第31話 「暴風一過」(ストーリー)
リンにお兄様と呼ばれた騎士が、修練所に踏み入りリンに歩み寄った。その顔は怒りに満ちている。
男に対して、リンは小動物のように身を縮み上がらせ震えていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
無言の男に無言のリン。二人の沈黙は一分ほど続いた。サイガと野次馬達はその光景を静かに見守っていた。
「・・・なぜ、私が怒っているかわかるな?」
「・・・はい・・・」
「なら自分の口から言ってみろ」
「それは・・・私が任務をほったらかして遊んでいるからです・・・ぎゅっ」
詰問に対し、リンが歯切れ悪く答え終わる前に、兄と呼ばれた男の拳骨がリンの脳天を叩いた。短い悲鳴が漏れる。
「お前は武門の誉れ高きスノウ家にして、姫に仕える六姫聖だろうが!任務を忘れて遊びほうけ、その上、無様をさらすとは何たる愚行だ!?恥を知れ!」
「も、申し訳ございませぇん。お兄様ぁ~~~」
まるで悪戯を叱る親子のようなやり取りに、修練所から戦いの緊張感がすっかり消えうせた。
「あの殺し合いみたいなのが遊び?嘘だろ?」
リンの申告に、セナは耳を疑った。
捕縛された際、リンは体を刻まれ大量の出血をし、胃を破られていた。周囲から見れば瀕死の重傷に値する。それを遊びの一言で片付けたのだ。
「でも、実際、リン様はけろっとしてらっしゃいます。強がりではないんでしょう」
エィカが付け加えた。その目には六姫聖に対する、憧れの輝きが宿っていた。
兄と呼ばれた男がサイガに顔を向けた。
「このたびは、公私の区別もつかない愚妹がお手間を取らせまして、申し訳ございません。先ほど本人も申しました通り、コレはただいま任務の最中であります。私が長を務める警備隊の本部に顔を出すはずだったのですが、予定の時間を過ぎても現れぬゆえ、探しに出てみたところ、この場面に出くわした次第です」
泰然、堂々とした振る舞いの男が事情を語る横で、耳が痛いのか、リンはその大きな体を、一層、縮ませていた。
「失礼しました。申し遅れました、私、クロストの警備隊隊長を務めております、ライオネス・スノウと申します。妹の愚行、重ねてお詫びいたします」
兄はライオネスと名乗った。それにサイガも応じる。
「サイガです。今回のこの試合、こちらからも望んでのことです。妹君だけの責任ではありません。どうかあまり責められませぬよう・・・」
「いえ、せっかくの心遣いですが、それは無用です。こいつのことですので、どうせ止め時を見失って生傷を増やしただけでしょう。違うか?リン」
ライオネスの視線がリンに移る。リンは黙って顔をそらした。不誠実な態度に、再び拳骨がリンを襲う。
「きゅう・・・」
頭部への衝撃に、空気が漏れるような声を発し、リンがうなだれる。
サイガは叱られるリンを庇おうとした。止め時を見失うというライオネスの指摘は自身にも当てはまったからだ。 闘争に高揚して傷を深めた責任は双方にあった。その罪を分け合おうとしたのだ。
だが、サイガに擁護の暇を与えず、話題は次へと移った。
ライオネスはサイガに視線を戻す。
「では、愚妹は警備隊本部に連行いたしますので、この束縛を解いていただけますか?まぁ事の軽重がわからぬ愚か者は、一晩このままで放置してやるのもいい薬になるかもしれませんが」
「お兄様ぁ」
ライオネスの冗談にリンは情けない声を発する。
苦笑いしながら、サイガは刀を握る力を緩めると糸が地面に落ち、リンが解放された。
その全身には、糸の赤い痕がくっきりと刻まれていたが、そんなもの気に留める様子もなく、リンは平然と立ち上がる。
「それでは、これより公務に戻らせますので、失礼いたします。さあ、行くぞ」
兄に促され、リンは修練所の外へと歩を進めた。
「あ、そうでしたわ」
出口に差し掛かったところで、リンが足を止める。顔を隣に立つギルド支部長のオルトスに向ける。
「ご覧いただけました通り、サイガ様の実力、冒険者登録に値すると思われますが、支部長様の判断はいかほどでございますか?」
本来の目的であるサイガの評価を求めたのだ。
尋ねながら、リンは両手を広げて全身の傷を強調した。血は止まっているものの、皮が裂かれたその傷口からは、赤い肉が露出している。
「も、もちろん、合格です。すぐにでも登録の後、認可証を発行させていただきます」
支部長オルトスは強く深く何度もうなずいた。
「的確な判断と迅速な対応。感謝いたします。私も満身創痍なった甲斐があるというものですわ」
リンは笑顔を取り戻した。一端の任務を果たしたことと、苦労が報われたことで満足感を得たのだろう。
「ではサイガさま、ごきげんよう」
リンはオルトスからサイガに向き直ると、笑顔のまま上品に一礼し、スノウ兄妹はギルドを後にした。
「おつかれさん。通り名どおり、ほんとうに『暴風』って感じだったね」
戦いを終え、仲間二人の下に戻ったサイガに、セナは感想を漏らした。
「だけど、サイガも大変だね。一日で盗賊に魔物に六姫聖まで相手にしたんだから。これで冒険者になれなかったら報われないね」
「おつかれさまです、サイガさん。はい、お水です」
「ありがとう。流石にこれだけ戦いが続くと早く休みたいな。シャワーを急ぐエィカの気持ちがわかるよ」
二人に迎えられ、サイガは安堵のため息を吐いた。顔には疲労の色が見える。
「サイガさん、おつかれさまです。まさか六姫聖に匹敵するほどの方がいらっしゃるとは、私、驚きを隠せません。さすがロルフ様が推挙されるわけです!」
三人に市長秘書メリウスが駆け寄ってきた。戦いの熱気に当てられたのか興奮している。
「ありがとうございます。メリウス殿」
「ギルドの登録も先ほどの支部長の発言どおり、すぐに完了するはずです。今夜はゆっくりお休みください。宿にご案内させていただきます」
メリウスが慰労の言葉とともに三人を外へと促す姿勢をとった。それに従い、三人はロビーへと向かう。
「サイガさん。では、ギルドへの登録を行いますので、こちらの書類に必要事項をお書きください。あと、こちらの水晶玉を素手で持って覗き込んできただけますか?」
ギルドのロビーに出たところで、支部長のオルトスが声をかけてきた。その手には言葉どおり、水晶玉と書類の挟まったバインダーがもたれている。
サイガはバインダーを受け取ると名前などの情報を記入した。記入事項は名前のみという簡素なものだった。
続いて、手袋を外し素手で水晶玉を持ち覗きこむ。
オルトスは登録についてはこちらの方が重要だと語った。素手で持つことにより指紋を、覗き込むことにより顔と眼球の虹彩を登録するというのだ。この情報を認可証に登録し発行するという。
「ありがとうございます。では、認可証は明日の昼過ぎには出来上がりますので、それ以降にまたここにお越しください」
効率的な仕組みにサイガは感心し、翌日の来訪を約束した。
「つ、まさか、痛めたか?」
水晶玉をオルトスに返す際に、サイガは腕に痛みを覚えた。
セナの言うように、度重なる連戦がサイガの強靭な肉体に疲労を蓄積させて、それが発露したのだ。
「どこか痛められましたか?」
サイガの異変にオルトスが尋ねた。
「どうやら、腕を痛めたようです。あと、背中も違和感があるか・・・」
「いけませんな、六姫聖との戦闘で生じた痛みなど、放っておいていいものではありません。メリウス殿、宿はどこをご利用する予定ですかな?」
「はい、大切なお客様ですので、最高級の満月亭を予約しております」
「やはり。それならば、すぐ隣に腕のいい整体師が開業しておりますので、連絡を入れておきましょう。サイガ殿は一度そこに行かれるとよいでしょう」
メリウスの返事にオルトスは提案する。
「ありがとうございます。体のことまで心配していただいたうえに、そんな手はずまでとっていただけるとは」
サイガも礼を述べる。
「六姫聖に拮抗する方をないがしろにするなど、未来の英雄の損失になりかねませんからな。出来る限りのことはさせていただきましょう」
「わ、私達はどうなるのでしょう?その整体に同席したほうがよろしいのですか?」
エィカが尋ねた。その問いはサイガの体の心配ではなく、これ以上シャワーを延期されることを危惧している。
「大丈夫だ。そこにはおれだけで行って来るよ。二人は先に宿に入ってくれ」
「そうですか。わかりました。お言葉に甘えさせていただきます。流石にもう我慢の限界です」
気持ち隠すこともなく、エィカは元気よく返事をした。
セナが思わず笑った。
和やかな雰囲気のまま、三人はギルドを後にして、馬車に乗り込んだ。