第14話 「決意」(ストーリー)
下卑た笑顔、怒号、怒り、刃、血、悲鳴、涙、怒り、恐怖、血、喪失。そしてまた下卑た笑顔。
今日一日の記憶が、何度も何周も、蘇り浮かび上がる。
数え切れないほどの周を繰り返した後、精神が耐え切れなくなったのだろう。悪夢の被害者は、短く小さい悲鳴と共に上半身を跳ね上がらせて目を覚ました。全身は汗にまみれ、呼吸は乱れている。
「おお、目を覚ましたか!」
すぐ傍から発せられた聞き馴染みのある声に、首筋をぬぐいながら振り向いた。その視線の先にあったのは村長、ロルフの姿だった。
「よかった・・・サーラだけでなく、お前まで失ってしまっては、私は心が保てなかった・・・よかった」
大粒の涙を流し、声を震わせながら村長はセナの手をとった。
セナはその命を失っていはいなかった。サイガの伸ばした手が、すんでのところで致命傷を回避し、命を救っていたのだ。
村長の声を聞きつけて、サイガが姿を現した。涙こそ流さないものの、その顔は喜びに満ちている。直後、安堵した表情と共に大きく息を吐き出しながらサイガが膝から崩れ落ちた。
「私は助かったのかい?でも、あの男の剣に斬られて、とんでもない量の血が噴き出したはず。それははっきり憶えてる。だから私は死んだって思って意識を失ったんだ」
「それは、これを使った」
セナの疑問に応えて、サイガは小さな袋を取り出した。中は赤い液体で満たされている。
「これは血のりを圧縮した袋だ。この中身を、あえて目立つように衣服や地面に色をつけることにより、相手の目を欺くための道具だ。今回は、これでセナ、君の死を偽装した」
サイガはセナの体を引き寄せ傷口を覆った際、命に別状はなく気絶しただけということに気付いたが、それを気取られれば確実に止めを刺されてしまう。そこで先ほどの本人の言葉どおり、その目を欺くために、咄嗟の機転で出血死を装ったのだ。
そしてその場を乗り切った後は、村長に真相を明かし一計を案じた。村の風習を利用して火葬をし、母娘を完全に鬼籍に入れ、領主の魔の手から逃がしたのだ。
「でも、私だけ助かっても意味ないよ・・・せっかく病から助かって、平和に暮らせていけるって思ってたのに・・・最期に、お別れも言えないなんて・・・」
「すまない、お前を守るためなのだ。明日になって領主にお前が助かったと知られれば・・・」
うつむいて涙を落とすセナに村長が静かに語りかける。
「わかってるよ。全部私を想ってのことだろ。わかってるよ。でも・・・う・・・う・・・」
声を押し殺してセナは泣いた。母を見送れなかった悔しさもあるのだろう、シーツを握る手が強く震えていた。
「ん?村長あれはなんだい?ずいぶん村の中央が明るいよ」
涙をぬぐいながら窓に視線を移したセナが、村の異変に気付いた。
サイガと村長が窓に近づく。二人の目に無数の赤い光が見える。
「サイガ殿」
「ええ、行きましょう」
村長にサイガが応える。誰にも気付かれないよう身を潜めるようセナに言い、二人は村の中央へと向かった。
「お前たちこんな夜中に集まって何をしているんだ?」
村の中央広場に到着した二人が目にしたのは、松明を片手に集合する男衆の姿だった。総数で五十人超。村長がたまらずに問いかける。
「村長、おれ達は我慢できねェ!あんな目にあわされて、やられっぱなしでいられるか。今からおれ達全員で領主の館に殴りこむ!」
男衆の中でも大柄でリーダー気質の男が、一歩前に出て村長へと宣言した。
「馬鹿な、はやまった真似をするな。館には二十人近い傭兵がいるんだ。剣も握ったことのないお前たちが行ったところで、返り討ちで皆殺しにあうだけだ」
「じゃあどうしろって言うんだ?あいつの機嫌一つで命を奪われる、人権を捨てた家畜みたいな扱いを受けろって言うのか?」
「・・・・・・」
今にも爆発しそうな大柄の男の勢いを制するように、サイガが二人の間に無言で割って入った。
「な、なんだ、サイガ・・・ぅ!」
大柄の男が、それまでの気勢のままに怒鳴りつけようとしたが、サイガの顔を見た途端、声が小さくなり詰まった。
サイガの顔には表情がなかった。無表情ではなく、無だった。そこには感情や意思などが介入する余地はない。夜の海のようにただひたすらに暗く、近寄れば引き込まれそうな不気味さがあった。
大柄の男は肝を冷やして一歩退いた。命の危機を感じたのだろう。
この無の顔は、サイガが任務を完遂する決意を固めた際の没入の状態だ。目的を達するまで一切の上下する事のない冷静な精神状態。当代一と言われた暗殺者の顔だった。
「あなた達が手を汚す必要はありません。その手は人を殺めるためではなく、生命を育むために使っていただきたい」
思いやりのある言葉に聞こえるが、感情のこもらないその声はかえって恐怖をあおる。
「サイガ・・・」
「人道に反した餓鬼を討つ役目は、修羅が勤めます」
静かに、深く、重い言葉を発し、サイガが村長に振り向いた。その顔に村長もやはり一歩たじろぐ。
「サイガ殿・・・」
「村長殿、朝までには全てが終わります。そして、私はこの村には戻ることはないでしょう。お世話になりました」
「それでは」
一礼し背を向けると、サイガは一瞬でその姿を消した。