第234話 「重機の如き女 リリー・コールド」(バトル)
ミコに対する魔物の愚行を目の当たりにして、シズクヴィオレッタは激怒した。
昂った感情のままに前進し、抜刀し、振るう。
「死ねぇ!」
怒りの込められた刃の初撃が魔物の脛に食い込むが、生い茂った体毛が受け止めた。
「なんや、刃ぁ通らんやないか!ダボが!」
魔物の耐久性に、シズクヴィオレッタは激しく汚く暴言を吐く。
◆
ミコの頭を掴む魔物、その名は『プランクデーモン』。魔物の中でも上位の魔物で、からかい半分で他者の命をもて遊ぶ。
そしてそれを実行できるだけの実力、魔力を併せ持つ。
巨体の人型だが首は身体にめり込み、肩は盛り上がって耳の高さに並ぶ。
腕は太く、拳はそこから広がるように大きい。
腹や胴は太く、足は短い。
全身は黒く短い毛に覆われて、その中から赤い目が覗く。
◆
「ひっひっひ、そんなの効かないよー。ざーこ」
鋭いはずのシズクヴィオレッタの斬撃を脛の深い毛で受け止めたプランクデーモンは、不快な笑い声を発して挑発してきた。
無力な足下の人間を捨て置き、プランクデーモンは掌中のミコを持ち上げ眺める。
「なんだぁこのガキ、肉がなくて不味そうだな。どれどれ・・・」
毛に覆われた口が開き、人間の腕一本分もありそうなほど長い舌が、ずるりと這い出した。
大量の唾液が糸を引いて地面に流れ落ちる。
滑りのある唾液にまみれた舌が、ミコの爪先から、なぞるように足、腹、胸、顔の順で撫でる。
そのおぞましい光景に、リリーの全身に鳥肌が立った。
「おえっ!気持ち悪ぃ」
思わず顔が歪み、吐き気が込み上げる。
「うひゃっすごい。このガキ、めちゃくちゃ美味いぞ!肉の質、汗の味、こんなごちそう初めてだ!」
ミコの味を確かめると、プランクデーモンは声をあげて喜んだ。ミコの獣のようにしなやかな身体は、魔物にとって極上のものだったのだ。
「な、なにしてくれてんねん、こんボケェ!」
唾液にまみれたミコを見て、シズクヴィオレッタはさらに怒りの段階をあげた。
しかし、その怒り、感情が仇となった。
乱れた心のままに振るった刀は、冴えを失いなまくらと化したのだ。
その粛々たる足取りは、凪の湖面に波紋すら立てないと評される静海一刀流の真髄を、シズクヴィオレッタは完全に失念していた。
突こうが振り抜こうが、怒りに支配された刃では、プランクデーモンに傷を負わせることはできない。
そしてその状況は、シズクヴィオレッタに更なる焦りを抱かせる。完全な悪循環に陥っていた。
「くそっ、くそっ、なんでや!なんで効かへんねん!なんで死なへんねん」
「ひゃっひゃー、ダメダメー。そんなんじゃ何度やっても意味ないよー」
何度も刀を振るが、それは、次第に当たることすらなくなっていった。
調子を乱し続けるシズクヴィオレッタに、挑発を続けるプランクデーモン。
戦況は魔物の掌の上だった。
「もういいかな、飽きちゃった。じゃあ、おまえが死ね」
これまで攻撃をいなす一方だったプランクデーモンが反撃に出た。
大きな右の掌を無造作に振ると、注意の散漫となり防御を怠っている左半身を襲う。
「しまっ・・・ぎゃっ!」
決して油断をしていたわけではない。だが、怒りで狭窄していたシズクヴィオレッタの視野では、その大きな動きすら捉えられていなかった。
上半身をまるごと覆いつくすほどの大きさの掌よる打撃を受けたことで、シズクヴィオレッタの身体は浮き上がり、吹き飛び、近くの岩に叩きつけられた。
身体の左右に尋常ならざる痛手を受け、シズクヴィオレッタはその場で意識を失った。
「あれはまずい、すぐに手当てをしないと!」
リシャクが走り出し、一目散にシズクヴィオレッタのもとへ向かう。
一方、リリーも走り出した。その足はプランクデーモンへと向いていた。
プランクデーモンの背から黒い翼が生えた。数度大きく羽ばたくと、その巨体を浮かせる。
「てめぇ、逃げんじゃねぇぞ!」
シズクヴィオレッタに劣らぬほどの怒声でリリーが叫んだ。
「やだねー、早く巣に帰ってこいつを食べるんだ」
言い捨てると、プランクデーモンはさらに強く羽ばたき始めた。
「逃げんなっつってるだろぉが!」
走りながら、リリーが両手を開いた。そして爪を立てるような形に変えると、両手に闘気を纏わせ、工具の加護と具現の加護を発動する。
闘気が形をとって具現化した。立てた爪の位置に五寸釘が出現する。現れた数は指に沿って十本だった。
「おおおらぁ、『ネイル・ケルツ』!」
釘を宿した手を大きく振りかぶり、そして振り下ろした。
右から五本、左から五本。釘がプランクデーモンに向かって発射された。
飛来した五寸釘が、プランクデーモンの左の毛深い太腿に、十本全部、根元まで深々と突き刺さった。
「いったぁあああい!」
激痛に叫びをあげるプランクデーモン。
痛みに気を取られ、巨体が左に傾く。
一瞬だけ動きが鈍った。
そしてそこにリリーが追い付いた。
リリーの右腕で、更に具現の加護が発動する。
右腕全体を覆う、重鎧のような金属製の武骨な形状に掬うような先端。闘気はパワーショベルの油圧アームと化していた。
「どりゃあ、『ユンボ・エルグ』!」
パワーショベルの右腕が一気に振り抜かれた。
動きの遅れていた左足を襲うと、シズクヴィオレッタの刃を退けた体毛ごと、足を根元から斬り飛ばした。
「ぎゃあああ!」
「くそ、背中ごと抉るつもりだったのに。避けてんじゃねぇよ!」
「ふざけるな、避けるに決まってるだろ。なんだよその技?オレの足を切断するなんて・・・」
プランクデーモンは、己の耐久性に絶対の自信を持っていた。
そのため、シズクヴィオレッタの攻撃に対し余裕の態度を見せていたのだ。
だが、その慢心に近い自信と、自慢の肉体は、加護の申し子リリーの一撃で、文字通り吹き飛んだ。
今は、肉薄する命の危機に怯えるだけとなってしまった。
「は、は、はやく、はやく逃げなきゃ」
「無駄なんだよ!『ノーバン・チェーン』!」
必死に逃亡を図るプランクデーモンに向けて、リリーが左手を伸ばすと、手の先から具現化された鎖が現れ、右足に巻き付いた。
「や、やめてぇぇ!」
抵抗し、羽ばたくプランクデーモン。リリー、腰を深く落として鎖を引き、それをくい止める。
翼の飛行する力と、鎖の留める力が拮抗する。
「うおおおおお!逃がすかよぉぉぉおお!そいつを返しやがれぇええええ!」
血管が千切れ飛びそうなほどの気合いと声を発し、リリーは更に加護を発動させた。
背に闘気が集結し、形成を始める。
そこに現れたのは、リリーの華奢な身体に似つかわしくない金属の塊、ディーゼルエンジンだった。
エンジンが駆動を始めた。
巨神の鼓動のような力強い音が鳴り響き、生まれた爆発の力が背から左腕へと伝わる。
「おらぁああ!これでもう逃げられねえぞ!こっちこいやぁ!」
リリーが鎖を手に巻き付け、プランクデーモンを引き寄せる。
一巻き二巻きと、鎖を手繰り巻く度に、巨体を地に引き寄せる。
「今度こそ終わりだ、くたばれ!ユンボ・エルグ!」
右腕の油圧アームが唸りをあげる。プランクデーモンの命を刈り取るために大きく弧を描いて振り抜かれた。
「ち、ちくしょう、こうなったら仕方ない・・・足を捨てる!」
「何だと!?」
言葉の意味をリリーが理解するまえに、鎖で繋がれた左足が腰ごとプランクデーモンから分離した。その瞬間、鎖から抵抗力が消える。
プランクデーモンの思いきった行動に、リリーは対応が遅れた。
引く力を緩めることが出来ずに、自らの引力で後方に転がった。
「くそ!とんでもねぇ手を使いやがったな!」
プランクデーモンは下半身を切り捨てた。それだけ、ミコの肉体は魔物の食欲を駆り立てたのだ。
下半身を失い、身が軽くなったプランクデーモンが高速で飛翔した。瞬く間に遠ざかる。
「くそったれぇ!ざけやがって、絶対捕まえて殺してやるからな!」
遠く、巣に向かって消えていく半身のプランクデーモンに、見送ることしかできないリリーが怒鳴った。
奥歯を噛み締めると、その悔しさを、残された下半身にぶつけて殴り潰すことでわずかに怒りを鎮めた。
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