一章 ボクの〝アオ〟は切実な願い (part3)
一年生四人が役をもらってから、二週間が経った。
「はあ、あいつ、そうか、それで…。ごめん、ありがとう。……またな」
パンッと乾いた音が響く。
「はい、おっけー。うんうん、みんな、だいぶセリフが入ってきて、上手く感情が乗せられるようになってきたね」
木トはニコニコと笑いながら言う。
「じゃ、ザクっと私から講評させてもらうね。まずは透くん」
「はい!」
「透くんはね、セリフが入ったばっかりっていう感じが凄いね。声の抑揚とかはちゃんとあって悪くないんだけど、『読点、句点』が無さすぎ。言葉って声の抑揚も大事だけど、タメみたいなのも大事なの。台本の字面どおりにしろ、なんて言わないし、むしろやり過ぎないで欲しいんだけど、そういう言葉の流れを止める、切る、っていうのもちゃんと意識してみてね」
「分かりました」
木崎は「そっか、確かにな…」と言いながら、脇の机の上に閉じて置いていた台本をめくり始める。
「次は明灯ちゃん」
「は、はい!」
「明灯ちゃんはね、シンプルに恥ずかしがりすぎ!こっちまでドキドキしちゃったよ。でも、それ以外は良かったよ。読みながらも少し体を動かしてたでしょ?動きもイメージできてるんだなって、感心しちゃった。こっからの練習は頑張って羞恥心を払拭していこうね!」
「はい!ありがとうございます!頑張ります!」
日和は一生懸命に台本に何やら書き込みをする。
「次は茉優ちゃんね」
「はい」
「茉優ちゃん、上手いね…。びっくりした。セリフも完璧だし、現時点では言うことなしかも」
「ありがとうございます」
「茉優ちゃん、演劇、未経験だよね?」
「はい」
「才能だね…。じゃあ、茉優ちゃんはゆっくりでも良いから、動きとかも少し考えてみてよ」
「分かりました」
笹竹は口元に手を当てて、何かを考えるように、少し下を向いた。
「最後は青葉くん」
「はい」
こくん、と喉が鳴る。何を言われるのだろうか、そんな考えで頭がいっぱいになる。
「青葉くんはまずはセリフ入れるところからだね。長いから大変だとは思うけど、早めに入れないと、動きのイメージもできないし、みんなと合わせた練習がしづらくなっちゃうからね」
「…すいません」
「いいよ、気にしなくて。今日の練習を見てた感じ、ちゃんと読んでるのは伝わってきたから。ところどころ、おお、いいじゃん!っていうセリフのとこもあったし」
木トは青葉に近付いて、おもむろに青葉の頭に手を置くと、ぽんぽん、とやさしく叩く。
「がんばろうね」
「は、はい」
何だか気恥ずかしくて、声が上擦る。
「じゃ、一年生は各自で台本を読み込んだり、セリフの言い回しを工夫したり、動きを考えたりしてて。二年生は舞台パネルと大道具、小道具の話し合いするから集まってー」
「はーい」、「はい」と言った声があちこちで上がる。青葉たちは四人で集まる。
「んーと、どうする?」
木崎が三人に聞く。
「ボク的には本読みが良いと思うよ。全員の課題に共通して必要なことだし」
「そうだな、そうするか。じゃ、青葉、よろしく」
「え、よろしくって、どうすればいいの?」
「青葉のタイミングで読み始めたら、開始ってことで」
「あ、なるほどね、わかった」
息を吸って、ゆっくりと深く吐く。
そうして僕たちは、自分ではない人たちの言葉を紡いでいく。
翌日 土曜日
青葉は音のない階段を上っていた。青葉が階段を上がるたびに、上履きと階段の淵についた金具が接触し、カチンという音が微かに響く。
土曜日と言うこともあり、部室棟には人っ子一人いない。たまに遠くから「パース!」と言った運動部の声が聞こえてくるが、それを除けば無音そのものだった。
青葉は最上階の踊り場に辿り着いた。そこには屋上への扉がある。青葉はその扉を押した。扉はギイイという年老いた音をたてたが、ほとんど抵抗なく開く。そこには、きれいな青空が広がっていた。
目が一瞬くらむ。でもすぐに慣れ、綺麗な青を映しだされる。
そのまま、屋上を歩いて行く。
屋上には貯水タンクがあり、そこだけ少し高くなっている。青葉はそこに続く梯子を上った。
あの日、笹竹がいた場所だ。
なんとなくそこに行きたくなった。
上がりきるとカバンを置き、横になる。カバンから、台本を取り出す。視界には台本の文字と少しの空が映っていて、何だか、小学生が作った注意喚起のポスターみたいだった。
台本の文字を追い始めた時、ギイイという音が遠くで鳴って、青葉はビクッと体を震わせた。上半身を持ち上げ、先ほど通ってきた扉に視線を向かわせる。
「あれ、青葉君?」
そこには笹竹がいた。
「笹竹さん?え、なんで…」
「ボクは宿題の息抜きに来たんだけど…。君は?」
「僕は、本読みで。なんか、気分変えたくて」
「ふーん、そっか。そっち、行っていい?」
「あ、うん」
そういって、笹竹は先ほどの青葉と同様に梯子を上る。
「よいしょ、っと」
笹竹は梯子を上りきると、青葉を見て、少し笑う。
「ここ」
「え?」
「君とボクが初めてあった場所だね」
「…え?」
びっくりした。初めて会った、確かに僕にとってはそうだ。でも君にとっては…
「あ、気付いて、たの?」
「うん、あんだけじっと熱い視線、送られたらね」
「あ、いや、それは」
頬が熱を帯びる。
「ね、なんで見てたの?」
「それは…」
「それは?」
なんて言えばいいのだろう?素直に〝アオ〟かったからと言えば良いのだろうか?でも、何だか恥ずかしくて、言いたくなくて、咄嗟に言葉が出る。
「綺麗だったから」
「え?」
自分の口から洩れた言葉に、その言葉が与える意味に、気付いた時には遅かった。僕の頬はさらに熱を持つ。笹竹さんの驚いた顔だけが目に映る。
「あ、っと、これは驚いたな…。そんなにストレートな言葉が飛んでくるとは…」
あはは、と苦笑いを浮かべる。
「あ、いや、その綺麗っていうのはえと、そういう意味じゃ、いや、違わないんだけど、えと…」
混乱して、言葉が散らばる。
「落ち着いて。はい、深呼吸」
吸って、吐いて、と言う笹竹の言葉に従って、呼吸を整える。
「あ、ごめん…。取り乱して。あの、綺麗っていうのは見た目じゃなくて、雰囲気で…。いや、見た目もその、綺麗…だとは思うんだけど、そうじゃなくて…」
「んー、どういうこと?」
「あ、えっと、その…」
諦める。〝アオ〟について説明しよう。そう思う。でも、それと同時に彼女が脳裏に浮かぶ。キャンバスに絵を描く一人の少女。振り払う。今は駄目だ。そうして記憶の奥にしまった。
「あの、笹竹さんを見た時に〝アオ〟を感じたんだ」
「…青?」
「多分、違う。カタカナで〝アオ〟」
「アオ…」
「うん、〝アオ〟。〝アオ〟っていうのはね———」
そうして、あの説明をする。
「———そういう、ものなんだ」
笹竹は自分の中に言葉を落とし込むように、青葉の胸元あたりに視線を落としたままでいる。
「〝アオ〟……。綺麗か…。分かる気がする」
「本当…?」
「うん。でも、なんだかその〝アオ〟って、悲しい、気がする」
悲しい。確かにそういう側面もある。でも、それだけじゃない。だけど、何故だろう、笹竹さんのその言葉を聞いた時、〝アオ〟には悲しいという面しかないのではないか?そんな気がした。
「とにかく、その〝アオ〟っていうのを感じたから、青葉君はボクを見てたわけだ」
「うん」
「そう、〝アオ〟か…」
〝アオ〟…。笹竹は小さく口を動かして、確認するように、なんども、声にはのせず、呟く。
「青葉君は、」
「ん?」
「ううん、やっぱ、何でもない」
髪の毛の色素の薄い部分が太陽の光でキラキラと輝いていて、顔ははっきりと見える。でも、何故だか、彼女の顔は翳っているように見えた。
笹竹は顔を微かに左右に振る。何かを振り払うように。
「ねえ」
「なに?」
「本読みするんでしょ?一緒にやろうよ」
「え?あ、うん。いいの?」
「いいよ、息抜きになるし。それにどうせ読むなら声に出した方が良くない?それに相手もいた方が」
笹竹は笑顔で言う。先ほどの翳りは見えない。
「それは確かに…」
「じゃ、やろ」
「あ、うん」
笹竹は「よっ、と」と小さく言って腰を下ろす。
「座ってやろう。ほら、ここ座って。あと、本見せて。今日は持ってないから」
「あ、うん、分かった」
青葉は笹竹の隣に座って、台本を互いが見えるようにする。
距離が近くて、少し心臓が跳ねる。派手だけど綺麗な髪に、綺麗な横顔、女子特有の微かに甘い香り、全てが青葉の心に揺らぎを与えてくる。
「どうかした?キミからだよ?」
「え、あ、うん。あ、ていうか、僕と笹竹さん以外の役はどうするの?」
「ボクがやるよ。青葉君は自分の役に集中して」
「あ、うん、分かった。ありがと」
「ん、どういたしまして」
青葉は口を開く。自分としてではなく、祐介として。
順調に進んでいく。最初は問題ない。祐介の心の機微が読める。成れる、成りきれる。物語はゆっくりと進んでいく。
回想のシーンが終わる。
ここからだ。女と祐介のシーン。ここから僕は、祐介の心の機微が読めなくなる。祐介と僕が乖離していくような感覚に襲われる。祐介の激情。それが理解できない。僕はここまで誰かを強く愛したことは無い。だから心がついてこない。だから祐介の言葉を紡いでいけない。
それでも字を読んでいく。でも分かってしまう。読んでいるだけになっている。感情がのっていない。国語の授業で「読んで」と言われたから、淡々と読むような、そんな感覚。そのまま、物語は終わりへと向かっていった。
「はあ、あいつ、そうか、それで…。ごめん、ありがとう。……またな」
読み終えると二人はほんの少し、ふう、と息を吐く。
「どうだった?」
青葉が笹竹に聞く。
「そうだね、前半は結構よかったと思うよ。でも、後半がなんか、なんだろ、気が抜けている訳じゃないんだけど、言葉が音として聞こえてくるだけ、というか…」
「感情がのってない?」
「うん」
笹竹はじっと青葉を見る。
「ねえ」
「なに?」
「青葉君ってもしかして、自分の理解が及ぶかどうか、で演技してる?」
「ん?それはどういう…」
「つまり、自分の経験した感情を基に演技をしてるんじゃないの?ってこと」
「え、違うの?」
素直に驚く。演技をするには役に成りきる、役を自分に落とし込む必要がある、そう思っていた。要は、自分の想像の枠内に役をはめ込まなければならない、青葉はそう思っていた。
「違う、って断言するのは難しいけど、ボクは違うと思う」
笹竹は人差し指と親指で軽く顎をはさむ。
「十人十色」
「え?」
「世界は多くの人間で出来てる。他人の視線に極度の緊張を感じる人、あらゆる異性に猜疑心を持つ人、意味もなく他人を信用できる人、明るく振舞うことで壊れた心を隠す人。多くの人がいて、それぞれグラデーションみたいに僅かに色が異なる人たちで世界は出来てる。その人たちの感情を個人の、それも十余年そこらの人間の経験感情で理解できると思う?」
「それは……無理、だね」
「でしょ?つまりはそういうこと。演技の際、経験感情で理解、再現できるならいいけど、できない方がきっと多い。だから、演技をするには新しい感情やその変化を獲得しなくちゃいけないんじゃないのかな?」
その言葉はもっともだった。むしろ何故いままで気付かったのか、不思議にすら感じる。
「言い方がキツイかもしれないけど、はっきり言う。青葉君の演技は間違ってる」
その言葉は鋭く刺さる。
「そう、だね」
僕は、自分と彼女の影を見つめることしか出来なくなっていた。
「青葉君」
「…なに?」
「読もう」
「読む?」
「うん、とにかく読もう。そうして、祐介の感情を理解できるようになろう。できなかったら、感情変化だけでも頭に、心に叩き込めばいい」
僕は笹竹さんを見る。
「ボクが練習に付き合うよ」
笹竹さんは手を伸ばす。
「さ、どうする?やめる?続ける?」
僕は迷わなかった。彼女の手をとる。
「やるよ」
「よし、そうこなっくっちゃ」
そう言って、笑う。
ああ、綺麗だな。そう思う。彼女の笑顔はどこまでも澄んだ青空のように、とても〝アオ〟かった。でも、その〝アオ〟は、どこか青味が強い気がした。
「よし、もっかいいくよ」
「うん」
そうして肩がくっつきそうな距離で二人は何度も、何度も、他人の言葉を紡ぎ続けた。
気付けば空は菖蒲色になり、陽は沈みかけていた。遠くの空には点々と白くちいさな光が浮かび始めている。
「今日はこのくらいにしとこうか」
笹竹は、んー、と言いながら腕を上に伸ばし、体を伸ばす。青葉もつられて同じように体を伸ばしていた。
「うん、そうだね」
青葉は台本を閉じるとカバンにしまう。
笹竹はその間に高台のふちまで行き、とんっ、と飛び降りた。
―――飛び降りた?
ふちまで駆けていき、下をのぞき込む。
「ちょ、大丈夫?」
「え、なにが?」
笹竹がきょとんした顔で振り返る。
「いや、飛び降りたから…」
「あ、そういうこと?でも、大した高さじゃないじゃん」
「いや、そうだけど…」
「ほら、青葉君もとーん、っておいでよ。はい、はやく」
急かされて、青葉も飛び降りる。
とさ、っと軽い音がするだけで、衝撃もほとんど無かった。
「ね?全然でしょ?」
「ま、まあ…」
「じゃ、帰るよ」
「うん」
そう言って笹竹は歩き出し、青葉はそれについていく。
陽が沈みかけていることもあり、階段は薄暗くなっていた。ゆっくりと二人はその階段を降りていく。昼間に来た時とは違い、暗くなった階段はひんやりと冷たく、より静かに感じた。その静謐な空気と、二人の単調な足音、階段の淵についた金具が時折かなでるカチンという小気味よい音などが、霜が降りるように、心を冷たく静かにさせていく。
一階につくと笹竹が振り返った。
「ちょっと、靴、変えてくるね」
「え?あ、そっか、校舎、向こうだもんね」
「うん、じゃ、校門のとこで待っててよ」
「わかった」
笹竹は背を向けたまま手をひらひらと振って、走っていく。
僕はぼーっとした頭で上履きを脱ぎ、外靴へと履き替えて外へ出た。校門へ向かう。もう誰の声も聞こえない。とても静かだった。夕焼けが綺麗でぼんやりと眺めながら歩いていく。
校門までたどり着くと、スライドさせるタイプの鉄製の門に背を預けた。
ほどなくして走ってくる音が聞こえてくる。
「おまたせ」
「あ、うん」
「帰ろうか」
「うん」
傍からみたら恋人同士みたいな言葉の掛け合いだな…、なんてことを考えながらゆっくりと僕は門から背中を離す。
離した瞬間、心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。薄暗く静かな階段を降りている間に静かになっていた心が、ゆっくりと熱を帯びていく。
〝アオ〟の少女。憧れの少女。そう思っている。でも、それが恋愛とかけはなれた感情かどうかは僕にもよくわからない。だから、意識してしまう。
言葉はない。お互い、同じ歩幅でゆっくりと歩いて行く。
十分くらい歩いたころだろうか、笹竹さんが立ち止まって、振り返った。
「ねえ」
「な、なに?」
「ちょっと休んでこうか?」
「え…」
ドキッとする。休んでいく…、それって…。
「ちょっと今、気になったことあってさ。この公園、そこにベンチあるから、少し話さない?」
「あ、休むって、そういう…」
青葉は、はっ、として笹竹を見る。
「ん?なんか言った?あ、もしかしてなんか用事ある?」
「ううん、無いよ。大丈夫」
「それなら良かった」
そういうと、付いてきて、と言って公園の中に入っていく。青葉もその背中をおって公園へと入っていった。
公園にはカラフルな色で構成された小さな複合型ジャングルジム、というか滑り台?のようなものがあって、その奥にベンチがあった。ベンチの上には小さな藤棚があって、春の終わりをほんのりと感じた。
笹竹がベンチに座ると、青葉はその隣に腰を下ろす。少し空いたその距離が、青葉の心を表しているかのようだった。
「で、気になったことなんだけど」
「うん」
何だろうか。鼓動が早まる。この心の内を悟られているのではないか、そんな不安が脳裏をよぎる。
「青葉君、自分の経験感情で演技してたでしょ?」
「え、あ、うん」
どうやら、心の内を見透かされたわけではないようだ。すこし、安堵する。
「じゃあさ、青葉君は誰かを好きになったことがあるってこと?」
好き、という言葉に一瞬ドキリとする。でも言葉の意味を噛みしめていくうちに、青葉の表情は曇っていった。
「…わからない」
そう答えることしか出来ない。
「わからない?」
「うん、わからないんだ」
「どうして?」
脳裏にまた、キャンバスに絵を描く少女が浮かぶ。
「僕は確かに好きっていう感情に似たものを持っていた気がする。でも、あまりに綺麗すぎた気がするんだ」
「綺麗すぎた?」
「…うん。僕が彼女に感じていた思いは、混じり気のない純粋な赤みたいだった」
たくさんの言葉が一気に出てこようとして、喉につかえる。それを必死に抑えて、僕は言葉を選び音に乗せる。
「僕が想像していた〝恋〟は、どこか濁ってて、他人が見たらきっと汚くて、でも愛おしい、そんな赤だった。だから違うんだと思ってた。でも、その赤はもうない。彼女と共に消えた。だから、分からなくなった。あの赤が何を示していたのか」
視界が滲む。
「…ごめん。なにか触れちゃいけないモノに触れちゃったみたいだね」
笹竹はそう言うと、青葉の背中をさする。
「興味本位で聞くことじゃなかったね。でも、青葉君が誰かを好きになる姿が想像できなくてさ。それで聞いてみたくなったんだ。本当、ごめん」
「想像、できない?」
「うん」
「そう、かな?」
「うん。ボクの青葉君に対する第一印象…というか第二印象?聞きたい?」
「…うん」
「金魚の糞、もしくは食玩」
「え?」
滲んだ視界を振り払うように青葉は目を腕でこすって、笹竹を見る。
「木崎君や明灯の付属物に見えた」
笹竹の目は真剣で鋭いのに、どこか暖かくみえた。
「そう見えた。実際、入部理由はそうなんじゃないの?」
「それは…うん」
「でしょ?だから、試してたんだよ。気付いてたでしょ?」
「あ…」
納得がいく。どこか壁があるというか、試されているようなあの感覚はそれだったのか。『自分は真面目に演劇をしたくて入部したのに、こいつはやる気があるのか?』そんな心情だったのだろう。
「でも青葉君は意外とのってきたし、ちゃんと練習もしてきてる感じだった」
青葉の背中に置かれていた手が笹竹の膝に戻る。
「それに今日は真面目にずっと練習に取り組んでた。だから、ちょっと見直した」
笹竹の視線がカラフルな遊具に向かう。それにつられて青葉の視線も遊具へと向かった。
「でも気になった。それでも青葉君は誰かの、ううん、あの二人かな、の気持ちを汲んで自分の行動を決めているように見える。言い換えれば、自分の意思はほとんど無いように見える。それなのに、誰かを好きになったことがあるのかな、って。自分の意思を強く持ってた瞬間があったのかなって」
笹竹は、はあ、と小さく息を吐く。
「でも予想以上だったみたいだね。恋愛感情かどうかは分からないけど、なにか強い意志があった経験はあるみたいだ。それが知れただけでも良かった。ただ、自分で考えて行動するのが億劫なだけの人じゃなくて良かった」
青葉は横を向く。そこには優しい顔をした笹竹がいた。
「ボクとは逆だ」
一瞬、強い風が吹く。藤の花が擦れて、風の音と混じり、笹竹の声をかき消す。
「え?なに?」
笹竹は視線を遊具へと移す。
「なんでもない」
彼女は薄い笑顔を口に浮かべていた。でも気付いてしまう。その笑顔は作り物だ。僕がたまにやる貼り付けられた笑顔だ。でも、何も言わない。
「ねえ」
遊具を見ながら笹竹が口を開く。
「今回の劇が終わるまでさ、毎週土曜日は一緒に練習しない?」
「え?」
青葉が笹竹の方に振り返ると同時に、笹竹も青葉の方へ顔を向ける。
「だめ?」
じっと笹竹は青葉の目を見る。
「…いいよ。というか、お願いします」
「よし、決まりだね。じゃ、改めてよろしく、アオバくん」
笹竹は青葉に手を差し出す。今までの名前の呼び方から、少し柔らかくなっているのを感じる。だから、僕も返す。
「うん、よろしくね、マユさん」
笹竹、という呼び捨ては何となく嫌で、名前にさん付けで返す。でもすぐに、やりすぎかな、と思いなおす。しかし、言い直すのはやめた。彼女がとても笑顔だったから。その笑顔は本物に見えたし、なにより、その時の彼女は、限りなく白に近い綺麗な〝アオ〟をまとっているように見えた。