第52話 「魔が目覚める」(ストーリー)
交易都市クロストはサイガ一行が訪れてから三度目の朝を迎えた。
まだ朝露の消えきらない時間、南区、区内で最大の敷地を誇るギドンの屋敷の前には異様な光景が広がっていた。
門前の広場には、ギドンが化したのと同様の繭が足の踏み場もないほど埋め尽くしていた。その数、実に百五十。ギドンを追って集った冒険者たちは、主に続くように体から体液を噴き出し、個々に繭を作り変態の準備に入ったのだ。
夜中に出現した不気味な塊の群れに、周囲の住人や勤め人たちは野次馬となって、繭の群れを取り囲んでいた。そこに通報を受けて警備隊が駆けつけてきた。が、そのあまりにも嫌悪感を煽る物体に調査の手を進めかねていた。
「ギドン様、ギドン様、朝でございます。容態はいかがですか?ギドン様?」
寝室の戸を叩きながら給仕のトニオは主人の名を呼び続けた。
苦痛に顔をゆがめたギドンが帰宅し、寝室にこもってから既に十二時間以上経過している。容態次第ではまた対応を考えなければならない。一日の方針のためにも、怒鳴られようが確認の必要があった。
「し、失礼いたします」
一言断ってトニオは扉を開けた。鍵はかかっておらず、抵抗もなく開く。
「ひ、ひぃぃいいいいいい」
扉をから中を伺った直後、寝室の状況にトニオは館の端から端まで届くほどの悲鳴を上げた。
寝室のベッドの上には主の姿はなく、巨大でいびつな繭だけがあった。しかもそれは部屋の全体を埋め尽くすほどの大きさだったのだ。
トニオの絶叫が目覚まし代わりになったのか、繭の中央がかすかに反応した。中には赤い光を発する何かが見える。
腰を抜かし、座り込んだトニオが後ずさる。
繭の中央が破れた。二本の竹のような細い腕が飛び出し、トニオに伸びる。
「ひっ!」
伸びた腕がトニオの頭を掴み捕らえる。
「た、たすけ・・・ぐっ」
二本の腕を追いかけるように、さらに繭から一本の管が飛び出した。
管はトニオの腹に食い込むと、音を立てて内臓をすすった。内臓とともに血液を吸い上げられて失い、トニオの体が干からびる。
抵抗する間もなく命を落としたトニオの体が繭に引き寄せられ、つかまれた頭から繭の中に引きずりこまれた。
静寂となった寝室に響く頭蓋骨の砕ける租借音が、悪しき王の誕生の産声となった。
腕の飛び出した穴を中心に繭が裂けた。巨体と腕で硬質化した繭の破片を弾き飛ばすと、ゆっくりと立ち上がる。
弱肉強食の世界に生きるキラーアントは、生まれてすぐに生きるための行動を始める。そのためにギドンが行ったのは捕食と戦力の把握だった。
キラーアントと化したギドンが窓を叩き割り、バルコニーに姿を現した。
身の丈は約三メートル。既に人間の形を失い、胴は節と化し、表皮は外骨格となって口からは大きな牙が飛び出す。目は複眼。人間よりも関節の多い腕が四本。巨体を支える足も関節が多く四本、四足獣のように安定感を見せる。頭部の触覚は周囲を探るようにしきりに左右に動く。
その風貌のほぼ全てが人間の面影をなくし、巨大な虫そのものとなっていた。人間だった頃の名残といえば、かろうじて首にギドンの面影を残す顔があるだけだった。
生まれ変わったギドンが朝日に姿をさらす。その目には、門前を埋め尽くす繭の群れ。そして餌となる野次馬達の姿があった。
「お、おい、なんだあれ!?」
「いゃあああ、魔物よ!」
「警備隊、何やってんだ!魔物が入り込んでるぞ!」
ギドンの姿を見た市民達から恐怖の悲鳴があがる。
「き、キラーアントだ!まずい、みなさん、今すぐに逃げて!」
市民に非難を促し、警備隊員が通信器を手に取る。
「本部!応答せよ本部!南区ギドン邸にて大型のキラーアントを確認。至急応援をよこせ!繰り返す・・・」
市民達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
ギドンが四本の手で体を支えながら、バルコニーから身を乗り出した。
『ギャシャアアアアアアアア!!』
恐怖心を煽る断末魔のような絶叫をギドンが発した。警備隊員は体が硬直してしまう。
「な、なんて声・・・一体何のつもりだ?」
謎の行動を起こしたギドンを警備隊員が凝視する。
音が聞こえた。乾いた音だった。それは、隊員の視野の中のギドンではなく、足元から聞こえた。
音の発生源に目を向けて、隊員は驚愕した。乾いた音は地面を埋め尽くしていた繭から発せられたものだったのだ。
一度目の音を皮切りに、次々と繭に亀裂が走り始めた。その中からは、ギドン同様、アントと化した冒険者達が姿を現した。
ギドンの声が手下達の孵化を促したのだ。
その容姿はギドンほど完全なアントではなく、個人によってその度合いが異なった。個体差はそもそもの人間性や髄液の摂取量に起因するのだろう。ほとんど人間ではないものもいれば、人間とアントの長所を併せ持つ者もいる。
「そ、そんな。本部、急いでくれ!緊急事態だ!本部・・・うわぁああああ・・・」
応援を要請する隊員に、生まれたばかりのアントたちが飛び掛った。
頭に首に、肩、背、腹、足。隙間なく鋭い牙が突き立てられ、食いちぎられ、引きちぎられ、本人が死亡を認識する前にその体は元冒険者達の腹に消えた。
南区ギドン邸で悪しき王が誕生したのと同じ時刻、警備隊本部。
腹を満たし一晩充分に睡眠をとったことで、リンは先日の逮捕劇での負傷も完治し、魔力も全身に満たされていた。
朝を迎えると同時に目を覚まし、軽いトレーニングで汗を流すと身支度を整えて出勤してきていた。逮捕劇の報告書作成のためだ。
警備隊本部の隊長室には、勤務時間前にもかかわらずライオネスの姿があった。
「お兄様、お早いですわね。まだ勤務時間前ではありません?」
「昨日の冒険者共の様子が気がかりでな。そのせいか早い時間に目が覚めたんで、出てきたんだ」
「冒険者。成金のギドンの手下ですわね」
ライオネスは黙ってうなずく。
「連中の目、明らかに正気ではなかった。サイガ殿が言うには薬物投与や催眠の状態に近いそうだ。もしかすれば、暴徒と化す恐れがある。警戒を怠るわけにはいかん」
書類を片付けながら、ライオネスは決意を語る。
「隊長、失礼します!緊急で報告がございます」
大きな足音を響かせながら、隊員が隊長室に駆け込んできた。
「どうした?また、ギドンがらみか?」
ライオネスとリンに緊張が走った。
「はい。さきほど通報があり、ギドン邸に隊員が一人赴いたのですが、その隊員がギドン邸に魔物が出現したと報告を最後に連絡が取れなくなっております。確認のための出動の許可を願います」
「なんだと・・・よし、出動を許可する。動けるものは全員で行け。装備と魔法の使用も許可する」
「はっ、かしこまりました」
「リン、お前も行ってくれるか?」
隊員に指示を出し、リンに顔を向ける。
「はい。・・・お兄様の気がかり、的中してしまいましたわね」
「皮肉にもならん」
ライオネスは立ち上がると、戦支度をはじめた。
リンは備品の魔法珠をいくつか掴むと窓から飛び出した。
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