第28話 「風を切り裂いて」(バトル)
奇襲を右腕で受け止め、空いた左腕でサイガの足首を掴もうとリンの掌が足首に迫った。
捕獲の動きを察したサイガは、振り下ろした踵と逆の足で丸太のような前腕を蹴ると、体を宙に翻しリンの掌を回避した。距離を空けて着地する。
「容赦のない、見事な不意打ちですわね。躊躇なく勝ちをとりにいく姿勢は評価に値しますわ」
実力を示すことが登録の条件。となれば、一撃で決着がつけばそれがベストな結果となる。
サイガはそれを狙ったのだが、やはり、試合をするとなるだけで野次馬がごった返すほどの高名な戦士、そう思い通りにはいかなかった。
踵を受け止めたリンの前腕は、その太さもさることながら硬さも丸太そのものだった。
「では、こちらからもいかせていただきますわよ」
腕にわずかに痺れを残し、リンが前傾で攻撃態勢に入った。力強く一歩踏み込む。しかし。
「痛っ!」
足に発生した激痛に戦闘の意思をくじかれて、リンはその動きを止めた。視線を痛みの箇所、足に向ける。そこには、ブーツを貫き足の甲に深々と刺さったサイガのクナイがあった。
「く、これは・・・」
「回避の際に打ち込ませてもらった。追撃を防ぐためにな」
「抜け目がありませんわね。それでこそですわ」
リンはまた笑った。奇襲にも痛みに対しても笑みを絶やさないその姿は戦闘狂そのものだ。
「面白い武器ですわね。この国では見ない形ですわ」
リンはあっさりと突き刺さったクナイを引き抜くと、その形状を観察した。その顔には痛みを意に介する様子はない。
「お返ししますわ」
脇で血をぬぐい、リンがクナイをサイガに向けて放った。
サイガは顔面の目前で、飛来したそれを掴むと、懐にしまう。
その動体視力と反応の精密さに、リンはさらに興奮に体をふるわせた。
「ふふ・・・自分の血を見るのは、しばらくぶりですわ」
リンは赤らんだ頬に手をあてて、ため息混じりにつぶやいた。
「サイガ様、感謝いたします。こうやって血を見ることで心臓が高鳴り、沸騰するような熱が全身を巡り、私は生を実感できますの」
静かに粛々と語ってはいるが、リンの顔はこれまで以上に歪んだ笑顔となっていた。
口角が上がろうとするのを必死におさえてはいるが、全身からその喜びがにじみでている。
「生の実感を与えていただいたお礼といってはなんですが、お返しに私が『暴風』と呼ばれる所以、お教えいたしましょう」
魔法で出現させたのか、いつの間にかリンの両手に、一本ずつ長さ一メートルほどの鎖が握られていた。
「それでは、こんどこそ、いかせていただきますわ」
鎖を軽々と縄跳びのように回転させると、空気を割るような金属音が修練所に鳴り響いた。
リンの豪腕によって回転する鎖は、たわむことなく伸びきり、まるで円盤のようだ。
「いざ!」
重心を前に傾け、リンが突進を開始した。
左下から右上へ、鎖の先端がサイガのいた場所を通過した。
リンの初撃を、サイガは絶妙な間合いで鎖の動きを見切り、必要な分だけ退いた。あまり大仰な動きは反撃の機会を失うからだ。
回避に成功したサイガの背中に、冷や汗が一気に噴出した。
リンの鎖は力任せに振り回しているように見えて、的確に急所のある場所を狙ってきているのだ。それに加え、通過したあとに発生する余波と風は強く、サイガの体をあおってバランスを微妙に崩させる。
バランスが崩れることにより、わずかに狂った感覚がサイガから反撃の機会を奪うのだ。
「この間隔のない連撃が続けば押し切られる。しかも一撃でも喰らえば即死だ」
サイガの予想通り、鎖の威力は強く、何度か回避されて地面を掠めた攻撃は、その度に地面にこぶし大の穴を穿ち、床に瓦礫をまぶす。
掠めるだけでコンクリートの床をえぐる威力。人体に喰らえば場所を選ばず致命傷だろう。
サイガは視覚に全神経を集中させ、矢継ぎ早の攻撃をかわし続けた。
何度目かの回避のあと、鎖の動きに変化が起こった。鎖の先端が、意思を持った生物のように自在に方向を変えて襲い掛かってきたのだ。
上から下へ通過したかと思えば、次の瞬間には跳ね上がるよう上昇し頭部を掠める。
回転の最中にも、思いついたかのように腕の動きを無視して突出してくるのだ。
「魔法のある世界で物理法則だけを重視する気はないが、この動きは不規則すぎて厄介だな」
魔法を用いて鎖を操っているのだろうが、正体がわからなければ迂闊に飛び込むこともかなわない。サイガは警戒心を一層増して距離をとった。
「変幻自在に動くというなら、その動き封じさせてもらおう」
サイガは鎖の射程から逃れると小さな球を取り出し、リンの足元の地面に叩きつけた。
着地と同時に、瞬時に黒い煙がリンの全身と周囲を包んだ。煙幕弾だ。
「なんと、こんな物をお持ちですのね。ますます上等ですわ」
煙幕の闇は深く、周囲の状況をわずかにも確認できない。纏いつく暗闇の中で、リンは動きを止めた。迂闊に動いて煙からの脱出を急げば、そこをつかれる恐れがある。気を張り詰め、襲撃への警戒に専念した。
サイガはリンの警戒の防壁の隙間を縫って斬撃を繰り出した。
肩、腿、胸、背と四方からほぼ同時と錯覚するほどの速さで斬りつける。しかしそのどれもが分厚い筋肉に阻まれ決定打には至らない。
「は、速い」
サイガの疾風の連撃をうけ、初めてリンが動揺の声を上げた。その額にわずかに汗が浮き出る。
「この程度では終わらんぞ。忍びの技、その恐怖の真髄をとくと味わってもらう」
耳元でささやくサイガの押し殺した声が、リンの警戒心に喰らいついた。