第318話 「想いは形となって」(ストーリー)
宿場町のほぼ中央に立つ宿がある。他の宿屋とは一線を画すその宿は一泊が最低でも十万以上の価格となる、超高級宿だ。
そこの最上階、最高級スイートルームにセニアは宿泊している。
だが今はいち早く戻って鍵をかけると、中に閉じ籠りチカを閉め出してしまっていた。
その事にチカが気づいたのは、町役場から戻ってきたチカが夜の襲撃に備え、セニアと共に食事、入浴、避難をしようと部屋に入ろうとした時だった。
「お嬢様、さきほどは申し訳御座いません。お嬢様の素晴らしさと私の愛を皆様に知っていただきたい想いが迸りまして、あのような発言をしてしまいました。大変反省しておりますゆえ、どうか鍵をお開けください」
悲嘆の声で解錠を願うチカ。しかし鍵に動く気配はない。
ホテルの施錠程度なら一瞬で解除できる。チカはそれだけの技量を持ち合わせているが、それをこらえて敬愛するセニアからの許しを待つ。
◆
チカとセニアの出会いは七年前に遡る。
かつてチカは、隣国の武装組織で並ぶ者のいないほどの実力者だった。
生まれてすぐに体に焼き印を押され、組織の所有物となると、言葉を覚える間にナイフの使い方を教えられた。
五歳で人を殺した。
七歳で耐性を身に付けるため毒を投与され、一週間動けず苦しんだ。
十歳を迎えた頃には手にかけた人数は百を超え、感情と言うものを知らずにいた。
二十歳で身体が出来上がると、その実力は組織の中で抜きん出ており、踊るように撫でるように鮮やかに戦い、標的の命を奪っていた。
番号『三百七』。通称『赤い霧』。この二つが当時のチカの呼び名だった。
数えきれないほどの任務を繰り返すなかで、チカは度々目にしていた「親子」というものに強い興味を引かれていた。
組織の中には決して存在しない関係性の大人と子供。
肌をふれ合い言葉を交わす。そこにはこれまでの人生で、一度も向けたことも向けられたこともない「笑顔」というものがあった。
家族に興味を持ち、自身の境遇に疑問を抱きつつ任務を遂行するチカ。
だが揺らいだ心中は最強の戦士に精彩を欠かせ、その座を狙う者たちの悪しき企みを誘う。
運命を分かつ時はある日訪れた。
その日、チカは上位の実力者数人を連れながら行動することを命じられていた。
任務は辺境貴族の暗殺。現在の主となる男だった。
しかしその任務は偽りのものだった。チカの存在を妬ましく思う組織の者が裏で手を回し、二心有りと吹聴して幹部の不信感を煽り、任務の最中で抹殺するための陰謀だったのだ。
チカは標的の辺境貴族が領内を視察するために乗る馬車を狙った。
馬を暴走させ事故に見せかけての暗殺。生存の場合は直接手を下すというものだった。
実行は逢魔が時の帰路。日が落ち視界が鈍る時間。人家や畑などから離れた場所で馬車を待ち伏せた。
ここで刺客たちが牙を剥いた。連帯していた戦士たちが一斉にチカへと攻撃したのだ。
チカは組織の中で一番の実力者で、試合で敗北の経験はない。しかしそれは一対一での話であり、実力の近しい者たちが集団で、さらに連携をとってくるとなれば、敗北どころか死の危険すらある。
仲間から刃を向けられる理由もわからぬまま、チカは襲い来る同胞を返り討つ。
幼少の頃より共に育ってきた三百十一の心臓を貫き、技を指導した四百五十二の首を斬る。
家族や仲間の概念はなくとも、同じ時間を過ごしてきた者たち。
そこから向けられる感情の無い殺意に、チカは戸惑いの感覚を孕みながらも、冷静に対応した。
やがて夜明けが迫り、三十人ほどの戦士を討った頃には、チカも限界が近づいていた。
その機会を狙い、チカに次ぐ実力者の百十三が毒を施した剣を握り、正面から斬りかかった。
それは慢心だった。消耗しているとはいえ、チカは最強の戦士。満身創痍となり毒に侵されながらも退けたのだ。
全ての陰謀の牙を退けた時、チカは限界を迎え、川に落ちて流された。
朝、川縁で死と生の世界を彷徨っているところを領主のメイドに発見され館に運び込まれた。
女ながらに鍛え上げられた風体、おびただしい傷、明らかに堅気の者でないチカを、領主は館へと招き入れ治療を施し食事を与えた。その際に素性を問うことは一切なかった。
外から運び込まれた傷だらけの存在に、一人の幼女が興味を抱いた。当時、三歳になったばかりのセニアだった。
セニアは使用人たちの目を盗んで、度々チカのベッドを訪れては話をせがんできた。形は違うが、純粋な存在同士引かれ合うものがあったのだ。
無垢な幼女が懐くのに時間はかからなかった。
数日も過ぎた頃には膝の上に乗って、娘のように妹のように距離感を詰めていた。
初めて触れ合う暖かな存在によって、チカの胸の奥に新しい感覚が生まれていた。それを人は愛と呼ぶことを、後にチカは知る。
しかし、愛の概念と名を知らずとも、チカは胸に中にそれを感じとり、そして無自覚に涙を流していた。
膝の上のセニアはそれに気づくと、涙の伝う頬にそっと手を添えて、微笑んで頭を撫でた。
慰めの意図の有ることではなく、両親の真似事なのだが、それでもチカの心は愛情に満たされ、崩れるように泣きじゃくった。
それ以来、チカはセニアを心の主として仕え守り抜くことを誓い、全快するとメイドとして務めたいと申し出た。
領主はそれを快く受け入れると、その日からメイドの修行が始まった。
しかしここに、チカのそれからを大きく歪める原因があった。
屋敷に仕えるメイドたちが、そろってセニアを溺愛していたのだ。
メイドたちの溺愛ぶりは、メイド長から始まっていた。
職務中であれ隙あらばセニア甘やかす。さらに他のメイドたちも手取り足取り世話をし、その過保護は度を越していた。
そんなメイドたちの教育指導を受け、チカは見事に芽生えた愛を歪められ、現在の狂気の愛のメイドとなったのだ。
◆
くぅ~。と、扉の向こうから腹の虫の音が聞こえた。セニアは既に運び込まれているはずの夕食に手を着けていなかったのだ。
「お嬢様、開けてくださらないのでしたら、せめて食事をなさってください。この町は間もなく夜襲されます。準備だけでも・・・はっ!」
言いかけたところでチカは気づいた。セニアが食事を摂らない、いや、摂れない理由を。
「お嬢様、スープが熱くて飲めないのですね?すぐに冷まして差し上げますので中に入れてください!」
長年の甘やかされた環境によって、セニアは極度の猫舌だったのだ。
鍵が開く音がした。空腹を支配したチカが勝利したのだ。
「・・・ほんと?ふー、ってしてくれる?」
わずかに扉を開けて、セニアが上目遣いで見てきた。さきほどまでの怒りを引きずっているため、多少遠慮がちな表情だ。
怒りと空腹の混ざった複雑な態度を整理できていない、あまりにも愛おしすぎる振る舞いに、チカは脳と心臓を同時に射抜かれ、「はぅっ!」と声をあげて少しよろめいた。
「抱き締めたい!」「撫で回したい!」「舐めたい!」「嗅ぎたい!」一瞬で襲来した様々な欲望を抑え、チカは身を屈めて小さな天使に視線を合わせる。
「も、もちろんです、お嬢様。食事のあとはお風呂に入って地下のシェルターに避難いたしましょう」
務めて冷静に語りかけると、セニアはゆっくり頷いてチカを部屋に迎え入れた。
「チカ」
「はい、お嬢様」
「私のこと好きなら、恥ずかしいことはやめてよ」
そう言うとセニアは手を上に伸ばす。
「はい、申し訳御座いません」
優しく手を繋ぎ、二人はテーブルに向かった。
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