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〝アオ〟に触れる  作者: 色魅 空
5/5

一章 ボクの〝アオ〟は切実な願い (part4)

 サリサリ、サリ、サリサリサリ。

 微かに紙の上をシャープペンシルの走る音が響く。

 部屋は真っ暗で、机に備え付けられた明かりだけが煌々(こうこう)としていた。

 笹竹はいつもと違い、髪をおろし、黒縁の眼鏡をかけていた。髪だけが光をうけて、いつものように綺麗に輝いている。

「…終わり、っと」

 笹竹はシャープペンシルを置いて、腕を上にあげ、ゆっくりと背中を伸ばす。そのあと机の照明を切って、暗闇の中なれた足取りでベッドに向かい、体をなげる。

 ぼーっと、天井を眺める。そうしていると、彼の、アオバくんの顔が浮かぶ。まぶたの淵まで浮かぶ涙、今にも零れそうで、でも零れずに限界まで膨張する涙の袋。

 あの涙の袋が破けた時の味を、ボクは、私は知っている。

「あ」

 思い出したかのように眼鏡を取る。そして、ベッド脇の小さな棚の上に置いた。

 そこにはスマホがあった。スマホを見て、青葉と「FreeK」(フリーク)のアカウント交換をしたのを思い出す。

 もう随分と久しぶりだった。自分から連絡先の交換を持ち出したのは。木トとはもちろんのこと、日和との交換でも自分からは言い出さなかった。もう、誰とも仲良くなれないと思っていたから。

 スマホの画面を人差し指でコツン、と叩く。液晶画面が光り、ロック画面と時間を表示する。

 時刻は零時。ロック画面の背景には、猫をデフォルメしたようなキーホルダーが二つ表示されていた。

 笹竹は少しの間その画面を見て、すぐに目をそらす。画面の光が消える。

 今度は彼の声が頭に響く。

『僕が彼女に感じていた思いは、混じり気のない純粋な赤みたいだった』

『僕が想像していた〝恋〟は、どこか濁ってて、他人が見たらきっと汚くて、でも愛おしい、そんな赤だった。だから違うんだと思ってた。でも、その赤はもうない。彼女と共に消えた。だから、分からなくなった。あの赤が何を示していたのか』

「…純粋な赤」

「アオバくんの表現は独特だな…でも…」

 分かる気がする。そう思ってしまう。とても不思議な感情だった。

 彼はボクのことを〝アオ〟だと言ってくれた。それは嬉しかったけど、それと同時に見透かされている気がして怖かった。でも、そう感じた理由は分からない。それにボクは〝アオ〟くなんかない。色で例えるならボクは-———

「黒だろうな」

 口に出してみて、やっぱりしっくりくる。ボクは黒だ。

 また、ぼんやりと天井を眺める。暗闇がゆっくりと、思考を黒く染めていく。それに合わせて、ゆっくりと天井が小さくなっていく。天井が点になるかならないかのところで、笹竹の意識はぷつりと、途切れた。



****


「ねえ」

 少女はキャンバスに筆を滑らせながら、横に座る少年に声をかける。

「なに?」

 少年は描かれていく雲と青空だけの絵を見ながら返す。

 その絵は何の変哲もない空の絵だった。でも、全体的に淡い色で構成されたその絵は、今にも消えてなくなってしまいそうなほどはかなく、そして綺麗だった。

「ワカバくんは、青は好き?」

 少年は少女を見ずにぶっきらぼうに返す。

「若葉じゃなくて青葉」

「青葉は若葉だから同じようなもんでしょ?」

 少女は淡い青の線をのばしながら言う。

「間違ってないけど、間違ってるよ」

「なにそれ?哲学的な何か?」

「違う。…はあ、まあ、なんでもいいや。で、なんだっけ?青が好きか、だっけ?」

「うん」

 少年は、絵の空から目の前に広がる空へと視線を向ける。

「まあ、好きかな」

「そう。じゃあ、どんな青が好き?」

 少女は筆を止めない。滑らかに、ゆっくりと、淡い青の面積を増やしていく。

「どんな青?青は、青でしょ?」

 少女は少しムッとする。

「違うよ。青には碧とか藍とか縹とか色々あるんだよ」

「ふーん、良くわかんないけど、僕は濃い方が好きかな。紺色とかそういうやつ」

「…そっか」

真白ましろは?」

 少女は筆を止め、空を見る。

「白に限りなく近い青が好き」

 少女は筆を小さな黄色の筆洗につける。

「誰も傷つけず、弱々しいけど、優しく寄り添ってくれるような、そんな気がするの」

 少年は少女の顔を見つめる。

 少女はとても優しい顔をしていた。少年の目には、その少女こそ、白に限りなく近い青に見えた。


****



 目を覚ます。

 時計を見ると時間は午前六時五五分を指していた。曜日のところには『土』と表示されている。

「久しぶりに、見たな…」

 青葉はまだ開ききらない目をこすりながら、言葉をこぼす。

 カーテンを開ける。今日も空はとても晴れていた。

「…真白」

 言葉をつぶやいて思う。僕はいつから、〝アオ〟を探すようになったのだろう…?

きっかけは分かっている。でもいつからなのか、それが分からない。

 ぼーっとした頭をなんとか動かして、体をベッドから起こす。

 青葉と笹竹がはじめて屋上で練習をしてから、一週間が経った。あの日から青葉の成長は進み、なんとか台詞せりふをたたきこむことに成功した。その理由は明白だった。笹竹の言葉が的確だったのだ。

 僕はとりあえず新規に感情を獲得するのは難しいと考え、感情の変化の仕方を頭に覚えさせた。そうすると、祐介の感情を完全に理解できなくても、頭が、心がついてくるようになった。それは数学の難しい証明問題を理屈で理解するのではなくて、解き方の手順で理解するような、そんな感覚だった。

 でも、まだ付け焼き刃のような状態で、演技が硬いと部長からは指摘された。それでも、この短期間で台詞を覚えたりしたことは評価してくれて、とても嬉しかった。

 青葉は自室を出て、階段を降り、洗面台で髪を濡らしタオルで拭く。ある程度の水気がとれるとタオルを洗濯カゴに投げて、リビングに向かった。

 リビングでは、青葉の母親である佐藤由紀サトウユキがコーヒーを飲んでいるところだった。

「あれ、どうしたの?起きるの早くない?」

「何となく、目が覚めたから」

「そ、なんか食べる?」

「いや、いい。食欲ないし。コーヒーだけもらうわ。瓶、どこ?」

「台所のところ」

「りょうかい」

 青葉は台所に向かうと、洗い場横のスペースに置いてあったインスタントコーヒーの瓶を開ける。瓶からは嗅ぎなれた良い香りがする。食器棚を開けタンブラーを出し、引き出しからはプラスチックのスプーンを取り出す。金属のスプーンだと、同じく金属のタンブラーにコーヒーの粉末とお湯を入れて混ぜる時、独特の金属の音がしてしまう。それが青葉は苦手だった。

 お湯は由紀が沸かした余りがあったので、それを使ってコーヒーをれる。青葉は台所の反対側、由紀がいるテーブルに向かい、はす向かいの椅子を引いて座る。

「今日はお昼どうする?」

「いい、予定があるから」

「そう、夜はいるの?」

「うん、その時には帰るから、お願い」

「分かったわ」

 会話が途切れる。

 コーヒーを口に運ぶ。匂いが嗅ぎなれたものなら同様に、味もいつもと変わらない、とはいかず、今日はいつもよりほんの少し苦かった。

 由紀はコーヒーを飲み終えると、朝食が載っていたであろう食器類も持って台所へ行き、洗い物を始めた。壁に掛かっていた時計を見る。時間は午前七時二〇分を指していた。

 青葉はコーヒーを飲み干すと、洗い場の前にあるスペースにタンブラーを置く。

「これもお願い」

「はいはい」

 そう言って、由紀はタンブラーを取り、洗い始める。青葉は自室へと戻る。

 自室へと戻ると、青葉は制服に着替え始めた。休日の学校には制服で行かなければならない、なんていう前時代的な校則はないが、基本的に制服で来ていないのは運動部だけで、それも全員ジャージである。

 着替え終えると、学校に行くときに使っているリュックを背負って、一階に降りる。

「行ってきます」

「いってらっしゃい」

 リビングに顔を覗かせ、いつものように挨拶だけ済ませて、玄関に行き、靴を履き、家を出た。

 まだひんやりとした空気が肌をかすめ、体を包み込んでいく。その空気を吸い込むと、何とも言えない心地よい気分になる。

 見慣れた道をゆっくりと歩いて行く。肺に取り込んだ空気のせいか、世界がほんのり青く見える。

「真白には世界がこう見えてたのかな…」

 ぽつりと、言葉が漏れる。

 想像してしまう。彼女の世界を。僕が初めて素敵だと思った、彼女だけの綺麗な世界を。

 ぼんやりと淡い青で色づいた街並みを見ながら歩いていると、いつのまにか学校の校門から各校舎へと続くレンガ敷きの歩道まで来ていた。

 歩道の左右には大きな木々が生えており、その木々の枝葉によって頭上も緑で覆われている。その緑のトンネルとでも呼ぶべき空間は、少し沈んだ青葉の心をほんの少し持ち上げ、平静に戻してくれる。

 緑のトンネルを抜けると校舎が現れた。そこに青葉は入っていく。靴を履き替え、階段を上がる。ときおり、カチン、と金属音が微かに響く。

 屋上につくと扉を開けて、先週と同じように貯水タンクのある高台へと上がった。

 青葉はカバンから台本を取り出し、座る。カバンを地面に置き、台本をカバンの上に置いた。空を見る。青い。そんな空をぼーっと、見る。

 そうしているとほんの少し睡魔が襲ってきた。スマホを取り出し時間を確認する。午前八時ちょうど。マユさんとの約束の時間までは一時間ほどあった。そう考えると、この睡魔に耐え続けるのは無理だな、と確信する。

 思い切って青葉は横になる。スマホでアラームを五〇分後に設定すると、目をつぶる。そうして直ぐに青葉の意識はぷつりと切れた。



 混じった音が聞こえる。

『ピピピ、おー、ピピピ、起き、ピピピピ、る?、ピピピピ、てるぞ?』

 意識が覚醒していく。それに合わせて混じっていた音が二分化されていく。

『ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ』

『おーい、起きてる?鳴ってるぞー』

 はっ、と青葉は目を覚ました。それと同時に反射的に上半身が持ち上がる。

「うお、っと。びっくりした…」

 青葉は横を向く。そこには笹竹がいた。

「笹竹さん…」

「おはよ、早いね。まあ、寝てたけど」

「あ、おはよ。うん、少し早く来ちゃって」

 そっか、と言って笹竹はじーっと青葉を見る。

「な、なに?」

「ん?いや、『笹竹さん』ねー、と思ってさ」

「え?あ、いや」

 青葉は少し慌てる。

「まあ、部活のときとかはね、いきなり呼び名を変えてると、あれー?ってなるかもしれないし、分かるよ?」

「う、うん」

「でもさ、今日は大丈夫なんじゃないの?」

「そ、それはそうなんだけど…」

「だけど?」

「なんか、気恥ずかしくて…」

「気恥ずかしい?」

「うん…」

 先週、僕は『笹竹さん』ではなく『マユさん』と呼んだ。それはその時の雰囲気や感情に任せて言ったものだった。だから、日常で使おうとしても何だか使いづらかったし、なにより恥ずかしかった。

「あの時はその勢いで言っちゃって…よくよく思いだしてみたら、結構、ハズイことしてるな…、って思ってさ」

「なるほどね」

「ごめん…」

 青葉は少し視線を下げる。

「ま、だろうね」

「え?」

 青葉が視線を上げると、笑顔の笹竹の顔があった。

「いや、急に距離感つめてきたなー…とは、思ってたのよ。まあ、嫌じゃなかったから良いかな、とは思ってたんだけど。でもアオバくんがその後、どんなリアクションとるのかは気になっててさ。ま、予想通りすぎたけど」

 そう言って、ふふ、と笑う。

「え、あ、そうだったの?なんだよ、もう…」

 からかわれてたことに気付き、顔が熱くなる。

「まあ、でも」

 笹竹が続ける。

「『笹竹さん』はやめにしない?」

「え、なんで?」

「まあ、他人行儀すぎるかなって。先週さ、一応、こう、本音の言葉?って、言うのかな、そういうのを少しぶつけあってさ、『友達』っぽくなれた気がするんだよね」

「…うん」

「だから、もう少し友達らしい呼び方でもいいんじゃないの?って、思うんだけど」

「そう、だね」

「でしょ?だから、はい、『マユさん』って呼ばなくてもいいからさ、そうだな…『笹竹』あたりから初めてみない?」

「いや、でもいきなり呼び捨ては…」

「気にしなくていいって。本人が呼んでって、言ってるんだからさ」

 ね?、と笹竹は少し顔を傾けて言う。

「分かった…」

「よし、決定。じゃ、一回よんでみてよ」

 そう言うと、笹竹は青葉を見つめる。ほんのり茶色がかった目が凄く綺麗で、吸い込まれそうになる。

 青葉は頭を軽く振ると、深呼吸をして、心を整える。笹竹の目を見る。

「…笹竹」

「うん、良く出来ました。これからはそう呼んでよ。まあ、この練習の時間だけでもいいからさ」

「分かった」

「よろしい」

 そう言って、笹竹は脇にあった黒のリュックから台本を取りだす。

「じゃ、やろうか」

「うん」

 そうして僕たちは本を開いた。



 上手くなってるな…、そう感じる。

 二人で練習するときは担当の役以外の台詞を読むために、本を持ちながらやる。だから、ボクもアオバくんも本を見ながら演技をしている。

 でも、台詞が入っているのが分かる。何となくだけど、分かってしまう。やはり、台詞が入っている時と入っていない時では、言葉の区切りや感情の乗り方など細かいところに大きな差が出る。

「はあ、あいつ、そうか、それで…。ごめん、ありがとう。……またな」

 ボクたちは本を閉じる。

「どう、だった?」

「うん、良かったよ。この一週間で本当に変わったよね。びっくりした」

「笹竹さ…笹竹のおかげだよ」

 そう言ってもらえて嬉しかった。でも、ボクは少し助言をしただけ。その助言を読み解き、解釈し、成長に繋げたのはほかならないアオバくん自身の努力だ。

「まあ、でも強いてあげるなら———」

 そう言って、ボクは気になった箇所を指摘する。彼はそれを台本にメモしていく。ボクの言葉が残り、彼の役に立つ、本当に嬉しいことだ。

 それが一通り済むとボクたちは本を読む。今度はお互いに気になったところを言っていく。それを何度も繰り返した。

 午後二時二五分。ボクたちは学校を出た。本当はもうすこしいる予定だったのだけど、二人してお昼ごはんを忘れていた。そこで急遽、学校近くのファミレスに行くことになった。

 中に入ると直ぐに席に案内される。お互い向かい合うようにして座り、脇にカバンを置いた。そしてメニューを見る。アオバくんはミートソースパスタ、ボクはミラノ風ドリアを頼んだ。もちろん、ドリンクバーも付けた。

 ボクたちはそれを待っている間、飲み物を取りに行って、差し迫った中間テストの話をしていた。

「…もう来週なんだよね、中間テスト」

「そうだね、アオバくんは勉強してる?」

「全然」

「本読みばっかりしてた?」

「…うん」

「やっぱり」

 そんな話をしていると直ぐに料理が運ばれてくる。湯気を立てながら、食欲を誘う香りが鼻腔をつく。

 ボクたちはそれを食べながら、話をつづけた。

「でも、まだ範囲的には高校の範囲は少ないし、いけるんじゃないの?」

「いや、どうかな…。その分、ひねった問題とか出しそうじゃない?」

「そうかな…。ひねりようもないと思うけど?」

「そりゃ、笹竹さん…じゃなくて、笹竹は勉強できるからそうかもしんないけど…」

「出来る出来ないじゃなくて、やって来たか来なかったか、の話でしょ?」

「返す言葉もございません…」

「はは、正直でよろしい」

 こんなに何気ない会話が出来たのはいつ以来だろう、そう思った。ボクがボクになった日から友達はいなくなったし、もう出来ないと思っていた。それが今こうして存在している。不思議な感覚だし、ほんの少し、罪悪感があった。

「で、笹竹はどうなの?テスト勉強してるの?」

 あ、『笹竹さん』じゃなくて、さらっと『笹竹』が初めて出た。そう一瞬おもいつつも質問に返す。

「してるよ。というか、常に復習してるから『テスト勉強』っていうのは違和感あるけど」

「あ、そっちか…。さすがだね」

 そう?、うん、なんて会話をしながらも、スプーンでドリアをすくっては口に運ぶ。

「明灯とか木崎くんは?」

「透はやってそうだけど、明灯はどうかな…」

「ふーん、なるほどね。なんかイメージ通りだね」

「まあ、そうだね」

 料理を食べ終えるとコップにさしてあるストローに口をつける。少し甘ったるいレモネードの味が口に広がる。

「まあでも来週からは部活も休みだし、ぼちぼち頑張るよ」

「今日からでもやった方がいいと思うけど?」

「いや一人だとやる気がでなくて…。来週からは明灯と透と一緒に勉強する予定だし、そこからでもいいかなって…」

「一緒にするんだ?」

「うん、放課後に図書館でね」

「へー」

 放課後に図書館で勉強。学生らしいな…と思う。ボクにもそんな時期があったな、とも。

「…笹竹も一緒にする?」

「え?」

 アオバくんの顔を見る。少し恥ずかしそうに、でも、真剣にボクを見ている。

「どう、かな?」

 ボクは迷う。良いのだろうか?ボクが入っても。でも、彼から誘ってくれている。それに明灯や木崎くんもそれを嫌がったり拒むような人ではない。なにより、それは経験になる。そう思った。

「うん、そうだね。お願いしようかな」

「本当!?」

「うん、本当」

 そう言ってボクは笑う。とても自然に、でも意図的に。

 その後も少しのあいだ中間テストの話が続いたが、区切りがつくと演劇の話に移っていった。そうして気付いたころにはすっかり陽が落ちていた。空は紺色と緋色が交じり合ったような色になっている。

 レジで会計を済ませて外に出た。昼の陽で温まった空気が溶けた、少し生ぬるさのある空気だった。でも不快感はない。

「今日も勉強になったよ。ありがとう」

 青葉はそう言って笹竹の隣を歩く。視線は混色の空を向いている。

「ボクもだよ。ありがとう」

 笹竹も混色の空を見ながら言う。

 会話が途切れる。そうして歩き続けているうちに先週も見た公園の横を通り過ぎる。ここがお互いの帰り道の分岐点だった。

「じゃあ、また明後日」

 ボクは言う。

「うん、じゃあ、また」

 そう言って、アオバくんは少し手を振る。ボクもそれを返す。そうしてお互いの背を向けあって帰宅の途についた。



 月曜日 放課後


 僕と透と明灯は図書館に来ていた。テスト勉強のためだ。僕たちの通うこの秀洋高等学校では『図書室』ではなく『図書館』という言葉が使われる。その理由は単純で、図書館という棟があるからである。その棟は三階建てになっており、各階の半分は蔵書エリア、もう半分は自習エリアになっている。さらに自習エリアは一人用のパーテーションで区切られた部屋と、グループ用の個室部屋が用意されている。僕たちは2Aという二階のグループ用の個室部屋にいた。

「にしても笹竹さんが来るとはな…」

 木崎が数学の教科書と参考書を取り出しながら言う。

「私もびっくりした!ていうか、青葉はいつの間にFreeKの交換してたの?」

「え、あー、なんかこの前、ばったり会って、その時にテスト勉強の話になってさ。それで」

 咄嗟に嘘をつく。

「ふーん、そっか。でもそれで誘うなんて珍しいよね」

「ま、まあ、笹竹さんいたら心強そうじゃない?」

「「それは、確かに」」

 とりあえず誤魔化せたようでホッとする。

 そうこうしていると、扉を開く音がした。

「お待たせ」

「あ、いらっしゃい!はい、茉優ちゃん、こっちこっち!」

 日和が笹竹を自分の隣の席に誘導する。

 笹竹が席に座り、教科書や筆箱なんかを取り出し終えたのを確認すると、木崎が口を開く。

「じゃ、始めるか」

 それを皮切りに各々が勉強したい科目の教科書を開き始める。青葉と木崎が数学、日和は物理、笹竹は化学の勉強を始めた。

 最初は集中して各自進めていた勉強も、一時間が経過すると様相は変化していた。

 日和は笹竹に質問しっぱなし、青葉と木崎はお互い同じ問題につまずき、かれこれ二〇分ほど頭を悩ませていた。

 僕はちら、と笹竹を見る。笹竹の前では化学の教科書が所在なげに開かれており、笹竹は明灯の疑問を一つずつ解きほぐしている。明灯はそれを聞き、「そっか!」「なるほど!」を連呼している。横を見ると木崎は「これがこうなる、よな。で、これが…なんでこうなるんだ…?」と言いながら何度もノートに数字を走らせている。僕はそれを改めてよく見る。そうしてようやく間違いに気づいて、木崎と共有し、なんとか答えを導き出した。

 数学のテスト範囲を四分の一ほど片したところで、個室の扉が開く。

「もうすぐ閉館なので、帰宅の準備をお願いします」

 司書さんのその言葉に各々が、はい、と答える。

 そうして僕たちは教科書などを片付け、図書館を出て帰宅の途についた。

 二人ずつ並んで、四人でレンガ敷きの歩道を歩く。前は透と僕、後ろは明灯と笹竹という並びでゆっくりと歩いて行く。後ろでは明灯が「なんか、今日はごめんね…」と謝っている。勉強中のことをかえりみるに、ずっと明灯の質問攻めを笹竹は食らったのだろう。笹竹は「いいよ、むしろボクも勉強になったし」とお手本のような返しをしている。

「今日は家帰ったらどうするよ?数学の続きやっとくか?それとも政経とか暗記系せめる?」

 透がちらと、こちらを見て聞いてくる。

「そうだね…。数学は『数と式』のあたりまではどうにかなりそうだけど、『二次関数』まで入るとしんどそうだから、『数と式』までは今日中にやっときたいかな…」

「あー、なるほどな…。じゃあ、そこまでは俺も頑張ってみるか…。あ、分かんなくなったら聞くから、FreeKの通知入れとけよー」

「はいはい」

 そう言って歩いて行くと、例の公園と分岐路に差し掛かる。

「じゃあ、ボクはここで」

「またね!茉優ちゃん!」

「うん、またね、明灯。木崎君とアオバくんも」

「おー、またな」

「うん、またね」

 そう言って僕らは分かれる。明灯は笹竹が分かれると直ぐに、僕を真ん中にして左側にやってくる。

「んー、今日はすごく勉強はかどったけど、茉優ちゃんには迷惑かけちゃったな…」

 楽しそうだけど、すこし渋い顔をして明灯が言う。

「明灯はもう少し自分でやれよな」

「それは言い返す言葉もないよ…」

 はあ、と珍しく明灯が溜息をつく。余程もうしわけないと思っているらしい。

「ねえ、青葉」

 そんなことを考えていると不意に明灯が僕を見る。

「なに?」

「茉優ちゃんと何かあった?」

「え!?」

 ドキリとする。明灯は表情を変えずに聞いてくる。

「なんかあったの?」

「…どうして?」

「うーん、どうして、って言われると難しいんだけど…、なんか距離感が縮まってる、気がするんだよね…。気のせいかな…」

 明灯は親指と人差し指で顎をはさみ、両目を閉じ、頭を微かに傾けて、いかにも悩んでます、みたいな仕草を取る。

「いや、部活でさんざん顔を突き合わせてるんだし、多少は慣れもあるんじゃないの?…分かんないけど」

「うーん、そっか…」

 なんだか腑に落ちてなさそうだが、「まあ、そっか…」と言いながら、納得したような仕草を見せる。十字路に差し掛かる。ここが僕たち三人の分岐路だ。

「じゃ、じゃあ、僕はここで。また、明日」

「おー、またな」

「うん、またね、青葉」

 二人に背を向けると、僕は右手を心臓のあたりに当てる。

「…びっくりした」

 小さく呟くと、深呼吸をする。別にやましいことでもないが、何だか二人にそれを話すのは恥ずかしかったし、罪悪感があった。

 僕は少し歩幅を広げて急ぎ足で家に向かった。



 明灯はあることに対して凄く鋭い。青葉はその「何か」については知らないだろうけど、俺は知ってる。

 隣を歩く明灯を見る。考え込んでいる。青葉と笹竹の関係のことだろう。

 俺もそのことには薄々きづいていた。でも指摘できるほどじゃなかったし、する気もなかった。でも明灯は指摘した。その特化した鋭い感覚の琴線に触れたのだろう。

「ねえ」 

 明灯が口を開く。

「どうした?」

「どう思う?茉優ちゃんと青葉。なんかあったのかな?」

「さあな。俺は何にも感じなかったし、考えすぎじゃないか?青葉が言ってたように一月も同じ部活で活動してれば仲は多少なりとも縮まるしな」

 とりあえずそう言っておく。俺自身、何もつかめていない状況で、明灯に心配事を抱え込ませても仕方がない。

「…そっか。まあ、透が言うなら、そう、なのかな」

 渋々といった様子ではあるが、明灯は納得した様子を見せる。

「ていうかさ」

「なに?」

「もう着いてるぞ、お前ん家」

 え、と言いながら明灯が横に顔を向ける。

「あ、ほんとだ…。全然、気付かなかった」

「ま、考え事もほどほどにしとけよ。でないと中間で赤点とることになるぞー」

「そ、そんなことないから!」

「ま、気を付けて頑張ることだな」

「うー」

「じゃあな明灯」

 俺は手を振る。明灯は納得のいかない顔をしながらも返す。

「ん、じゃあね、透」

 そう言って俺らは分かれる。

「…少しは気を逸らせたかな」

 小さく呟く。空を見る。もうほとんど紺色に染まった空には微かに白い光が散っている。

 木崎はスマホを取り出して、ロックを解除し、画像フォルダから一枚の画像を選択し、拡大する。そこには真っ白な髪に白いまつげ、色素の薄い目に、白い肌をした綺麗な少女が映しだされていた。

「もう少し待っててくれよ」

 そう言って、木崎は画像フォルダを閉じ、スマホをしまう。

「…真白」

 その小さな呟きは夜のとばりに溶けて消えていく。まるで空に浮かぶ白い光の一つとなるように。


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