第02話 「森」(ストーリー)
謎の現象から数瞬の後、サイガは我を取り戻し刀を構え直すと警戒の帳を自信の周りへと張りつめた。その警戒心の向けられるのは、先ほどまで死闘を繰り広げていた宿敵だ。
ドウマ。あの忍もサイガと共に光に包まれたのだ。姿は見えずとも、その存在を脅威とすることは当然のことだった。
堅牢な心身の要塞を築いて約一時間、緊張感を保ったまま付近の茂みや木々の影の索敵を終え安全を確信すると、サイガは刀を鞘に収め肩から力を抜いた。
緊張続きだった男にようやく安息の瞬間が訪れた 。顔を覆う黒い頭巾をずらし口を露にすると、大きく空に向かって息を吐き出した。
サイガ。令和の時代を生きる現代の忍。年齢は二十代の後半。左の頬に大きな傷を持ち、鍛えぬかれた身体には無数の武芸を習得させている。その上、纏った忍装束には忍の歴史と科学技術によって産み出された、最新の忍具が仕込まれている。
「とにかく、場所を特定せねば」
そう独り言を呟くと、サイガは周囲を見た。辺りは見渡す限りの木、木、木。何一つ目印になるものはない。
「とりあえず森は出るか」
現状に絶望感を覚えつつ、サイガは腹をくくったように走り出した。
人里を求めて森の中を駆け始めてから数十分ほどたった頃、サイガは違和感を覚えた。同じ景色が何度も目の前に現れるのだ。
最初は、見知らぬ森で方向感覚が乱された。と、思ったが、
長年の修行で鍛えたサイガの感覚は、目を閉じても東西南北を見失わないほど確かなものだ。さらにそれに加え、方位磁石を使い、木には印を残した上でひたすらに北に向かったが、やはりサイガの前には同じ印、同じ景色が現れる。
疑いが確信に変わり、サイガが足を止めた。 「なにかに惑わされているのか?」
一度解いた警戒心の城壁を、サイガは再び築き直した。この、あまりにも不可解な現象に、幻覚を誘う薬物やガス、そしてそれを扱う何者かの存在を疑ったのだ。
視覚、聴覚、嗅覚。用いられる感覚を総動員してサイガは索敵をした。そして感覚の一つ嗅覚に一つの存在をとらえた。それは獣の臭いだった。茂みに遮られその姿を視認することは出来ないが、数メートル先にその獣は存在している。それを裏付けるように、低く響くような唸り声が聞こえてきた。
臭いの主がこの不可解な現状を解決に導くとはサイガは考えなかったが、かわりばえしない状況に変化が訪れることを期待し、茂みの隙間から臭いの正体を確認した。その姿を目にしたサイガの脳は一瞬、理解を拒んだ。
茂みの隙間から見えた獣の姿。それは鹿だった。だがそれはサイガの知る鹿ではなかった。形は鹿のそれなのだが、首が、胴が、足が、全てが太いのだ。
大型の獣は多々知っている、バッファローやヘラジカなどだ。そして仕留めたことも幾度となくある。それらの獣はその大きさに比例した肉付きをしているのだ。
しかし、その獣は違った。体格と筋肉の大きさがつりあわない。各所の筋肉が膨張したような形で、まるでバルーンアートのような体格なのだ。
さらにそれ以上に、サイガの目を引く異形がその鹿のような獣にはあった。肉食獣のような牙が生えているのだ。それも一本や二本ではない。生えている歯の全てが牙であり、口の中に隙間なく歯列を形成しているのだ。
怪物。サイガの脳裏にそんな言葉が浮かんだ。それほど、これまでの知識、常識からかけ離れた姿をしていたのだ。
異形の獣が大きく唸り声を上げた。気配を消していたつもりだったが気取られたかと、サイガが茂みから姿を現そうとしたが、その矛先はサイガではなかった。獣の眼前には一人の女がいたのだ。
女は栗色の長い髪を後ろに束ね、両手で一本の鉈を握り牽制するように睨み返していた。肉食獣の牙をもつ異形の鹿とそれに襲われる女。鉈の一本で覆るはずのない絶望的な戦力差なのはあきらかだった。
偶然とはいえ遭遇してしまった危機的状況に、サイガは握った刀に殺意を宿らせた。続いて獣の仔細な情報も確かめずに飛び出す姿勢をとる。ねらうは致命的な一撃を期待できる急所、頚動脈だ。
サイガが茂みから飛び出し、異形の鹿へと襲い掛かった。その姿はあまりの速度に人としての形が認識できないほどだった。
瞬時に、黒衣に包まれた殺意が鹿の太い首の右へと着地した。それと同時にその首には刃が深々と突き刺さっている。
首への違和感に対し、鹿が一瞬遅れて反応し右を向いた。が、すでにサイガの姿はその視界に捕らえられない居場所にあった。
サイガは右動脈に刃を突き立てると、即座に体を深く沈め首下をくぐり、左へと回り込んだ。その際、刃は首に突き立てられたまま。持ち手を巧みに代えることにより、下、横、上へと滑るように首に沿って動いた。その跡には赤い轍が現れる。
刃を抜くと同時にこびりついた血と脂を拭い取り、サイガは音を立てて刀を収めた。
サイガの動作を見届けたかのように、鹿の赤く鮮やかな傷口から鮮血が噴出した。
思いもよらぬ方向からもたらされた、思いも寄らぬ致命傷の一撃により、異形の鹿は現状を理解すると、大きく体を跳ね上がらせ、両前足を左にたたずむ謎の黒い者を踏み潰さんと狙いを定めた。
しかし、異形の鹿の狙いは頓挫した。大きく弧を描いた喉の傷口から噴出し続ける赤い奔流は、瞬く間に命を奪い去ったのだ。
逆流する血で喉を塞がれ、断末魔をあげることもなく絶命し、その巨体が地面を叩いた。
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