第17話 「旅立ち」(ストーリー)
「立てるか?」
「は、はい」
「ここに来る前に火の上がる仕掛けをしておいた。館は炎に包まれる、すぐに出るぞ。」
サイガは部屋の隅で身を縮ませていた奴隷の女に、訊ねながら手を差し伸べた。
女は細い声で返事をするとその手をとり立ち上がった。が、立ち上がりきる前に再び膝を着いた。ドノマンの暴行で体力が奪われていたのだろう、足は小刻みに震えていた。
「仕方ない、首に手を回せ。しっかりつかまっていろ」
女の足の状態を確認して、回復の見込みが薄いことを理解すると、サイガは女を抱え込んだ。その体は驚くほど軽く、この館での食事環境の劣悪さを物語る。
女を抱えたままサイガは二階の窓から飛び降りた。女が短く悲鳴をあげ、より強く首に抱きつく。
サイガは二人分の体重を感じさせないほど、軽やかに優しく着地した。その意外な状況に女は少し安堵する。
着地するや否やサイガは跳躍した。これもまた何の抵抗もなく軽々と跳びあがると、そびえたつ壁の上に立ち、そこを足がかりに一気に堀を飛び越えた。
サイガが立ち去ったと同時に、発火の時限装置と燃焼促進剤を用いたのだろう、館、詰め所といった複数箇所から同時に激しい炎が上がった。
「みんな死んだのに、何故燃やすのですか?」
サイガの腕の中で、燃える館を瞳に映しながら女は訊ねた。
「あの領主の形跡が残るのは、領民にとって暗い影になる。この炎がそれを焼き尽くし、悪政の終わりを皆に宣言してくれることになるだろう。その象徴とするために火を放ったんだ」
圧政に抗う民衆のため。と、もっともらしい理由を述べたが、本来の目的は証拠の隠滅だ。サイガの用いた道具の数々は科学の代わりに魔法が発達したこの世界では、明らかな異物となる。その痕跡を消すための放火なのだ。
サイガの言葉を鵜呑みにした女は、サイガの腕の中で、遠ざかる炎をまばたきを忘れて見送った。
血にまみれた夜が終わりを向かえ、太陽が顔を出す頃、サイガと奴隷の女は街道を東に向かって歩いていた。
「どこかにいくあてはあるのか?」
「私の故郷は北東の大森林の中にあります。私はそこで攫われて奴隷にされました。よろしければ、そこまでご一緒させていただけませんか?私にはそこしか、そして今はあなたしか頼れないのです。おねがいします」
世界は違えど、見ず知らずの土地に一人という境遇は、自身と重なるものがある。サイガは女の願いを無下に断ることは出来ず、少し黙り込んだ。
異世界の人間、異界人であるサイガの旅は一人のほうが何かと都合いい。だが助けた手前、丸腰の女一人を放り出すわけにもいかない。異世界ゆえに金もなければ、コネもない。手がかりのない異世界という場所で、案をめぐらせていたのだ。
思案にくれ沈黙を続けるサイガと、その横顔を見つめたままの女、二人の間に言葉が交わされない時間が続き、視界の先に領地の境を示す簡素な石門が見えてきた。
「あれ?あそこ、なにかありますよ」
女が正面を指差した。女の言うように、石門に何か大きな丸いものが置いてある。隣の石門との比較でそれが二メートルほどの物体であることがわかる。
遠目からでは形しかわからなかったが、近づくにつれ、それが大きなリュックであることがわかった。そして、それを一人の人間が背負っていた。
「ま、まさか、あれは・・・」
人の身長を大きく上回る、巨大なリュックを背負う人影。一体どんな人物が?と、考えたとき、ふと一人の人物の顔が頭をよぎった。
二人が歩をすすめ石門が近づくに連れ、その人影が何者なのかはっきりしてきた。そしてそれは、サイガの予想どおり、やはりセナだった。
「セナ、何故ここに?」
「お知り合いですか?」
サイガの顔には露骨に驚きの色が出ていた。そんなサイガの耳には隣の女の質問も届いていない。
「何故ここに?じゃないだろ。黙って出ていこうなんて、ずいぶん冷たいじゃないか」
セナの言葉には明らかに怒気が込められていた。成り行きとはいえ、別れの挨拶もなくその姿を消したことに、これまで過ごしてきた日々が否定されたような気分になったのだ。
「それはすまないと思っている。だが、あのままでは大きな暴動が起こり、さらに血が流れることになりそうだったんだ。それだけ皆の怒りが強かった。それに・・・」
「それに?」
「もうセナが悲しみで涙を流すのを見たくない。少しでも早く事態を終わらせたかった」
「な・・・なんだいそれ・・・」
サイガからの思いもよらない言葉に、セナが顔を紅潮しさせて、口をすぼめてうつむいた。
セナの快活な性格に、この世界に来てから右も左もわからない状況のサイガは、何度となく元気をもらっていた。それを涙で曇らせて欲しくなかったのだ。
包み隠さない賞賛の言葉はセナの怒りを見事に雲散霧消させた。
「わかった、じゃあそれはもういいよ」
「そうか、ありがとう。では改めて・・・さよ・・・!」
サイガが別れの言葉を口にしようとしたそのとき、セナが掌を突き出して言葉をさえぎった。
「いや、私もついてくよ」
「・・・は?」
サイガが思わず間の抜けた声を発した。
「私さ、一度でいいから村から出て生活してみたかったんだよね。今回のことで母さんも死んじゃって、一人身になったうえに、死んだことになってんだろ?せっかくならこれを利用して村を出ようと思ってさ。それに、村にいたまんまじゃ、悲しい記憶がいなくならないんだ。だから、少し村から離れたいんだ。止めたって絶対ついていくからね」
セナの言葉に偽りはなく物見遊山ではないことは、これまでのことから充分に理解できる。かといって、情で道中の人を増やすことにサイガは不安を覚えた。
ただでさえ自身があてのない異界人のうえ、奴隷の女の対応を考えあぐねている状況だ。サイガは腕を組んで考え込んでしまった。
「サイガ、これ、なにかわかるかい?」
セナが背負ったリュックを親指で指して訊ねた。
「これは村長からの餞別さ。有事の際の備蓄ってやつを旅の消耗品にあててくれってさ」
「それはありがたい」
「でもさ、あんたこれ持てんの?」
たしかに、リュックの高さはサイガの身長をゆうに越えている。中身も詰め込まれているのだろう、大きく膨らんでいた。重量にすれば百キログラムは下らないだろう。
いかに鍛錬を積んだ肉体のサイガでも、そんなものを背負っての旅路は苦難を極めるだろう。盗賊に狙ってくださいといっているようなものだ。
「そうだな、おれには無理だ。しかもこの量は・・・」
「私もしっかり数に入ってるね」
勝った。という心の声が聞こえそうなほど、セナは満面の笑顔だ。
「しかもそれだけじゃないよ。ほら」
駄目押しとばかりに、セナはポケットから小さな書物を取り出した。サイガはそれに見覚えがあったそれは、魔禄書だった。
「あ。それは」
サイガは思い出した、今日は魔禄書を村長から受け取る約束の日だということを。
前日の騒動もあり、流れのままに村を去ってしまったため、そのことを完全に失念していたのだ。
「これ、村長からもらうはずだったんだろ?一緒に渡してくれって頼まれたんだ」
「そうなのか、セナ、助かるよ」
「でもさ、これ・・・」
そう言うと、セナは魔禄書を口に近づけて一言。
「魔禄書よ教えて」
「かしこまりました、ご主人様」
セナの声に応えて、魔禄書が返事をした。
「魔禄書よ魔禄書とは何だ?」
ご主人様と呼ばれたセナに問われ、魔禄書は語った。魔禄書は容量がほぼ無限なアイテムで、国中で帳簿や機密事項の保存などに用いられている。
そのため、その機密保持の理由から、魔禄書を起動させるためには最初に登録された人物の声のみが鍵となる仕組みとなっているというのだ。
「つまり、その魔禄書は・・・」
「はい、私を扱う資格があるのは、主であるセナ様だけです」
サイガの疑問に魔禄書はきっぱりと答えた。
「ってことでさ、こいつを使いたかったら私を連れて行くしかないんだよ」
セナが笑顔を一層強めた。
「わかった、おれの負けだ」
大きくため息を吐きながら、サイガは降参した。
「そんじゃあ、よろしくな。って、そういや、そっちの娘はだれだい?」
いまさらながら、セナはサイガの隣に立つ奴隷の女に気付いた。それまでは、サイガへの怒りで周りが見えていなかったのだ。
「彼女は領主の奴隷だ。領主も死んで、暴行も受けていたので連れてきたんだ」
「暴行って、顔、腫れてるじゃないか。しかも体中、痣と傷だらけだ」
奴隷の女の痛々しい怪我を見つけるや否や、セナは荷物を下ろして中から液体の入った瓶を取り出した」
「こいつはポーションだ。欠損や大怪我には足りないけど、その程度の傷なら跡もなく消せるはずだよ」
そう言うと、セナは女の傷にポーションを振りかけた。途端に、腫れは引き、痣は消えて、傷口もふさがっていく。
「ああ、ありがとうございます。助けてもらった上に、こんなことまでしていただいて」
「そんなに喜んでくれるなんて、私も嬉しいよ。ええと・・・サイガ、彼女の名前は?」
「名前?そういえば聞いてなかったな」
「はぁ?あんた、名前も知らずに連れ歩いてたのかい?自分で助け出しといて?」
「あ、いや、まぁ、つい・・・」
館を襲撃した際の『無』の状態から、そのまま旅路に就くことになった二人に、自己紹介をする機会はなかった。そのため、互いに名を知らぬまま、街道を歩き今に至っていたのだ。
「で、でしたら、今、自己紹介しましょう。私はエィカです。村から攫われて奴隷をさせられてました。そして、私を助けてくださったのがサイガさんで、そのお友達のセナさん、ですね。よろしくお願いいたします」
言い終わると、エィカは軽やかに頭を下げた。二人もつられ、よろしくおねがいします。と、一緒になって頭を下げる。
不意に訪れた自己紹介の時間に、三人が顔を見合わせたあと、そろって吹き出した。
「ふふ、こんな変な自己紹介、初めてだよ」
「俺もだ。なんだか不思議な感覚だな」
「お二人とも、素敵な笑顔ですよ。私達のこの旅路も、きっと素敵なものになるでしょう」
笑いあうサイガとセナを、エィカが微笑んで見つめる。
ひとしきり笑ったところで、三人は呼吸を整え、東に向かって歩き出した。
東から昇る日が三人を正面から照らす。それは、旅立ちの未来を祝福するかのような、まぶしい光だった。