第236話 「ミコのあな」(バトル)
ミコの小さな身体を鷲掴みにした、プランクデーモンの手が地面に急接近する。
「そんなので、ミコがやられるもんか!」
ミコの身体はネコのように柔らかい。可動域の広い間接と、幼子のように柔和な筋肉がそれを可能としている。
そして、その肉体の真価を遺憾なく発揮し、ミコは流体となってプランクデーモンの手から脱出した。
まるで鰻のように、一切の摩擦を生じさせることなく、するりと華麗に抜けた。
「うわ、マジウケる。動きも猫かよ」
ミコの動きを見て、セティが笑いだした。
「うるさい!静かにしろ!ひっかくぞ!」
魔物との戦闘の最中での緊張感を欠く態度に、ミコはイライラをつのらせていた。
「なんだ、あの動き?あんな動きをする滑らかな筋肉なんて見たことないぞ。絶対食べてやる!」
ミコのしなやかな動きを実感し、プランクデーモンの食欲に火が着いた。空腹が後押しし、餓狼の如くヨダレを滴らせ、怒鳴り、飛び散らせる。
「うわ、なんだよこいつ。汚ねーな」
飛散するヨダレを、軽やかにセティは躱した。
「ま、どうせこいつの相手すんのアタシじゃねーし。じゃーな猫娘、さっさと挽き肉にされて食われてくれよ。そーすれば、アタシが楽できっからさ」
そう言うと、セティの身体と空間が歪み始めた。現れたときと逆の現象が起こっていた。
歪んだ空間が渦となって収束を終えると、セティの姿はすっかり消え去っていた。
「消えた?なんだったんだ、あいつは?まぁいいや、オレはお前が食えたら満足だ!」
消えたセティのことなど気にも止めず、プランクデーモンが指を踊らせ、ミコの捕獲準備を整える。
ミコはそれに対し、前のめりに爪を構えた。
「にゃ!」
間をおかず、ミコが先制攻撃を仕掛けた。
真横に跳躍すると、壁を蹴り斜め上に跳び、プランクデーモンの真上の天井へ逆さに着地する。
頭上。完全な死角をとった。
「死にぇ!」
飛びかかりながら、右手の爪を振り下ろす。勝利を確信した一撃だった。
しかしミコの攻撃は、その思惑と反してプランクデーモンに届かなかった。
爪は目標である頭の直前で空を斬ったのだ。
大きく狙いを外したミコが着地した。
しかし想定外の事態に体勢を崩し、右手を着いてしまった。
そして、プランクデーモンはその隙を見逃さない。右拳をハンマーのように振り下ろして、ミコの背中を叩いた。
しかも、巨大すぎる拳は、背中のみならず頭も腰もまとめて襲った。
ミコの身体は、地面に広がるように打ち付けられた。
「み゛ぁう゛!」
激痛が悲痛な鳴き声を呼んだ。
「なぁんだ。締まりがよくて、いい身体してたから強そうだと思ってたのに、攻撃外す雑魚じゃん。じゃあ、約束通り挽き肉にしてあげるね。ほりゃ!おりゃ!そりゃ!」
プランクデーモンの左右の拳が、交互にミコの背中を叩く。
しなやかで強いが小柄な身体は、床と拳に何度も何度も挟まれ、その間で何度も跳ねる。
「潰れろ!潰れろ!ぐちゃぐちゃにして食べやすくしてやるぞ!ひゃっひゃっひゃ!」
狂喜の声を上げながら、小柄な少女に執拗に攻撃を繰り返すプランクデーモン。
そんな悲惨な光景を、一人の人物が見ていた。先ほど姿を消した中将軍のセティだ。
「ヤッバ、アイツ殺意強すぎじゃね?アタシでも引くんですけど」
ミコを追い詰める攻撃に、セティは呟いた。
◆
中将軍セティ。
またの名を『眩惑のセティ』といい、様々な惑いの魔法に長けた魔法戦士だ。
セティは逃亡したと見せかけて幻覚魔法でミコとプランクデーモンから姿を隠していたのだった。
目的はただひとつ。ミコの死を見届けるためだ。
そしてその死を確実なものにするために、セティは異名の由来となる眩惑の魔法を発動させていた。
それは、人間の感覚に作用し認識を狂わせるもので、その効果によってミコは必中のはずの攻撃を外し、そして目論見通りその命は危機を迎えていた。
◆
「うう・・・く・・・」
全身打撲によって、虫の息となったミコ。
そんなミコの尻尾を掴み、身体を持ち上げるプランクデーモン。
尻尾の根を中心に、頭と手足が垂れ下がる。
「ひっひっひ、肉は柔らかくなったかな?それじゃあ、いっただっきまーす」
ミコの頭にかぶりつこうと、大きく口を開くプランクデーモン。
力なく下を向いた頭が、徐々に暗い穴に向かう。
「あーーーー・・・あ、あれ?」
口にはいる直前、プランクデーモンの腕からミコの重さが消えた。
口を開くために天井を向いていた目をミコに向ける。
そこにミコの姿は無く、掴んでいた尻尾だけがあった。
「あれ?尻尾がとれた?なんだ、こいつ獣人じゃなくてただの人間か。なんで尻尾なんてつけてんだ?」
ミコは獣人族の王である母『タマティ』を敬愛していた。そのため、少しでも猫科の獣人である母と同じになりたくて猫を模した格好をしていた。
猫耳はカチューシャ。髭は付け髭。爪は聖具・獣撫。そして尻尾は肛門に差し込まれていた。
その尻尾がミコの体重を支えきれずに、身体が抜け落ちたのだ。
「え?マヂ?あの猫娘、尻尾をケツにハメてたの?なに常時変態プレイかましてんだよ。あ、ヤバ!」
これまでの命のやりとりの流れとはあまりに違いすぎる展開に、セティは思わず声を漏らしてしまった。あわてて口を両手で塞いだが、時すでに遅く、プランクデーモンはセティ気付いた。
一気に険しい雰囲気を醸し出し、プランクデーモンは声の聞こえた空間へ顔を向ける。
確実にではないが、場所のアタリはつけていた。
動きの無いミコを床に差し置いて、声の場所へ歩み寄る。
「ヤッバぁ!『酔感』『焦乱』『惑いの標』」
接近するプランクデーモンに対し、セティは下手に動かず、感覚を狂わせる魔法を多重発動させた。平衡感覚と焦点と目標を狂わせる魔法だ。
高位の魔物に対してあまり効果が期待できるものではないが、それでも対象の足先をずらすことには成功した。
セティから二人分離れた場所の臭いを、プランクデーモンは嗅ぎ始めた。
「ここから聞こえたなぁ・・・さっきの女か。匂いも気配も無い。うまく隠れてるんだな。だったら・・・」
プランクデーモンが拳を握り力を込め始めた。血が腕に圧縮され、拳が膨張する。
「まとめてつぶれちゃぇえええ!」
拳を上方に向かって一気に振り上げた。
激しい衝撃が天井を叩くと、音を立てて崩落し出した。
隠行を暴く行為を煩わしく思ったプランクデーモンは、まとめて瓦礫で押し潰すことにしたのだ。
「マ?いくらなんでも脳筋すぎじゃね?」
プランクデーモンの力任せの解決策に、セティの隠行は乱れた。姿を隠すことは出来ても、防御力は皆無だったからだ。
「みーつけた」
天井が崩落し、巣が壁だけを残す姿になったところで、隠行が剥がれたセティが姿を表した。
舌なめずりをしながら、プランクデーモンが近づく。
「こそこそ隠れて何してるか知らないけど、変な術ばっかり使うヤツは、今殺しちゃおっかな」
「ちょ、ま・・・うぷっ」
真正面。セティの顔の紙一重の位置にまでプランクデーモンの顔が近づく。瘴気に染まった吐息が顔にかかり、思わず眉をひそめ吐き気をこらえる。
「死ね」
言うと同時に、プランクデーモンは大きな両の掌でセティを挟んだ。
挟撃による圧力で上半身が圧縮され、激痛でセティは悲鳴を上げる。
「きゃあ!」
悲鳴を言い終わらないまま、セティは膝から崩れた。
追い討ちをかけるように、プランクデーモンは短い足でセティの腹を蹴った。
身体が一瞬くの字に曲がり、後方に飛ばされて背と後頭部が壁に叩きつけられる。
「・・・・・・マジ、かよ・・・」
わずかの間に左右、腹、背、頭と、致命的な箇所に致命的な威力の攻撃を受け、セティは地に伏した。
しかしそんななかでも、辛うじて意識を残していた。そこは中将軍の意地でもあった。
「ヤバ・・・このままじゃ、マヂ死ぬんじゃね?・・・ケツの穴で動揺してバレるなんて・・・バカじゃん・・・」
もはやどこの痛みかもわからないほどの激痛の中で、セティは命の危機を実感する。
口に中に広がる血の味は、口の裂傷か胃の破裂か区別がつかない。あるいはその両方かもしれないという危険性も、不安を後押しする。
「不味そうだけど、お前もちゃんと食ってやるから、安心して死ねよ」
プランクデーモンが、わずかに意思の残る頭部を右足で踏みつけた。
力と体重をかけると、セティの頭骨内部に軋む音が鳴り渡る。
「あ、あが、あ・・・ぎぎぎぎ・・・」
言葉になら無い苦しみ。
数秒後には頭が西瓜のように爆ぜることを予想させる圧迫。
痛みは、この窮地から脱する策を考える思考力をセティから奪っていた。
「はい、おわりー」
「いやぁあああああああ!」
プランクデーモンの愉悦の声とセティの悲鳴が混ざりあった。
死を両者が確信した次の瞬間、後方から一筋の斬撃が走った。
斬撃はプランクデーモンの左足を斬り飛ばすと、その巨体を宙に浮かせる。
「いってぇええええ!な、なんだぁ?あ、足がぁあああ!」
突然の事態に、プランクデーモンは狼狽しながら仰向けに転がった。その目で斬撃が来た方向を見る。
そこには、満身創痍のまま、怒りの形相で全身を震わせるミコがいた。
「お、お前、生きてたのか?」
「・・・やった・・・」
「え?」
ミコは質問に答えない。その代わりに、同じ言葉を何度も呟いていた。
「どこやった?ミコの尻尾、どこやった!?ミコの尻尾返せぇええええええ!」
明らかに正気を失っていた。それだけ尻尾というものがミコの精神的支柱だったのだ。
「しっぽかえせぇぇぇえええええ!」
怒りに任せたミコの暴走が始まった。
イメージイラスト(AI)※あくまでイメージなので、他のイラストと差異があったりしますがご容赦ください。
○中将軍 眩惑のセティ
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