第42話 「力と技、そして」(バトル)
「いまさら構えたって、油断がすぎらぁ」
リュウカンが左手を前に突き出した。指でリンの鎖を握る左手を突くと、途端にその手から肘、肩まで一瞬で電気のような刺激が流れた。たまらず左手が鎖を離し、左腕は大きく跳ね上がると、左隣のサイガの顔を襲った。
サイガは瞬時にしゃがみ、不意の一撃を回避する。
「まさか、初手で味方に襲われるとはな」
サイガは回避しつつ感想を漏らす。
「リン様、ご無事ですか?」
戦いの始まりを察知した警備隊員たちが玄関へ足を向けた。
「動かないで。ここは二人でなんとなります。あなたたちは周囲の人たちを決してここに近づけないで。巻き込まない保障はありませんわ!」
リンは周囲の隊員たちを制止すると、暴れる左手を筋力で押さえ込んだ。刺激が落ち着くと、数度開閉させて動きを確かめる。
「まだまだ、こんなもんじゃ済みやせんぜ」
リュウカンの追撃の手がリンに迫る。その手をサイガの逆手に持った忍者刀の頭が叩いて軌道を逸らす。
「そうはいかん。二対一だということを忘れるな」
追い討ちを迎撃されたリュウカンは手を引いた。その動きにあわせて、サイガは忍者刀の突きを放つ。
顔面の直前まで切っ先が迫ったところで、わずかに顔を逸らしリュウカンは刃を避ける。
必殺を狙った突きだったが、避けられたことで大きな隙が生まれた。踏み込んだ右足は抜骨術の絶好の的となったのだ。
リュウカンの右の掌が太腿の外側を叩く。まるで革の鞭のような破裂音と共に、大腿筋が意思に反して持ち上がると、右の足が左の足を払った。
自らに足払いをかけるという未体験の現象に、サイガは受身を取れず、地面に横倒しになった。
リンとサイガの間に生じた隙間にリュウカンは飛び込んだ。足を高く頭を低くし、折りたたむような姿勢ですり抜ける。
「逃がすか!」
リンが振り向いて右手を伸ばした。その掌から鎖が放たれ、意思を持った蛇のようにリュウカンの足首に絡みつく。リンは電の魔法を鎖に流すことで磁力を発生させ、その動きを自在に操ることが出来る。サイガとの試験の際の鎖の動きはそれによるものだ。
「捕らえた!」
「甘い!そんなあっしにゃ、通じねぇ」
リンの勝利宣言を即座にリュウカンは否定した。
その言葉の通り、リュウカンは足首を外すと、するりと鎖からすり抜けさせた。そして地に着く頃には既に足首は元に戻っていた。
「へへ、他人の関節外せるんだ。自分のなんざ、お茶の子さいさいでさぁ」
放たれた鎖がむなしく音を立てて地面に落ちた。すぐさまリンが鎖を戻すために右手を強く引く。しかし、リュウカンは鎖を踏み、その動きを妨げた。動きを止められた反動で、リンの上半身がわずかに揺らぐ。
「隙ありだ。いただく!」
揺れた体に追い討ちをかけるため、リュウカンは踏み込んで、開いた上半身に右の横蹴りを入れた。
「ぬぅ、堅ぇ」
「その程度の蹴りで、私は倒れませんわ。本気を出せば、砲弾すら跳ね返しましてよ。・・・はぁっ!」
ゴブリン程度なら即死するほどの威力の蹴りを、リンは胸で平然と受け止めた。続けて、胸で停止する足を気合と共に跳ね飛ばすと、宙に浮いた右足を左手で掴み、思い切り引き寄せた。
リュウカンの体が意図しない速度で、意図しない前進を強要される。
「ぬおっ、ぐっ」
前進してきたリュウカンの頭をリンは右手で受け止めた。いわゆるアイアンクローの状態で、リュウカンの体重を片手で持ち上げる。
「ぐぁあああああ!」
リュウカンの苦痛の声が喉の奥から流れ出てくる。
リュウカンの体は暗殺術を操るだけに、よく鍛えこまれた凝縮された筋肉で包まれている。その体重を放すことなく掴み続けるリンの握力。それに締め付けられる頭部は、今にも圧壊しそうな激痛に襲われていた。
「さぁ降参なさい。でなければ、あなたの殺してきた者達と同じ目にあわせますわよ」
五本の指全てが徐々に頭に食い込み、きしむ音がリュウカンの頭にこだまする。
「リン、その距離は駄目だ!」
体を起こしたサイガが、二人の状況を見て叫んだ。リンは右足と頭部を確保してはいるが、抜骨術において最も重要な『手』が野放しだったのだ。この光景はサイガにとって、こめかみに銃を突きつけられているのと同義だった。
「へへ・・・やっぱり、姐さんは・・・油断がすぎらぁ・・・」
こぼれる程度の声量でリュウカンは笑った。それと同時に、リュウカンの両手が舞った。
リンの上げられた右前腕の手首側から、肘に向かって左右対称に五箇所。リュウカンの両手の指は、流れるような動きで抜骨術を放った。
一、親指の第二関節で挟み。
二、掌底で挟み。
三、中指の先で挟み。
四、掌で挟み。
五、親指の付け根でなぞる。
以上の五つの動きを手首から肘にかけて瞬時に施す。
一瞬、何をされたのかリンは理解できなかったが、その結果は、間を置かずに思い知ることとなった。
リュウカンを捕獲する右腕の筋肉が蛇のようにうねりだし、腕全体が膨張と収縮を繰り返す。
前腕の二本の骨『橈骨』と『尺骨』が何度も入れ替わっては戻り、互いを削りあう音が腕から全身へと反響し、その状況の異常性を伝えてくる。
人体の構造を無視した骨と肉の動きは、リンの右手を主から独立させる。リュウカンを放すと、鉄板の上で焼かれて飛び跳ねる生魚のように、規則性のない乱雑な動きを見せた。
「腕が、まるでいうことを聞かない。これまでの技とは全く違う!?」
これまで幾度となくリュウカンの抜骨術を筋力で破ってきたリンだったが、今回の技はそれとは比較にならないほど、強力なものだと理解した。
力を込めようにも腕には感覚がない。この現象に、リンは言いようのない恐怖を覚えた。
「姐さんにあっしの打撃は効果が薄いんでね。そんなら、姐さんを始末するのは姐さんにまかせることにしやした」
「そ、それは、まさか・・・」
「姐さんの右手は、これから姐さん自身の首を絞めやす。そうなったら、もうあっしを相手にすることもできねぇ。こんな、自死を促すような外道な技は使いたくなかったんだが、姐さん相手じゃ体がもたねぇんだ。悪く思わんでくだせぇ」
リュウカンがリンに背を向ける。
「さあ、次は旦那、あんただ」
サイガへと残心の構えを見せた。
「お待ちなさい。まだ私は・・・げぅっ!」
戦いを続けようとするリンの喉に右手が掴みかかり、言葉をさえぎった。その握力のすさまじさは自身が最も理解している。気道をふさがれ、一瞬にして酸欠となったリンは両膝をついた。失神こそ免れたが、己の左手で己の右腕を掴むという、傍から見れば滑稽に映る必死の抵抗をしなければ、その意識は喪失してしまうだろう。
「まだ抵抗なさるかぃ。だがそれも時間の問題、さあ旦那、決着つけましょうや」
己に抗うリンを一瞥すると、リュウカンはサイガに視線を戻した。残心は続いている。
「いや、まだそれは早計だ」
「なに?」
サイガは構えを解かぬまま、リュウカンの後ろのリンを指差した。
「リンはまだ落ちてはいない。闘いは続いているぞ」
戦闘の続行を告げるその顔には、暴風と呼ばれる戦士に対する信頼の笑みがあった。
「がぁああああああああ・・・ああっ!!」
獣の咆哮を凌駕するほどのリンの声が辺り一体に響く。それと共に、何かが破壊される音が聞こえた。
悪い予感が脳裏によぎり、リュウカンが即座に全身を使って振り返った。そこにはリュウカンの技から解放されたリンの姿があった。
「馬鹿な、一体どうやって、あっしの技を・・・」
その疑問が解決したとき、リュウカンは全身の水分が冷や汗となって流れ出る錯覚をおこすほどの悪寒を味わった。
リンは反逆する右腕を左手でへし折り、その呪縛から解放されたのだ。
右前腕は内に向かって、『く』の字に折れ曲がり、骨折部が体外に露出している。顔は今だ酸欠と苦痛に歪んでいるが、目ははっきりと強敵を見据えていた。
「へ・・・こいつぁ正気じゃねぇや」
顎を伝う冷や汗をぬぐい、リュウカンは体の向きを変えた。