第34話 「それぞれの思惑 西の交易都市クロストの夜-後編-」(ストーリー)
サイガ一行が宿に入り、リン・スノウが市で起こっている冒険者連続殺人事件の概要を警備隊本部で把握しているのとほぼ同時刻、クロスト南区の南の端、南門付近に居を構える市の有力者にして次期市長候補のギドンの豪邸の広間には、本日クロストを訪れた総勢三十人の悪名高い冒険者達の姿があった。
計四つの大テーブルの上には豪華な食料と様々な趣と味の酒が並び、冒険者達は普段は口に出来ないような豪勢な食事に舌鼓を打ち、酒に酔いしれる。
ここに集められた冒険者達は、かねてよりギドンに招かれ、客人として市に入っていた。
全員が食事と酒で腹を満たし、宴もたけなわとなった頃、一つ、大きな手拍子が広間に鳴り響いた。
会話と食事の手が止まり、一斉に視線が上座の手拍子の主に集まる。そこには主催者であるギドンの姿があった。
「みなさま、本日は私の招待に応じ、お集まりいただきまして、まことに感謝申し上げます。さて、皆様をご招待差し上げたのは、ほかでもありません。実は、皆様のご協力を賜りたくお招きしたしだいにございます」
うやうやしく頭を下げながら、ギドンは挨拶をした。その声は広間の端から端までよく通り、耳を傾けさせる。
「皆様ご存知のこととは思いますが、不肖、私ギドン・アルパ。次期市長選に打って出ることとなりました。ですが、現在このクロスト、私にとって大変不利な環境となっております。投票権のある住人はその大半が北区の住人であり、そのほとんどが現職であるラウロ氏の支持者となっております。つまり、現状の市のままでは、私の当選は絶望的であります」
ギドンの政治的発言は、冒険者達の耳には届いても心には届いていなかった。普段の冒険者活動において最も縁遠い内容だったからだ。ギドンの心中を図りかねて、冒険者達は顔を見合わせる。
「そこで、私から皆様にお願い、いや、依頼がございます」
ギドンはそう言うと、部下に命じて巨大な革袋を持ってこさせた。大きさは肩で担げる程度のものだが、大の大人が四人がかりで足取り重く運ぶのを見るに、外観に見合わぬ重さなのだろう。
袋がギドンの前に置かれた。重厚な音がその質量を物語る。
一連の流れを見ていた冒険者達から、どよめきが上がった。
革袋が置かれた瞬間、その衝撃からか、口から数枚の金貨が飛び出たのだ。さらに、部下が袋を逆さにすると、大量の金貨が流れ出た。ギドンの前に金貨の山が築かれる。ギドンはその中の一枚を手にとって掲げた。
「この金貨、大変純度の高い金貨で、価値にして一枚百万ジェム!この金貨を今から皆様に一枚ずつ差し上げます!これは手付金です」
またしても広間にどよめきが走る。百万ジェムは日本円にすると百万円に相当する。冒険者達は挨拶代わりに百万円を受け取ったのだ。
「そして、依頼というのは、皆様にこの市の改革のご助力をお願いしたいのです。この市は国の西の交易の要。そんな地において、わざわざ足を運んでくださる冒険者、商人、交易といった商売人の方々、大変ありがたい存在であります。私はそんな皆様が活動の拠点とされるような、そんな市を作りたいと願っております。そのため、これまで私は商売で得た金で、多くの土地を買い取り、娯楽施設を建てて参りました。ここにいらっしゃる皆様の中にも、楽しんでいただけた方がいらっしゃるかと存じます」
ギドンの言葉に何人かの男の冒険者が薄ら笑いを浮かべる。
「ですが、そんな皆様を思っての都市づくりも、旧来の体制を通そうとされる北区の方々に治安や風俗の乱れを理由に反対され、現在、市は南北に二分された形になっております。これは由々しき事態です。そして、この話はここからが本題になります」
ギドンが両手を広げた。金貨に集まっていた冒険者達の視線は、ギドンの動きへと移る。
「皆様がこれまで培ってこられた経験を用いて北区の住人の方々を説得していただきたいのです。手段や方法は問いません。経験豊富な皆様であれば、きっと多くの方々を説得してくださると信じております」
注目する冒険者達の顔一つ一つをじっくりと見回し、ギドンはにやりと笑った。その顔は暗に北区の住人に対しての地上げや立ち退きをにおわせるものだった。ギドンは投票権を持つ住人を減らすことで対立候補の現職ラウロの票を減らそうと画策しているのだ。
広間は冒険者達のざわついた声で満たされた。
ここにいる多くの者たちが犯罪に手を染めることに躊躇はない。むしろ、冒険者となった現在よりも、その生活が長かったものが多数を占める。だが、街中でのそのような活動は、ギルドから目をつけられ、警備隊との衝突も増える。今後、冒険者として活動を視野に入れた場合、一時の金に心動かされるのは得策ではないと、欲望に忠実な彼らも慎重になる。
「ギドンの旦那、さっき、金貨一枚が手付金てことでしたが、説得が成功したら、報酬ももちろんいただけるんでしょうね?」
これまで一方的に話をしてきたギドンに、初めて冒険者側から質問が上がった。発言者はクロスト西の街道でサイガたちを襲って返り討ちにあったゲーツだ。
「当然です。皆様が一軒、交渉、説得が成功した暁には、この金貨を・・・十枚。贈らせていただきましょう!」
ギドンの一言に、先ほどとは比べ物にならないほどのどよめきが場内を支配した。これまで難色を示していた冒険者達がたちどころに首を縦に振り始める。
「どうやら、みなさま引き受けてくださるようで安心いたしました。吉報をお待ちしておりますよ」
野望をはらんだ笑顔でギドンは話を締めくくった。
冒険者達は食事を再開し、酒瓶を全て空けると屋敷を後にした。
「ふふ、単純なやつらは助かるよ。金をちらつかせれば、すぐに理性が吹き飛ぶ」
冒険者達が去り、一人残った大広間で頬杖をつきながら、ギドンは不気味に笑った。
「ホッホッホ。ですが、これで彼らは貴方の大切な兵隊になってくれるのです。重宝しなければいけませんぞ」
軽い笑い声が聞こえた。ギドンの後ろに、いつのまにか一人の男が立っていた。病的に痩せた体に色白の肌、不健康な印象に反して唇は真紅に近いほど赤い。唇にそろえたように赤いワインレッドのスーツに身を包んだ男は一歩前に出てギドンの左隣に立った。
「ギネーヴか。兵隊になるとは言っても、本当にあれは効果があるんだろうな?」
「ホッホッホ、ご安心なさい。試作品とはいえ、強烈な従属性を持つキラーアント。さらにその中でも上下関係が確固たるスレイブ種の髄液から作り出した薬を仕込んだ料理と酒を、彼らは口にしたんです。数時間後には彼らは貴方の立派な忠臣となるでしょう」
ギネーヴと呼ばれた男が口角を上げて、液体の入った瓶を取り出した。中には、澄んではいるが、強い粘度の液体が入っている。モンスターの従属性を人間に付与させる薬物だ。
「その髄液とやらはまだあるのか?あるなら、この宴あと二回、同規模で開く」
「ええ充分にありますが、兵隊三十人ではまだご不安ですか?」
「そうだな、少なくとも百人は欲しい。いざとなれば一斉蜂起で警備隊を制圧できるぐらいには、な」
ギドンの顔と声は、野望がにじみ出てきたように、醜く歪んでいた。
「ホッホッホ、ではその野望のご期待に応えましょう。明日は昼と夜に今日以上の規模で宴を開きます。冒険者達を軒並み、クイーンの脳と髄液を摂取した貴方の僕と変えてあげましょう。ホッホッホッホ・・・」
「おい、冒険者の連中に知らせておけ、明日は昼から宴を開くとな」
「は。かしこまりました。すぐに手配いたします」
部下を呼びつけ指示をすると、ギドンは自室へと移動した。
ギネーブと呼ばれた男の姿はいつの間にか消えていた。
「あれ?サイガ、もう風呂から上がったのかい?ずいぶん速いね」
「いや、お前たちが長すぎるんだ。一時間入ってたんだぞ。一体なにをやることがあるんだ?」
風呂上りにロビーのソファで寛いでいたところに、ようやく風呂を終えたセナが声をかけた。サイガは呆れたように、顔だけで応えた。
「何を言ってるんですか、サイガさん。乙女のお風呂は大切な時間なんです。しかも数日ぶりなんですよ。男性と一緒にしてはいけません」
セナの肩に手をかけながら、エィカが参戦してきた。こと風呂のことに関してはエィカのほうが熱量があり、この時点でサイガは反論を止めた。エィカの勢いに圧倒される未来しか想像できないからだ。
食堂に移動し、三人は軽い食事を済ませると、明日の予定を立てた。
午後は冒険者の登録証を受け取りにギルドに赴くことになる。その後は市長との面会。となるなら、午後の予定は全て市長関連で埋まる恐れがある。ということで、今後の旅に必要な装備や道具を午前中に揃えようということになった。
「じゃあ、今日はもう寝ようか。色々あって疲れちまったから、ぐっすり寝れそうだよ」
「そうですね。私も、もうまぶたが重いです」
セナとエィカが食器を持って立ち上がった。サイガも続く。
「そうだな、おれも休むとしよう。二人は部屋は何号室だ?おれは五○三だ」
サイガは自室の鍵を見せた。
「え?なんだって?」
「私達も五○三ですよ」
エィカも鍵を見せる。そこには五○三の数字が刻印されていた。
「まさか、一緒の部屋ってことですか?」
「そういうことになるようだな。おそらく、遅い時間なので部屋がなかったんだろう」
気まずい空気がサイガとエィカの間に漂う。
「しょうがないね。とりあえず部屋にいこうか。サイガ、エィカに変な気を起こすなよ」
「当然だ。言われなくてもわかっている」
茶化すセナを制して、サイガは部屋に向かって歩き出した。
セナとエィカは笑っていた。だがその頬には、風呂上りとは違う紅潮が見られた。