第305話 「みだれゆく」(ストーリー)
戦場では異様な沈黙が続いていた。
素体がナルに封じられてから約一時間が経過したが、コージュの指示により警戒を緩めること無く監視の体制が保たれていたからだ。
「さすがにもう死んだんじゃないんですか?」
光の丘の屋上から穴の様子を伺いながら、エィカが呟く。
左手で弓を握ってはいるものの、右手には差し入れのフルーツがあり、辟易した空気を感じさせる。
「コージュ、見張りを交代制に切り替えよう。動かない敵に対して、さすがに警戒しすぎだろう」
屋上に帰還してきた長、ジオールが提案する。
「私も賛成だな。一足先に休養させてもらっておいて悪いが、程よい緩急は必要だ」
消耗した魔力を補給するため、大量のスイーツを頬張るナルが、蜂蜜で作ったカクテルにマーマレードのピューレを混ぜたものをジョッキで飲み干しながら同意した。直後、大盾サイズの容器で作られたティラミスにスプーンを走らせる。
終わりの見えない警戒体制に精神を磨り減らしていたのはコージュも同じで、提案を受け入れた。
穴の側にはウォルフジェンドとアールケーワイルド、ダブラが兵をつれて残る。
上方はナルとニューロ、ゼタが有翼種と共に哨戒。
遠方からはエィカとコージュが目を光らせる。
それぞれが交替で警戒することになった。
◆
穴の奥底から外側に凍てついた空気が漏れ出てくる。
ナルの精密な魔力操作によって産み出された絶対零度の世界は、一時間以上経過した今でも融解する様子を見せない。
「氷に変化は無し、か。凍結を維持し続けるとはやっぱりナル・ユリシーズの氷魔法は一級品だな」
光の丘側から穴の底を覗き込みながらアールケーワイルドは感心する。
「あれで魔力量は六姫聖中、四番目だってんだから、とんでもねぇよね」
後方の木陰で横になりながら、回復のためにエルフ特製の目薬を差し、目に冷えた布を当てるウォルフジェンドが豪快に笑った。
優れた目を持つウォルフジェンドとは言えども、戦いの間、ペルシオスの猛攻を見切るために過度な集中を持続し、眼精疲労が限界を超えたのだ。
しかしそれでも特級冒険者。警戒心の網は緩むこと無く張り巡らされていた。
◆
光の丘の屋上。
穴の中の素体の様子に目を光らせながら、コージュが大量の書物に目を通していた。
過去の文献、現在の論文や研究報告書。あの禍々しい素体の正体に繋がるものはないかと情報を漁る。
「だめ・・・全く何もない・・・やっぱりアレは未知の新生物ね・・・」
蔵書の最後の一冊を閉じると、コージュは深くため息を吐く。
「だろうな。長年生きてきた私でさえ、あのような異形のモノは見たことがない。さらに悪食とくればなおさらだ」
隣で紅茶を口にしながら、ジオールは穴を眺める。
「ジオール殿、よろしいですかな?」
商人組合長、狸の亜人アレックが声をかけてきた。
「何か?」
「我々商人組合は、商売柄、国内に広い情報網を持っております。そこで聞いた話の中に、気になるものがございましてね」
アレックは言いながら一枚の写真を取り出した。そこには小さな試験管に浮かぶ丸いものが写っている。
「これは巷で噂の万能胚でございます」
「万能胚?」
「ええ。人に着床させれば人に、魔物なら魔物にと、宿る先で種を変えるのです。ゆえに万能胚と」
「な、なんだと?そんな命の禁忌を犯すようなものが・・・いや、だが・・・」
ジオールが穴へと目を向けた。
種が定まらぬ生物。それは、今まさに穴の中に封じられた得体の知れない肉の塊を指すような言葉だった。
「アレがそうだと言うのか?」
「ドクターウィルを擁する王国軍直下です。充分考えられるかと」
密談のように声が小さくなる二人とそれを見つめるコージュ。三者の間に重い淀んだ雰囲気の空気が流れる。
何かに気づいたコージュが再び書を手に取る。魔物図鑑だ。
「あった。姿は全く違うけど魔法やエネルギーを無限に食らう伝説の魔物『プルポナ』と特徴が同じです」
コージュが開いて見せた書にはその通りの特徴が記されていた。
「つまり、あの化け物はプルポナの特性を与えられた人工の魔物だと言うのか?」
「そうです。ですがまだ実験の域を出ないと思われます。でなければ、あんな原型とかけ離れた姿にはならないでしょうし・・・」
「だが、これで合点がいく。超将軍がここを徴発して、どうやって神の恩寵を得る気かと考えていたが、アレで強引に接収するつもりだったのだろう、罰当たりな連中だ」
ジオールは苦々しく拳を握る。
「ですがジオール様、ご安心ください。吸収する特性を確認した時点で、対策の下地は出来上がっています」
そう言うと、コージュは光の丘の麓を見る。そこでは土木作業を得意とする亜人が忙しく働いていた。
◆
穴の中の素体に対する警戒体制が二時間も過ぎた頃、戦闘力が高い領域にいる戦士たちが動きを見せ始めた。
ナルはデザートを食べるスプーンを置き、魔力を集中させる。
エィカは弦の具合を再確認し、矢に風の精霊の力を蓄える。
アールケーワイルドはリボルバーの弾を全てオリハルコン製に入れ替えた。
ウォルフジェンドはベアリングボールを補充し、目と手の調子を整える。
「どうやら、何人かは感じたようだな」
穴の奥の素体を睨み付けたまま、アールケーワイルドは後退る。穴の中の気配と冷気に微妙な変化が見られたためだ。
「グギャアアアアアアアァオン!」
咆哮がとどろいた。竜族特有の、あらゆる獣や魔物を萎縮させる声だ。
「おうおう、鬼気迫る声だな」
木陰から休息を終えたウォルフジェンドが意気揚々と穴に歩み寄る。
戦士の性分が竜の本能に刺激されたのだ。
二人は武器を手に取り、意気を昂らせる。
「おい、弱ぇ奴らは退がってろ。無駄死にするぞ!」
ウォルフジェンドが告げると、上級以下の冒険者や救護要因の亜人たちは光の丘の中に避難した。
残ったのはウォルフジェンド、アールケーワイルド、ダブラ三人だった。
◆
ナルとエィカが真剣な面持ちで光の丘屋上の縁に立った。
共に手には魔砲ハチカンと神弓イルシュが握られている。
「エィカ行ってくる。後ろは任せたぞ」
ナルからの信頼の言葉に、エィカは真剣な顔で頷く。
「今度こそ終わらせてやる。覚悟しろ、ペルシオス!」
冷気を伴い、ナルは飛び立った。
◆
「アギャオオオオオオオオオオオ!」
再び咆哮が起こり、それと共に穴の奥から数本の黄金の光が天に向かって走る。
光を追いかけて突風が吹いた。風は冷気と氷の礫を含んでおり、ナルの氷の棘が破砕されたことを物語る。
「ちっ、なんだよ、元気一杯かよ。せっかく追い詰めたのに、無駄骨じゃねぇか」
「まぁそう嘆くな。だったら、今度こそ少しの希望も残らないぐらい、徹底的にやってやろうぜ!」
悪態をつくウォルフジェンドを、アールケーワイルドは勇ましく焚き付けた。
◆
風が収まった。一瞬の静寂。そして穴から現れたのは、長い爪を生やした四本指の巨大な腕だった。
腕は光の丘側の地面に掌を置くと、地面を掴み身体を持ち上げる。
以前登場した時と同じ動作だが、大きな違いがひとつある。腕にびっしりと鱗が生えているのだ。
それは紛れもない竜の腕だった。
腕に引き上げられた身体が現れた。しかしそれは腕にそぐわない作りだった。
身体はまるで熟れすぎた果実のようにグズグズに崩れ、背の翼も左右非対称に生えている。
身体の後方に後ろ足は無く、ただ、尾があるのみ。
そして一番の異常は頭だった。首長竜のような首には頭部がついておらず、そこには磔の姿勢の裸のペルシオスがいたのだ。
ペルシオスは意識の無い様子で、生きてるか死んでいるかもわからない状態だった。
これまで以上の異質な姿。
それを目撃した戦士たちは、誰が音頭を取るでもなく戦闘態勢をとった。
お読み頂き、ありがとうございます。
この作品を『おもしろかった!』、『続きが気になる!』と思ってくださった方はブックマーク登録や↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して下さると執筆の励みになります。
よろしくお願いします!




