第102話 「暗黒樹」(ストーリー)
「ようやくこれで二体目ですか。さすが地獄の将というだけある。手こずらせてくれますね」
地獄の将の一体、『おぼろ面手』の命を奪った仕込み杖の剣を、深々と刺さった眉間から引き抜きながら、王国諜報員のギネーヴは感想と賞賛の言葉を述べた。足元にはジョンブルジョンが先に討ち取った、暗がりの鬼子ビリムの小柄な死体が転がっている。
うねり湿った黒い長髪を生やした直径三メートルの女の顔面に、四本の手が生えた、一見するとザトウムシの怪物のような風体のおぼろ面手。彼女は最初に姿を現した忌み女ジャグンの妹にあたる。
その顔には、ギネーブの剣の傷とジョンブルジョンの砲撃の跡が数多く刻まれ、激戦を物語る。
「この将たち、サイガや六姫聖たちがそれぞれ相手をしていたな。となれば、大分数が減っていると見ていいだろう。あとは大将格ぐらいか?」
辺りを見回しながら、ジョンブルジョンは状況を確認する。その声は、新しい手足の試運転が上々に終わり上機嫌だ。
「大将はあいつだろ?あの右手に天秤を持っていた、判事のような格好のやつだ」
「のような、ではなく彼、ニムリケは判事ですよ。地獄の判事。彼の通称です」
おぼろ面手からサンプルを採取しながら、ギネーヴは答えた。
ギネーヴは諜報員という職業柄、膨大な情報を記憶し有している。当然、存在として上位である地獄の将達のこともある程度は把握済みだ。
「おぼろ面手に今、死なれては困りますね。ちょっと生き返ってもらいましょうか」
意識の隙間に入り込むように聞こえてきた声に、ギネーヴとジョンブルジョンは同時に顔を向けた。おぼろ面手の死骸の上、そこに声の主、地獄の判事ニムリケは立っていた。
「彼女にはまだ役目があります。死んでいてもいいんですが、生きている方が効果が高いんですよね。というわけで・・・その死、覆しましょう・・・『執行』」
ニムリケの右手の天秤が右から左へ傾いた。直後、足元のおぼろ面手の目が開き、息を吹き返した。傷もふさがり、活気を取り戻す。
「なに!?生き返っただと?」
「決定事項の強制執行。ニムリケが判事といわれる所以です。まさか、生死まで覆せるとは、これは厄介ですね」
ギネーヴは知りえる情報をジョンブルジョンに伝える。
未曾有の事態に、二人はおぼろ面手から離れた。
おぼろ面手の四本の腕が地面を捉え、安定して頭を持ち上げた。続いて、ビリムも起き上がる。
【おぼろ面手、ビリム。サルデスいや、シラの回復が完了しました。ジャグンの元へ向かいますよ。死の神にして王の誕生を迎えましょう】
【こいつらの始末はいいのかな?邪魔されると面倒だな】
ビリムが懸念を口にする。
【今は当初の目的を完遂させるべきよ。こいつらは強い、相手してたら無駄に死に続けるだけよ。対処はヨ・マーにしてもらいましょう。さあ行くわよ】
そう言うと、おぼろ面手はビリムを大きな手で掴みあげた。ニムリケと共にいずこかへと走り出す。
「おのれ、逃がすものか!ギネーヴ追うぞ!」
ジョンブルジョンの義足が動く。内部の歯車が回転し、靴底に車輪が現れた。移動用の装置だ。さらにふくらはぎの部分が開いてブースターとなる。
「ジョンブルジョン、あなたは先に追いかけてください。私は私の任務が有りますので、後ほど参ります」
「なに?おまえ、自分だけ任務を進めるつもりか?卑怯だぞ!」
「この件が片付いたら、そちらの任務も協力しますので、ご容赦願います。では」
言い残して、ギネーヴは姿を消した。目的はシュミットの研究成果のホムンクルスのサンプルの奪取だった。
集合墓地中央斎場。
首にサイガの致命的な一撃を受けたシラはジャグンの口の中で傷を癒していた。その癒しの時間が終わり、ジャグンはシラを吐き出す。唾液まみれの体が床に転がった。
【ほら、起きな。傷は癒えている。あんまり手をかけさせるんじゃないよ】
「う・・・むむ・・・」
生まれたての動物のように、震える足で立ち上がると、シラは顔の唾液を拭った。
【くっ・・・感謝はするが、もっとマシな回復方法は無いのか?】
【なに言ってんだい?私の口の中は、お袋の子宮よりも居心地が良かったろう?ふぇっふぇっふぇ・・・】
サイガの攻撃で顔面を損傷しながらも、忌み女ジャグンはその役割、シラの回復を果たした。
【ようやく回復しましたね。その間に、私達の方は十体近く殺されてしまいました。大損害ですよ。で、どうするんですか?】
回復の余韻に浸るシラの後ろから、ニムリケが問いかけた。
【ニムリケか。・・・不本意だが、『暗黒樹』を用いて彼奴らを一掃するしかあるまい。消耗は甚大だが、個々の戦いでは分が悪すぎる】
シラは苦い顔で決断を口にした。奥の手中の奥の手だった。
【暗黒樹を?いいのか?せっかく得たその姿を捨てることになるぞ】
【かまわん。花が咲き実が成れば、体はまた蘇るだろう。そのためにも奴等は滅せねばならん。やるぞ、力を貸せ】
【やれやれ、借りは大きいぞ】
ため息をつき、ニムリケは視線をシラから外した。外した視線の先には、おぼろ面手、ビリム、ジャグン、リシャクの姿があった。その上にヨ・マーがローブで顔を隠して浮いている。
【みなさん、聞いての通りです。これよりシラは『暗黒樹』を発動します。ジャグン、おぼろ面手、その身、いただけますね?】
【しょうがないね。後でしっかり蘇らせてもらうよ。お守りも大変だ。ねぇ、姉さん】
【まったくだ。私らの命、安く使うんじゃないよ】
ニムリケの要請に、おぼろ面手、ジャグンの姉妹が顔を揺らしながら笑っている。
【感謝する。必ずこの一帯を死の色に染めてくれる】
シラは重々しく言葉を吐いた。死の神、地獄の皇太子としての誇りを背負った言葉だ。
【それでは始めましょう。シラ、暗黒樹を発動させなさい。私が成長を促します。ジャグン、おぼろ面手、シラの横についてください】
斎場の中央にシラが立ち、右にジャグン、左におぼろ面手がつく。
シラが地面に黒い剣を突きたてた。剣を中心に黒い魔法陣が広がり、シラ、ジャグン、おぼろ面手を飲み込む。
【暗黒樹。成長のためには億の血と万の年を必要としますが、今だけは強き命を引き換えに、その姿を成熟させます・・・執行】
ニムリケの天秤が左から右に傾いた。
天秤が傾く音を受け、シラの全身から根が飛び出す。根は両隣のジャグンとおぼろ面手に絡みつくと、締め上げ突き刺さり、拘束してその命を吸い上げていく。
シラの体が肉から植物へと変貌する。膨らみ、伸び、天に近づく。顔、肉体が養分となった姉妹と混ざり合い、木の模様となる。シラの体は雄大な巨木になった。
『暗黒樹』
死の力を以って周囲の命を全て奪う地獄の巨大樹。地獄のもっとも劣悪な環境の地で唯一本だけ生えることから、黒きユグドラシルと呼ばれる。
シラはその身を地獄の巨大樹と化し、ワイトシェルの都市全てを死の都と化さんとしたのだ。
ニムリケの執行の強制力で、シラの暗黒樹は急速に育ち、完成した。頂点部にはシラの面影が残る模様が浮かび上がり、うめき声のように全体が蠢き音が鳴る。
地獄の皇太子はその身を賭して復活のための最終の一手を打ったのだ。
死の谷から始まった人と神の戦いは、最終局面を迎えていた。
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