第310話 「ナル・ユリシーズ、最大の悲劇」(ストーリー)
目の奥に強い痛みが走る。
締め付けられるような痛み。それによってナルは不快感の中で目覚める。
「なんだ・・・医務室?私は寝ていたのか?いつの間に・・・」
鼻につく薬品の匂いが、ここを医務室のベッドの上だと教えてくれるが、就寝の記憶がない。それどころか、ペルシオスとの闘いのあとの記憶が一切存在していなかった。
「ナル様!?」
エィカの叫び声。
ナルが視線を向けると、入り口で硬直するエィカがいた。口を手で覆い、ナルを見る目がうるんでいる。
「エィカ。よかった、無事だったんだな・・・うわ!」
安堵の言葉を言い終わる前にエィカがナルに抱きついてきた。
「よかったー!ナル様、三日間も寝てたんですよ。もう起きないのかと心配しましたー!」
「み、三日寝てた?どう言うことだ?」
安堵したエィカの涙ながらの報告に、思わず問う。が、エィカは答えるどころではないほど泣きじゃくっていた。
「ペルシオスとの闘いのあと、お前ぇはその場で倒れて死んだみてぇにずっと寝てたんだよ」
またしても入り口から声がした。見るとウォルフジェンドが立っている。
「医者連中が、魔力の使いすぎによる一時的な昏睡だから休めば回復するっつってんのに、こいつは自分が目を覚ましてから張り付いて看病してやがったんだ。まぁ、頭でも撫でてやってくれや」
あきれたもの言いのウォルフジェンドだが、その顔は少し笑っていた。
「そうか、私は力尽きたのか。すまない、心配をかけたなエィカ」
そう言うと、ナルはエィカの頭を優しく撫でた。
◆
「ウォルフジェンド殿、それでペルシオスはどうなった拘束してあるのか?」
「ああ、それがな・・・」
運良く重症を逃れ、ナルとペルシオスの闘いを唯一見届けることができたウォルフジェンドが語るには、ほとんど相打ちのような形となったあと、先に動いたのはペルシオスとこのとだった。
ナルの天からの銃撃によって頭骨、背骨、骨盤、脳、内臓と、正中線にある全ての機能を損傷されながらも、驚異的な竜の生命力が命の火を灯し続けたのだ。
動き、立ち上がったペルシオスは、気を失ったナルへ攻撃の意思と構えを見せたが、次の瞬間には事切れたようにその場に崩れた。
無謀な行いは死に繋がると悟ったペルシオス。なんとか右腕だけを掲げると『隠遁竜テルトラ』の帰還魔法を発動させると、空に舞い上がり光の丘から脱出した。
あとには原形をとどめていない臓器と骨片が残されていた。
◆
「逃げた・・・だと?脳と内臓をあれだけ損傷しておいてか・・・なんという生命力だ・・・」
「オレも身体に限界が来ちまって追撃ができなかった。ちっ、死に損ないすら仕留められねぇとは、情けねぇ話だ」
苦々しく漏らして他所を見るウォルフジェンド。強者としての矜持が深く傷つけられていた。
「だがこれで、ワシがあの女を叩っ殺せる機会が巡ってくるというもんだ。さんざんにやられた借りはしっかり返してやるぞ」
粗野で野太い声。アールケーワイルドだ。
声の方を見ると、声の主は骨付き肉を大口を開けて貪り堪能している。
「お前、あれだけやられて無事だったのか!?」
ナルとの闘いの前に肉塊寸前まで追い込まれていただけに、平素と変わらぬ行動にナルは驚きを隠せない。
「バカ言え、無事なわけがあるか。ワシも丸一日眠りっぱなしで、そのあとは治療のために今朝までシルキービーの湯から出られなかったんだ。そりゃ腹も減るってもんだろ」
「今朝まで湯治か。それで、怪我の具合はどうなんだ?かなりやられていただろう」
「良く寝て美味い飯を食ったら大体治った」
アールケーワイルドはあっけらかんと言ってのけた。
「な、なんだと?リンやミコがよくそうやって怪我を治しているが、貴様も大概だな」
眉唾ものの返答に、ナルは強く訝しんだ。
「はっはっは、冗談だよ。いくらワシでも、あの連中のように化け物じみてはおらん。ここの蓄えに上等な回復薬があってそれが優先的に回ってきたんだよ。ま、大怪我と戦勝の功労者への特権だな」
「ふん、つまらん冗談を・・・だが、それは納得だな、貴様にはその資格がある。誰よりも身を呈して闘っていたのだからな」
ナルがアールケーワイルドの働きを認め、穏やかに微笑んだ。
任務の始まりの頃には考えられなかった態度に、エィカは泣きながらもつられて笑う。
穏やかな空気が医務室を満たす。しかし。
「いやしかし、さすが美の化身、大したもんだ。そんな酷い様でも笑顔は一級品だな」
「酷い様?」
「あ・・・」
流れるようになにか失言を発したアールケーワイルド。
ナルの反応でそれを察して口を塞ぐが後の祭りだった。
ナル以外の全員が凍りつく。
「そういえば・・・私は目の奥が痛くて目を覚ましたんだったな。なにか目についているのか?・・・おや、そういえば、この部屋・・・」
ここでナルが気づいた。医務室に鏡が一枚も無いのだ。
必須というわけではないが、それでも全く無いのは不自然。引っ掛かるものがあった。
ナルがエィカを見た。すぐにエィカは目を逸らす。
「エィカ」
「ひゃいぃ!な、なんでしゅか?」
名を呼ばれ、悲鳴混じりに返事をするエィカ。怯えているように見える。
「・・・手鏡をくれないか?」
「だ、駄目です。持ってこれません」
「?なぜだ?」
「光の丘の鏡は全部割れました」
目を逸らすエィカ。明らかな嘘だった。
「全部って・・・なんだその雑な嘘は!?もういい」
諦めたナルは空中に指で円を描く。氷の鏡、反鏡が出現した。手に取り覗き込む。
「ああ!ダメです・・・」
叫ぶエィカ。ナルは構わずに写った自分を見る。
そこにはもっとも美しい顔が写るはずだった。だが写ったのは、幽鬼のようにやつれた女の顔だった。
「・・・・・・???、?、?、?」
ナルは反鏡に写るのが自分であること理解するのに長い時間を要した。
一連のくだりから、ナル以外考えられないのだが、あまりにも違いすぎる容貌から、脳が理解を拒んだのだ。
「ま、まさか・・・この、枯れた木のようなのは、私・・・か?」
ようやく理解したナルが、動揺を隠せない様子で、誰ともなく尋ね顔を向けてきた。
全員が一斉に顔を逸らした。無言の肯定だった。
「いやぁああああああ!」
受け入れがたい現実に、ナルが悲鳴を上げた。
戦場で再三聞かされた竜の咆哮。それを上回るほどの絶叫だった。
「なぜだ!?なぜ私がこんな・・・こんな・・・ああああああああ!」
取り乱し、頭を掻き回すナル。髪からは艶も消えていた。
ナルの狼狽する姿に、矢も盾もたまらずエィカが抱きついて身体を抑えた。
「ナル様、落ち着いてください!それは魔力を使いきったのを肉体が補ったために一時的に消耗してるだけです!他の人たちみたいに回復に専念すればすぐに戻るって、お医者さんも言ってますから!」
暴れるナルを必死で説き伏せるエィカ。
ナルをなだめながら、エィカが呆気に取られているウォルフジェンドたちに顔を向けた。
「何してるんですか!?早くシルキービーの蜜を持ってきてください!それとスイーツをたくさん!光の丘にある甘いもの全部持ってきてください!」
ナルに負けないほどの声量で指示を出すエィカ。それを受けて全員が一斉に厨房と食材倉庫に走り出した。
一時間後、医務室の前には廊下を埋め尽くす量の果物とスイーツが列をなした。
ナルはそれを矢継ぎ早に口に放り込む。身体が欲しているのだ。
パンケーキ、チーズケーキ、マカロン、フルーツの盛り合わせ、チョコフォンデュ、シュークリーム、エクレア、クレープ、ザッハトルテ、ミルフィーユ、カヌレ、ティラミス、コーヒーゼリー、タルト、プリン、パフェ、ブッシュ・ド・ノエル。
それらを蜂蜜シロップ、ブランデーのカクテルとソーダ、練乳入りのカフェラテで流し込む。
到着と同時に消えるスイーツの消費速度に厨房は新たな戦場と化し、光の丘に平和な悲鳴が轟いた。
「ナル様、落ちついてください。ゆっくり、ね、美味しいのは逃げませんから。はい、あーん」
ナルの隣に座り、上機嫌でプリンを掬ったスプーンを差し出すエィカ。
甘味を摂取して普段の調子と肌の艶を取り戻し始めたナルは、それを赤くなりながら頬張った。
こうして、姫と反乱軍の初の公の戦、光の丘防衛戦は幕を閉じた。
お読み頂き、ありがとうございます。
この作品を『おもしろかった!』、『続きが気になる!』と思ってくださった方はブックマーク登録や↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると執筆の励みになります。
よろしくお願いします!




