第36話 「力と技と」(バトル)
リンとリュウカン、二人の強者が邂逅した。そして、その間に言葉は必要ない。
状況を視認し理解したリンは、即座に攻撃を開始した。
鎖で固めた拳が音を鳴らして襲いかかる。筋操剛体を既に発動させた腕は、通り名の如く暴風となって無数の乱打を繰り出した。
上段、中段、下段と、致命傷の攻撃が迫るが、リュウカンは全てを寸前で回避した。その軽やかで鮮やかな足どりはまるで舞のようだ。
「こいつぁなんて威力だ。一発だってもらうわけにはいかねぇ」
空振りした拳が生じさせた風と衝撃が、その危険性を物語る。だが、リンの攻撃は威力が優先された大振りなもので、リュウカンはそこに勝機を見出した。
「ここだ!」
リュウカンは上方から振り下ろされた右の拳を、左足で蹴り上げた。腕が跳ね上げられ、リンの体が右に大きく開く。
「け、蹴りで拳を?ぐっ!」
思いがけない防御方に、リンは一瞬意識を奪われる。そこに、追い討ちの右の後ろ廻し蹴りが脇腹に叩き込まれた。
獣の突撃を受けたような衝撃が腹筋を襲う。勢いは強く、リンの巨体は数歩退かされて、建物に背をつけた。
「やりますわね。後退したのなんて、幼少期以来ですわ」
脇腹に手をあてがい、余韻に浸りながら感想を漏らす。その顔はやはり笑っている。
「なんてこった、あれくらって平然としてるんですかい?こいつぁ大型の魔物より頑丈だ」
驚きつつも、リュウカンは姿勢と呼吸を整え、反撃の態勢を作った。
「まっとうな打撃じゃ歯がたたねぇ。女相手にゃ気がひけるが、やるしかないか・・・」
リュウカンが緩やかに前に歩み出た。その歩法は静かで上下左右への揺らぎが無く、どこか生命を感じさせない。
その歩法に感覚を狂わされたのか、リュウカンはリンの意識の隙間をすり抜けてくるように眼前に立っていた。
「!!」
まるで手品や幻覚魔法のような現象に、リンの反応は一瞬遅れた。そこを狙い、リュウカンの縦の平拳がリンの胸の中央、胸骨部分に添えられた。
「南無三」
一言呟くとリュウカンは平拳で胸骨部を叩いた。直後、鈍い音が胸部から発せられた。
「こ、これは、まさか・・・」
音が聞こえた瞬間、リンの脳裏に死体報告書の一文『肋骨の収束による多臓器不全』が蘇った。悪寒が全身を支配する。
その悪寒は的中した。拳に突かれた胸骨は肋骨から乖離した。
「む、胸が締め付けられる・・・肋骨が内臓を・・・潰っす・・・ぎぎ、が・・・」
中央の支えを失った肋骨が中央への収束を開始した。内臓が圧縮され、未曾有の激痛がリンを襲う。
「殴り合いじゃ姐さんにゃかないっこねぇんでね。ちと苦しい思いさせちまうが、あっしとかち合った不幸を呪ってくだせぇ」
これまでの経験からリンの死を確信したのか、リュウカンはリンに背を向けた。その足でゲーツに止めを刺すために歩を進める。
「ぐ、が、あああああぁぁぁあああ!!!」
リュウカンの後ろでリンの絶叫が続く。
ここで、リュウカンは違和感を覚えた。絶叫が長すぎたのだ。内臓が圧縮されれば当然肺も潰れる。そうなれば、今のように絶叫を続けることなど出来ないはずだ。しかし、今だリンの声は耳に届く。
リュウカンは振り返った。子悪党の止めよりも強敵への対処をせよ。リュウカンの戦いの経験値がそう告げていた。
その目に映ったの驚愕の光景だった。リンは収束する肋骨に筋力で抗っていたのだ。
「ぐぅううううう・・・がぁっ!」
リンは胸筋と背筋に力を込め両腕を広げると、気合と共に勢いよく胸を突き出した。
外れたときよりも大きな音が体外まで鳴り響き、リンの胸骨はあるべき場所へと納まった。
「じょ、常識外の攻撃には・・・常識外の対応法が一番ですわ・・・はぁ、はぁ・・・」
屈強な肉体と精神を誇るリンであっても、骨格と内臓を攻撃されるなど、未知の体験なのだろう。その消耗度はサイガとの戦いのときよりも激しく見える。
「こいつぁ驚いた。あっしの『抜骨術』を力で押し切るなんて、やはり、とんでもねぇ姐さんだ」
この状況は受けたリンにも未体験なら、放ったリュウカンにも未体験なのだろう。リュウカンは技を破られたことに対して残心と対応を怠った。
怠りを見逃さなかったリンが、リュウカンに詰め寄った。その動きはリュウカンの反応を凌駕するほど素早く、完全に虚をついた。
大きな両の掌が両肩を掴み、動きを封じる。
「しまっ・・・」
「これで、厄介な技も使えませんわ・・・ねっ!」
拘束されたリュウカンが後悔の言を発するより前に、リンはその体を持ち上げ、背後の壁に背面を叩きつけた。
「かっ!はっ!ああ・・・」
一切の回避行動をとることが出来ない体は衝撃を全て受け止めることとなり、その痛みでリュウカンは言葉すら吐けない。
「まだまだぁああああ!」
強烈な一撃を叩き込んでおきながら、リンはその手を緩めることは無かった。再び体を持ち上げると、二度、三度と、連続して壁へと叩きつけた。
たった一度でも命を落としかねない攻撃を立て続けに受け、リュウカンの視界はかすみ、死を覚悟させた。激痛で上半身からは力が抜け、抗おうにも腕が動かない。
だが、リュウカンはあきらめることは無かった。
足を持ち上げると、膝でリンの肘の内側を蹴りこんだ。途端にリンの両腕に電気のような痺れが走り、強固に締まっていた指が緩んで掌が開く。腕に走る神経を攻撃したのだ。いくら強靭な肉体でも、神経の反応には逆らえない。
リンの拘束が緩んだところで、リュウカンはつま先でリンの胸の中央を蹴りこんだ。まだ痛みの残る胸への攻撃にリンの巨体がしりもちをつき、反動でリュウカンの体は後ろに跳ぶ。
着地と同時にリュウカンは膝を着いた。
激痛に耐える二人。そのあまり痛みに二人は動きがとれず、数秒の沈黙が訪れた。
「リン、どこだ!返事をしろ!」
二人の沈黙を破り、ライオネスの声が沈黙の北区に響く。リンが声の方向を向く。
「お兄様、こちらですわ」
「どこだ、リン!リン!」
「お兄様?聞こえませんの?お兄様?」
ライオネスの声は明確にリンに届いていた。だが、リンの声が伝わる気配がない。
ここでリンは気付いた。ここまでの激闘において、二人の発した音や声、それは間違いなく静寂の夜においては騒音そのもの。だが、周囲の住宅には住人達が目を覚ました様子が伺えないのだ。
リンは察した。音が封じられているということを。
「風の精霊の力ですわね」
リンはリュウカンに顔を向けなおすと、推察を口にした。
「ご名答。あっしは風の精霊さんに好かれてるみたいでね。こうやって音を遮って、仕事を手伝ってくれるんでさぁ」
「精霊の助力があったなんて。どうりで、これまで捕まらずに犯行を重ねられたわけですわ」
リンは迷った。一対一で苦戦する強者を捕らえるためには、ライオネスたちの助力は必須。だが、声を封じられている状況ではリュウカンから目を離して通りに身を出さねばならない。
当然そんなまねをすれば、リュウカンはたちどころにその姿をくらますだろう。
牽制しつつも救援を呼び寄せる方法をリンは考えていた。
『させないよ』
リンの耳に優しい響きの謎のささやきが聞こえた。不意な現象に驚き、辺りを見回す。
「この声、まさか精霊?きゃっ!」
問いかけに応えるように静かに風が舞った。砂塵がおこり、リンの目を襲う。たまらず悲鳴を上げた。
「精霊さん、かたじけねぇ。そんじゃあ姐さん、失敬しますぜ。これ以上は身がもたねえ」
そう言い残すと、リュウカンは姿を消した。その動きは風の精霊の手伝いがあってか、飛翔するように軽やかなものだった。
「リン、ここにいたのか。どうして返事をしなかった!」
一人残されたリンの元にライオネスが駆けつけた。リンもようやく目の砂塵を涙で洗い落とし目を凝らしたが、そこにリュウカンの姿は無かった。
あとに残されたのは二つの死体と瀕死のゲーツだけだった。