第09話 「殺菌」(ストーリー)
サーラへの投薬の翌朝、サイガとセナの二人はあわただしく動き出した。
農村ゆえに朝は早く、村人の務めとして畑仕事を昼前まで行う。それが終わると、ようやく本題の家中の清掃を行うのだ。
農作業を終え、昼食を済ませてから二人は清掃を開始した。
ペストの感染源はネズミなどのげっ歯類の保有する菌であり、糞やつけられた汚れなどから感染をする。そのため、抗生物質を摂取しただけで治療完了とはならない。病原菌を生活の範囲から排除する必要があるのだ。
清掃を開始して真っ先に行ったのが、シーツや衣類の煮沸、アルコールによる滅菌、殺菌だった。
清掃した部屋に、洗浄済みのシーツを敷いたベッドに衣服。そこにサーラを移し、次にサーラの身の回りのものを殺菌。特に汚れのひどいものは焼却処分した。これを繰り返し、数日をつかって家全体の清掃を終わらせた。
清掃と平行してネズミ類などの中間宿主の駆除も行われた。屋根裏、床下、畑、村のあらゆるところに潜むネズミを出来る限り罠や毒餌を用いて捕らえて焼いた。
ネズミの捕獲はその大きさがサイガの知るネズミとは違い、小型の犬に見間違うほどのものがそのほとんどだったため、さほど苦労することもなく二日ほどで三十匹以上の駆除に成功した。おそらく、正確にはネズミではなく、ネズミに近いげっ歯類という、この世界独自の生物なのだろう。見た目が似ていたのは、環境に適応してのことだろう。
作業を始めて四日目、農作業、清掃、駆除そして、看病と朝から晩までめまぐるしく働き続ける二人だったが、サイガはセナに驚かされた。
サイガは幼少期の頃から忍びとなるべく数多くの訓練を重ね、常人では比較にならないほどの体力、筋力を有している。セナはそのサイガの捌く仕事量に、足を引っ張ることなくサイガに教わった作業をこなしていくのだ。そのおかげで、清掃や駆除はサイガの想定よりも二日ほど短縮され、一旦の終わりを迎えたのだ。そのうえでセナはの工程をこなすなかで、興味をひかれたという理由でサイガに戦闘術の手ほどきを頼んできたのだ。
しかしサイガ修める技術は暗殺を専門とした闇の技術。日中は清掃を行うという理由で断ったが、それなら夜の空いた少ない時間でもいいと食い下がられたため、軽い足捌きと効率的な攻撃の方法を一、二時間ほど指導した。
いくら力の加護という常人離れした才能を持つとはいえ、辺境の農村の娘が無尽蔵にも近い体力を見せたのだ。サーラが言うには、セナは幼少の頃から体力は成人の男達よりも活発に運動をこなすとのことだった。
そして五日目の朝、大きな変化が起こった。
いつもどおりの快晴の朝、本来なら日が昇る前に目を覚まし、朝食を済ませ身支度を整えて畑に向かうはずだったのだが、サイガとセナの二人はそろって寝過ごしてしまった。と、錯覚した。
飛び起きた二人の目に入ったのは、まだ星の光がある空。二人が錯覚したのは理由があった。これまでなら二人で準備をしていたはずの朝食の匂いで目を覚ましたからだ。
ここ数日の慣習を破る香りに、サイガとセナの二人は困惑しながら各々の部屋から出て台所へ向かった。
二人がそろって目にしたのは、軽く焦げ目のついたパンと消化に時間のかからないよう具を刻んだスープという、胃の負担にならず昼までの栄養源となる、効率よく考えられた朝食。香りもよく、寝起きの腹にも食欲を誘う。
サイガとセナは料理が決して得意ではない。ここ数日の朝食は適当な食材に適当な味をつけた簡素なものだった。それだけに、この考えられた食事は目にした瞬間に二人に感動さえ与えた。
「あら、二人とも、もう起きてきたの?もう少しゆっくりしててもいいのよ」
あっけにとられ立ち尽くす二人に、まだ病の影を残しながらも笑顔でねぎらいの言葉をかけるサーラの姿そこにはあった。
「サイガさん、あなたの薬効いたみたい。今までにないくらい気分がよくって、寝ているのがもったいなくて起きてきてしまったわ。それじゃあ少し待ってて、準備が整ったら御礼もかねて食事にしましょう」
まるでこれまで同じ朝を迎えるように自然体のサーラだったが、その声は喜びに満ちているのがわかる。
「体調は・・・!」
サイガがサーラを気遣う一言を発しようとしたと同時に、セナが駆け出した。二人に背を向け支度を終えようとするサーラの背中を包み込むように抱きついた。
「・・・・・・!」
セナは抱きついたまま言葉を発しない。いや、発してはいるが声になっていないのだ。
セナは泣いていた。長い髪、背に顔をうずめながら何度も母のことを呼び続ける。そんなセナに「あらあら」と戸惑いの笑顔を見せながらも、サーラの目にはかすかに涙が見えていた。
数分の後、落ち着いたセナはサーラから離れると顔を洗うといって外へ出た。その顔は涙と鼻水にまみれていた。
「薬が効いてなによりです。ですがまだ家事をされるのは無茶ではないですか?」
「そうね、たしかにまだ胸の奥にだるさはあるけど、これまで寝てた分を取り返さなきゃ。それに私、セナと一緒で体力には自信があるの。遺伝かしらね、だから心配は要らないわ」
本来の性格なのか、それとも病の反動か、サーラはそれまでの病床の姿からは想像も出来ないくらい明るい。
「それは知ってるけど、だからってまだ治りきったわけじゃないんだろ?私はいいけど、サイガの言うことはきいて無茶はやめてくれよ」
顔を洗い終わったセナがサーラをいさめる。
そんなセナの泣きはらした真っ赤な目を見て、サーラは先ほどの言葉を訂正し、自重することを告げた。