の隣の建物、今は無人となったリュウカンの診療所に声をかける。
声を受けて診療所の扉が蹴り飛ばされ、一人の男が姿を現した。
サイガはその男の顔に見覚えがあった。数日前、クロストの西でサイガ達を襲った元盗賊の冒険者ゲーツだった。
「ゲヘヘヘへ・・・ヨウ、イ、イツゾヤハ世話ニナッタナ!アノ時ノ礼ヲサセテモラウゼ!」
恨み言を発し、薄ら笑いを浮かべながらナイフを舐めるゲーツ。その目に正気はない。やはりゲーツもその欲望の強さがアントを制したのか、歪ではあるものの人間を保っている。大きな違いは皮膚のほとんどが外骨格となり、腕が四本に増えていた。
「どうやら、魔物となる冒険者には傾向がありそうだな。さっきの大男やお前のようなやつか。いい判断基準になってくれそうだ。醜悪な面構えは軒並み切り捨ててよさそうだな」
皮肉を含んだ嘲笑を見せてサイガは忍者刀を逆手に構えた。
「人間を捨ててまで得た力、どれほどのものか見せてもらおうか」
ゲーツはサイガと向かい合うと指笛を鳴らした。高い笛音が路地を駆け巡る。
建物の影、路地裏、屋上、曲がり角から複数の人影が現れた。その全てが人間の部分を大きく失った元冒険者のアントたちだった。数はざっと見て二十。
「ギヒヒ・・・オレノ弟タチダァ・・・ギリック、ボロニアン、ヤッチマエエエエ!」
群れたアントたちに対しゲーツが口にしたのは、先日リュウカンによって葬られた二人の弟分の名前だった。
「?・・・その二人は死んだのではないのか?」
リュウカン捕獲作戦の際、警備隊の報告書を見たサイガは、その中に二人の名前を目にしていた。
ゲーツはアントに化する際に意識が混濁していたのだ。そのため、人格を失った多数の元冒険者達を弟分と錯覚し、それを率いて記憶を再現しているのだ。
号令を受け、屋根の上のアントが四匹、斧で斬りかかってきた。重力の加速が乗った四重の斬撃が黒衣の忍の体に食い込む。
だが、その光景は文字どおり幻だった。斧が仕留めたのは残されたサイガの黒衣の一部だったのだ。それはマフラーのように長く、斧に纏いついていた。
降り立った四匹のアントの一匹の首から血が噴き出た。サイガは攻撃をかわすと同時に首筋に刃を走らせていたのだ。
流れ出る血を止めようと、混乱する中で必死に傷をおさえながらアントは失血死を迎えた。
残された三匹が斧を持ち直した。が、そこには異物が一つ。四匹が斬りつけたサイガの長い黒衣だ。
黒衣には仕込まれていた、粘着性と速乾性の接着剤が。
固着した黒衣は三本の斧と体の動きを同時に封じた。
戦闘態勢を頓挫させられたアントに、大きな隙が生まれた。そこに、またしても爆薬付きのクナイが一匹に一本、眉間に同時に打ち込まれた。
サイガが後方に距離をとると、クナイが爆発した。三匹は頭を失い、果ててその躯を重ねた。
「さっきのデカブツの余りだ。在庫処理を手伝ってもらって、感謝しているぞ」
わずかの間に命を失った仲間の姿を見て、ゲーツの弟分のアントたちがざわめく。ゲーツも怒りに顔を歪ませる。
「オノレェエエエエエエ!イッキニカカレェエエエエ!コロセエエエエエエ!」
ゲーツが絶叫して指示を出す。アントたちがいきり立って動き出した。
「この程度で充分殺せるなら、見た目ほど頑丈ではないらしいな。さっさと終わらせるとするか」
サイガは忍者刀を収め、魔法剣を抜いた。
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