第16話 「決着」(バトル)
時刻が日をまたごうとする頃、領主の館の最奥の自室の中で、グラスが逆様になるほど大きくあおり、赤いぶどう酒を一気に飲み干すと、醜悪な風体の領主ドノマンは喉から響いてきたような息を吐いた。
「ええい忌々しい!思い出すたびに腹が立つ!宰相様に顔向けが出来んわ!おい、なにをしてる、はやく注げ!」
ドノマンの剣幕に手を震わせながら、傍らに控えた奴隷の女が空いたグラスに酒を注ぐ。
手の震えは酒瓶へ伝わり、さらにその口がグラスに触れたとき、注ぎ口から赤い雫が勢いよく跳ねてドノマンの袖口を染めた。
途端に頭の中に昼間の光景が蘇り、その顔が酒から来る紅潮から怒りの赤へと上書きされた。
「ああああああ!おまえぇえええ!」
言葉にならないほどの絶叫を上げながら立ち上がり、奴隷の顔を振り向きつつ裏拳で殴りつける。
たまらず悲鳴を上げて倒れこむと、ドノマンは顔、腹へと蹴りを叩き込む。みるまに顔は赤くはれ上がり、かばう両手には傷が刻まれる。
「お、おゆるしください・・・おゆ・・・ぐっ」
許しを請う奴隷の口を蹴りつけ言葉をさえぎると、踵で押さえつけ踏みにじる。
「こんな夜中まで仕事熱心なことだな。それとも、趣味の時間だったか?だとすれば、ほめられた趣味ではないがな」
「だ、だれだ!?」
不意に背後からかけられた聞き覚えのない声に、ドノマンが振り返り怒鳴った。そこで目の当たりにしたのは、人型の影。いや、影かと見間違うほどに黒い、夜の闇に溶け込むほどの黒い装束に身を包んだ謎の男だった。
「何だお前は?何者だ?おい!傭兵共はなにやってる!?侵入者だぞ!」
動揺しつつも、ドノマンは大声を張り上げ兵たちを呼びつけた。館中に響くほどの大声だが、返事はない。
「手下なら呼ぶだけ無駄だ」
サイガは冷たく言い放つ。そして一つの皮袋をドノマンの目の前の地面に放り投げた。
衝撃で袋の口が開き中身が覗く。それを見て、ドノマンが言葉を詰まらせた。袋の中には人間の右耳が大量に詰まっていたのだ。
「哨戒、待機の兵の分、全部あわせて十八ある。あとはお前と・・・」
言いかけたところで、サイガが上体を急速にかがませた。続いてのけぞって地面を蹴ると、後方に宙返り、一回転して着地した。
サイガがいた場所からは、かがむ前後の首のあった場所に二度、刃が空を切る音が聞こえる。サイガの動きは、この刃の襲撃を察知してのものだった。
斬撃の主はドノマンの護衛を勤めるゼスタ。剣を構えなおすとサイガの前に立ち、ドノマンを守る体勢になる。
「そして貴様の二人分で全員だな」
冷たい視線でドノマンとゼスタを捉えながらサイガも忍刀を構えた。
ゼスタが牽制の斬撃を放つ。一、二、三度と間合いを計り反応を見るために、浅い踏み込みで斬りつけた。
サイガはそれを、忍刀の刃で受けて守りを固める。
「なるほどな、これを捌くか。腕に自信があるようだが、これほどの技を持っていたとはな。だが、たかが雑兵共を屠った程度で、この俺を斬れると思わんことだ」
床に散らばった右耳を見ながら、ゼスタが微笑む。腕のふるい甲斐のある敵の登場に昂ぶっているのだ。
「すぐにあの娘の後を負わせてやるぞ。さあ、存分に後悔しろ!」
「あの娘?ふ・・・そうか、やはりそうだったか」
「?なんだ、何が可笑しい?」
「おまえの言う娘、それはセナのことだろう?力の加護を持った女だ」
「そうだ、そいつの後を追わせてやるといっているのだ」
「残念な知らせだが、それはかなわんぞ。セナは死んではいない。おまえの剣ではセナの薄皮一枚切るのが精一杯だったぞ」
「なんだと?でたらめを言うな。あの出血で生きているはずが・・・」
ゼスタの否定の言葉を、サイガの掌の上に置かれた小さな袋が止めた。セナの死を偽った血のりを見せたのだ。
さらにサイガはその袋を力強く握りつぶした。途端に中から赤い液体が噴き出し、掌を赤く染めた。
「これが出血の正体だ。おまえはこれを見てセナの死を錯覚した。もっとも、俺がそう仕向けたのだから、無理もないがな」
絨毯に赤い雫が滴り落ちて滲む。その音一つ一つがゼスタに無情な真実を突きつける。
「ば、馬鹿な・・・おれが、見誤ったというのか・・・」
絶望に、ゼスタの言葉が震え、膝から力が抜けて姿勢が崩れた。
「お、おい、ゼスタ!なにをしてる、そんなことより、早くあいつを殺せ!」
ゼスタの動揺した姿につられ、ドノマンも狼狽した。そのため、発破をかけるために安易にゼスタの肩に手をかけた。戦闘中の高ぶった精神状態の戦士の肩にだ。
「うるさい!おれに指図をするな!このオーク野郎が!」
己の腕前の不甲斐なさに精神を大きく乱していたゼスタは、その怒りの矛先を手近な相手に向けた。主従関係よりも剣への誇りが勝ったのだ。
ゼスタはドノマンへ、振り向き様に剣を振りぬいた。その剣筋は今度は確実に、標的の胸を真一文字に走り抜けた。
「え?」
ドノマンは、一瞬何が起きたのか理解できなかった。理解したのは、胸の傷口から激しく血が噴き出したときだった。しかも傷口を押さえようにも、両腕の腱を同時に斬られたのか、腕は微動だにせず、激しく動く体につられて振り子のように、ゆらゆらと揺れる。
「お、おまえ、おれにこんなことをして、ただですむと思っ・・・ぎっ!」
怒りを発散するために大きく開かれたドノマンの口に、ゼスタの突きが刺さった。刀身によって固定された口を開いたまま、目だけで反逆者を威嚇する。
しかし、オークと罵られた男の抵抗はそこで終わりを迎えた。ゼスタは剣を振り上げ、口から上を左右に裂いた。血と脳と肉が部屋中に飛び散り、天井にも叩きつけられた。脂肪に膨れた体がうつぶせで床に倒れた。
「おれの腕が落ちたのはおまえのせいだ!太ったオークの世話なんぞしていたから、戦の感覚が消えるのだ!その腐った命、せめておれの剣の糧になれ。それが最期に出来るお前の償いだ」
物言わぬかつての主の頭部を踏みつけながら、ゼスタは吐き捨てた。サイガへと向き直ると再び剣を構える。
「腕が鈍ったというなら、曲者、おまえの命で勘を取り戻してやろう!おまえもおれの糧となれ!」
己への鼓舞も込めてゼスタが声を発した。しかし、戦意に満たされたその目に不可解なサイガの姿が飛び込んできた。
ゼスタに右腕を突き出し、刀を持った手首を折り拳を下に向けていたのだ。
一瞬、理解が遅れた。そのとき、サイガの手首から空気の漏れるような音が聞こえると、なにか軽いものがゼスタの顔を叩いた。その瞬間、ゼスタの目、鼻、口にこれまで感じたことのない強烈な刺激が走った。
目は痛みから涙が溢れ、鼻には殴られたような衝撃。しかし、そのどれもがそれらの数倍も辛く、これまでの経験を凌駕するものだった。
「痛い、苦しい、一体、何だこれは!?」
戦士の矜持か、痛みをこらえながらの闇の中で、牽制の姿勢だけは崩さない。
ゼスタの苦しみの正体は、サイガの手首部から発射された、猛獣撃退や暴徒鎮圧などに用いられる高濃度のカプサイシン。
数値にして、約千六百万スコヴィル。粘膜に付着すれば、瞬く間に機能を奪い行動不能に陥らせる劇物だ。
「お、おまえ、男の闘いにこんなものを用いるのか、正々堂々と闘え。この卑怯者!」
悲痛な叫びを上げて罵倒するゼスタを、サイガは冷え切った視線で見下ろしていた。
サイガはこの時を狙っていた。セナたちから未来を奪った悪漢に無慈悲な最期を迎えさせるためだ。
領主のドノマンはゼスタに討たれ、その機会を奪われたが、その分ゼスタには二倍の苦しみを味わわせるために、腕の鈍ったゼスタをあえて小細工で追いつめる。戦士としての実感など微塵も与えないという精神をも責める攻撃だ。
もだえ苦しみたい衝動を抑え、ゼスタがサイガいるであろう場所へ、剣を振るった。
しかし、そんな闇雲な攻撃は、当然むなしく空を切る。
「おのれぇえええ、どこだあああああ!」
怒りにまかせてゼスタが剣を振り回す。装飾品を切り裂き、部屋中に痕を刻む姿からは最早、戦士の誇りなど微塵も感じることは出来ない。おびえきった奴隷は部屋の隅で小さくなって震える。
隙だらけの剣さばきはサイガにとって絶好の的となった。
何度目かの空振りを放った直後、ゼスタの背に激痛が走った。背後から忍び寄ったサイガが背中から心臓めがけて忍刀を突き立てたのだ。
激しく動き回る暗中の男の急所に、刀は的確に刺し込まれていた。それは、わずかでも動けば心臓を裂き、即座に命を奪うほどの繊細な技術だった。当然、それに気付いているのは当人のサイガのみだ。
「そこかぁ!」
己の命の現状の危うさなど、顔面を襲う痛みに気をとられ理解できないゼスタは痛みの方向へ勢いよく体を向けた。そして、それがゼスタの最後の言葉と行動となった。
サイガの腕で固定された刀に向かって、心臓が自らその身を差し出してきた。左の後背部から胸部にかけて、ゼスタの動きに線をあてるように刀傷が刻まれる。
ほぼ上下に両断された心臓は見る間にその活動を停止させた。ゼスタの体からは一気に力が抜け、その姿勢を持ち直すことなく頭を絨毯に突っ込むと静かに事切れた。
「腕が鈍ったなどと抜かしていたが、村娘一人をまともに殺すこともかなわんお前の腕は、もとよりなまくらだ」
刀の血をゼスタの衣服でぬぐいながら、サイガは無慈悲な言葉を吐き捨てた。