第176話 「雪月花」(バトル)
藤色の着物のところどころに赤がまだらに浮き上がる。
シズクヴィオレッタはペティのスキルを纏わせた髪によって、全身に切創を負わされていた。
超化の影響によって、精神を乱したペティのスキルは本来の効果を充分に発揮できず、全てを切り裂くはずの威力は低下し、シズクヴィオレッタに深手を負わせる程度にとどまっていた。
一方のペティも背に浴びた一刀の傷から絶え間なく血が滴り落ちていた。
対峙する敵に比べ傷の数は少ないが、熟練の一刀は深い傷を刻み、体力を大きく奪う。
ペティは精神と共に体力も消耗していた。
「あかん・・・傷が多すぎるわ。このまま時間かかってしもたら、ウチが先に参ってまうわ・・・」
失われる血が増えるに連れ、シズクヴィオレッタの息が徐々に荒くなっていく。
長引けば死。
早期の決着を狙い、シズクヴィオレッタは深く息を吐いて呼吸を整えた。
「長い修練の果てに身についた技ゆうもんが、どないなもんか見せたる!」
シズクヴィオレッタから放たれる覚悟の気迫を受け止めると、ペティは両手に握る髪の束をしならせ、束ねをほどいた。
髪は独立した一本一本が剣聖のスキルを宿す。広がりがあるほうが攻撃範囲が広がるのだ。
「死ぃい、ねっ!!」
両手の髪の束を、ペティが全力で振った。数千の斬撃が生じ、シズクヴィオレッタに飛来する。
再びシズクヴィオレッタの体を斬り刻むため、斬撃が触れようとした瞬間、シズクヴィオレッタの体が蜃気楼のように消えた。
空を斬った斬撃は地面に届き、細い溝を掘る。
「き、消えぇった?」
「こっちや」
ペティの右から声が聞こえた。
不意の声にペティは体が反応し、思わず右に頭を向ける。そこで目にしたものは、右下方から滑る様に斬りこむシズクヴィオレッタだった。
ペティは咄嗟に右腕の篭手で刀を迎えたが、熟達したシズクヴィオレッタの刀技は篭手ではなく、その先、鎧の節目である手首を狙った。
刀の通過後、手首は音も無く地に落ちた。
「ぐぅああああ!」
血を撒き散らしながら、ペティは右腕をシズクヴィオレッタに向けて振った。しかし、既にそこに怨敵の姿は無い。
「こっちやこっち」
今度は前から声が聞こえる。
前を見ると、消えたシズクヴィオレッタがいた。
消えては出て、出ては消えるその動きに、ペティは戸惑いの顔を見せる。
シズクヴィオレッタは静海一刀流独自の歩法を使用していた。その名は『幽歩』(ゆうほ)。
『幽歩』。その動きは柳の下の幽霊の如く、おぼろげにしてうつろいやすい。足無き幽鬼の動きは向かう先を読ませずに見るものを惑わす。
幽霊を模した軽やかな足どりで、シズクヴィオレッタはペティを弄ぶ。
前と思えば横、横と思えば後前。
追えば追うほど、姿は消えては出てを繰り返し、現れるたびに体を刃が走る。
ペティは体を刻まれ続け、鎧は既にすべて地に落ち、衣服も切り裂かれ、致死量に匹敵する出血をしていた。
「こんだけ斬ったら、普通は死んどるんやけどな。これも超化っちゅうやつのおかげなんか?」
瀕死の敵に対し闘志を一切緩めることなく、ペティに対峙するシズクヴィオレッタは構えを続ける。
対するペティは失った血と傷の多さから、動きが鈍り息が荒い。左目も潰れ、索敵もままならなくなっていた。
「そやったら、狙うんは首!」
シズクヴィオレッタは再び幽歩で進み出た。
幽霊のように消える姿に、ペティは怒りを露にし辺りを警戒する。しかし、その予想は外れた。
シズクヴィオレッタは正面上方に姿を現すと、軽やかな刀捌きで上から下へ刀傷を全身に刻み込む。
それは降雪を模した技だった。
「『静海一刀流 奥義 無形・雪』」
ペティ前面の無数の刀傷から一斉に血が吹き出した。
「ゆらりゆらりと舞う雪は、風に吹かれて右左。思いこがれて手を差し出せば、触れたそばから露となる」
技と共にシズクヴィオレッタは詠う。
静海一刀流は自然の成り立ちから技を編み出す。奥義 無形は、うつろい易い自然の儚さを現した自然そのものの技なのだ。
「ぐぅおおおおおお!」
刻まれた傷の痛みに耐えかね、ペティが体をたわませる。
止まることなく、シズクヴィオレッタの刀が走った。振り下ろした下から上へ、鮮やかに弧を描く。
「『静海一刀流 奥義 無形・月』」
強烈な逆斬りは、ペティのたわむ上体を反らせた。
「一夜ごとに顔背け、ついにはそっぽをむてしまう。夜空に浮かぶ真円よ、どうかこっちを向いとくれ」
シズクヴィオレッタの詩は続く。
ペティの足の付け根から肩口までの傷口は三日月となった。
逆斬りの威力は強烈だったが、超化によって強化されたペティの体は抵抗し、その場に踏みとどまった。
「はぁっ、はぁっ!わた、し、わぁ!負けぇな、い!死、なななぁいいい!」
絶叫を上げながら、のけぞった体を振り戻し、上方に向いた顔を正面に戻した。
しかしその行動は、シズクヴィオレッタの、奥義無形の狙いの通りだった。
正面を向いたペティの顔の下を、輝く刃が静かな殺意を乗せて通過した。
「『静海一刀流 奥義 無形・花』」
刀を横から前へ。シズクヴィオレッタは、わずかな距離を静かに振りぬいた。
「たおやか、つややか、あざやかと、四季折々の顔を見せ、天を想って伸ばした首は、しまいにゃぽとりと地に落ちる」
その詩の通り、ペティの首は牡丹の花が果てるように、ゆっくりと地に向かっていった。
「え・・・?」
ペティは訪れた死を理解できず、呆けた顔で目だけをシズクヴィオレッタに向ける。
奥義 無形。それは、自然に倣う静海一刀流の中で、最もそれを顕現した技だ。
風光明媚な景色といえど、時が過ぎ、視点が変われば、その価値も意味も変わる。
無形は、美とされるものですら、時の流れに逆らうことは出来ぬという儚さと無常を命で表した刀技なのだ。
地に落ちたペティの頭が、赤い尾を引きながら転がる。
続けて、体が両膝を着き、力なくうつ伏せになる。
「う、うそ・・・わたし・・・死ぬ・・・の?」
「まだ生きとるんか?超化いうんは難儀なもんやな。こないなっても死なれへん」
「ええそうね。わたしは、あの瞬間に人間をやめたのね。力に狂った末路・・・不様よね」
「どうやら、正気に戻ったようやな」
「ええ。でも、この世界に来たときから、わたしは正気ではなかったわ。強すぎた力をもらって、ずっと狂い続けていたの」
「・・・」
「ありがとう。わたしに素人と言ってくれて。わたしを止めてくれて。最後に、なんでもない、ただの人間として死ねる」
「そやったらはよ死に。いつまでも喋って未練がましいわ」
ペティの感謝の言葉に、シズクヴィオレッタは前を向いたまま応える。口調は静かだ。
「ふふ、そうね・・・さ、よなら・・・」
ペティは目を閉じた。穏やかな顔だった。
「はっ、勝手いいよって。散々、人痛めつけといて、満足してんや・・・ない・・・で・・・」
かろうじて言葉を発しながら、満身創痍で限界を迎えたシズクヴィオレッタは前に向かって倒れた。
ペティとシズクヴィオレッタ二人の体は交差するようにうつ伏せとなった。
イメージイラスト(AI)※あくまでイメージなので、他のイラストと差異があったりしますがご容赦ください。
超化したペティ
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