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王都から馬車で三日、アルデンス領に到着した。
到着時には空が暗くなっていたので、ひとまず宿を借りる。
明日にでも早速領民に話を聞いて回るつもりだが、その前に一度、問題のアルデンス伯爵家の屋敷の場所を確認しておこうと思った。
それに、正直屋敷の外観から確認出来ることなどないが、本当に『怪物』なんてモノが住んでいるのかも気になった。
人が寝静まった時間帯、世闇の中足を運び、遠目から屋敷を確認出来る距離まで来た。
一見すると、普通の貴族の屋敷だった。
もしセシルが『授かる者』なら、力になりたいと思うが__、
そんな事を考えていると、屋敷から一人の人間が出てきた。
遠目では詳細は分からないが、長髪の影がフラフラと歩いているように見える。
女性だろう。
アルデンス伯爵夫人は五年前に病気で亡くなられて、今は伯爵と娘の二人で暮らしているらしい。
セシル・アルデンスか?
なぜこの時間帯に外出しているんだ?
……正直無いと思っていた可能性も、頭の中に浮上してくる。
仮に陛下の言うように能力を自覚した上で悪用しているのなら、話は変わってくる。
その場合は、俺が止めなければいけない。
問題は戦闘力だ。
強力なその力から、最高戦力として『授かる者』を保有する国も珍しくない。
先の戦争においても、『授かる者』が出向いてきて戦ったが、数多くの仲間の命を犠牲に、苦戦した末ようやく倒すことが出来た。
周囲に被害が及ぶあの規模の戦闘はもうごめんだ。
セシルの後を追う。
彼女は子供の徒歩よりも遅い、おぼつかない足取りで歩き続け、時間をかけてようやくたどり着いたのは、海辺だった。
……景色を見に来たのか?
そんな俺の疑問を即座に無視するように、セシルは下を向いて歩き続ける。
途中林に入り、坂を上り、そしてたどり着いたのは、より広大な海が見渡せる断崖絶壁の上だった。
ここまで来たら単に景色を見に来ただけとは思わない。
万が一のケースに備えて、彼女を助けられる範囲まで俺が近づこうとした時だった。
迂闊だった。
俺が林を抜けた時の音が漏れてしまったのか、それまで断崖絶壁で海を見渡していたセシルが、突如俺の方を振り向いた。
……。
しまったという焦り。
だが、次の瞬間にはそんな感情も霧散した。
月明かりに照らされた彼女の容姿が、俺の思考や感情を全て吹き飛ばした。
茶色の長髪に翡翠の瞳、たれ目で幼い可愛らしい顔立ち。
衣服がボロボロなのと、袖や裾から漏れる手足が細い理由は気になるが、それをはるかに補って余りある程、彼女は容姿が整っていた。
にも関わらず、地味というか、おとなしめな雰囲気を感じる。
彼女は自身の容姿の事など一切興味がなさそうで、ただただ困っていて、そんな表情が、彼女が純粋な人間である事を俺に強調してくる。
守ってやりたくなってくる、庇護欲を掻き立てられる。
夜会で俺に近づいてきた、自分の容姿に自信があったり、胸元を強調してくる令嬢。
俺の地位や財産を利用しようとする人間とは明らかに別種だと思った。
……ここまで考えれば、最早自分の気持ちを偽る事など出来なかった。
俺は、彼女に一目惚れをしていた。
そんな事を考えていると、俺を見たセシルは慌てて一目散に逃げようとして、足元が崩れ、そして__。
咄嗟に足が動いて良かった、俺は落下する彼女の腕を掴んでいた。
後はセシルを引き上げるだけだが、
「……っく」
腕一本で小柄な女性を引き上げるくらい訳ないと思っていたが、中々力が入らない。
『彼女が『怪物』だと噂される所以に、彼女が周囲の人間の力を奪ったり、街のモノを腐らせたりすることがあげられるらしいが』
陛下の言葉を思い出す。
そうか、これが彼女の。
それでも俺は力をふり絞り、時間をかけて彼女を引き上げた。