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昏き夜、眠りにつく前に

作者: 桐谷 迅

 日は傾き、東から闇が迫り来る午後五時。()いだ空を仰いでいた。

 冷めた荒野、頬を掠める空気、暮れと一緒に閉じた花々。そんな物を横目に、僕らは月が昇る方へと向かって走っていた。


「そろそろ代わろうか?」


 運転席の方に向かって声をかける。


「いや、まだ日が落ちてないよ」

「でも、もう五時だけど?」

「もう季節が変わり始めてるから、日が長くなってるだけ」

「ん、まぁ、陽奈(はるな)がそう言うなら」


 走っている軽トラックの荷台に寝転がり、片手で本を持ち、もう片手で缶コーヒーを軽く口に含み、喉に通す。


 苦い。


 本当は、コーヒーなんて好きじゃない。砂糖かミルクが入っているんならまだしも、ブラックなんてよく飲めるよな、なんて思っていた。だが、彼女が買っているのを見て、無性に飲みたくなってしまったのだ。

 まぁ、偶には悪くないよな。


 そんな風に、後味の悪さを耐えながら、本の続きを読み進めていった。


「ふーふふん、ふーんふふん」


 ふと、前から聞こえて来たのは彼女の鼻歌。そして、それが僕らの合図。

 栞を挟み、本を閉じる。一旦、周りを確認すると、ミュージックプレイヤーに繋がっているUSBをスピーカーに差し込み、音量ボタンを少し弄ると、再生ボタンを押した。


 流れ始めるのは、アコースティックギターの軽やかな音。ピアノが透き通った音色を響かせていく。


「『モノクロに染め上げられた、このつまらない世界を抜け出そう』」


 ベースやドラムがリズムを刻み始めると、僕も一緒に歌い始めた。


「『揺れた風景は昨日へ。僕らは進んで行く』」

「『見えない光は明日から。待てないよ、もう』」

「『きっと会えるよ』」

「『すぐに逢えるよ』」


 これは、二人の曲。特別な曲。誰にも真似されない、世界にたった一つだけの曲。そんな曲を全力で歌い、風に乗せ、速度を上げる。しみったれた夜を吹き飛ばすように、止まらぬように。


「『追い掛けて追い越して、僕らは走って行く』」

「『見えない終着点を目指して』」


 暗い空に響く誰かの声。

「なんで」「どうして」「無駄」「無意味」

 そんな言葉に揺らぎそうになる想い全てを歌声に乗せた。

 サビへと徐々に盛り上がっていく伴奏。アップテンポに身を委ね、音量を最大に上げる。そして、一瞬の静寂が明けると、声高らかに歌い上げる。


「『また昨日の夜に遊びに行こうか。誰もいない世界に二人で』」

「『何度も何度も繰り返そう。あの情景を』」

「『終わらない一秒に手を振ろう』」

「『変わらない永遠に背を向けて』」

「『最後の逃避行を』」

「『終着点も分からないこの旅を』」


 速度のメーターは振り切り、幾つもの景色を跨いで行く。

 ()()無い想いに追いつかれぬ様に駆け抜けて行った。誰にも追いつかれない様に。ナンバーワンでいられる様に。


 テンションに上限なんていうものは無く、ブレーキなんていうものはどこにも付いていない。

 何処までも、何処までも、何処までも上げる。

 そうやって、移ろっていく時間に絡みつかれながらも、凍てつく世界を掻き分けた。


 この日を二人で超えて行く為に。




 秒針が十二の数字を何十周も回り終えた頃、もう背後にあった日は完全に沈んでしまった。そして、それと同時に速度を下げ、一度止まる。


「じゃあ、交代ね。結弦(ゆづる)

「はいよ」


 運転席からタバコの箱を取り出すと、一本だけ取り出し、放り投げて戻す。

 口に(くわ)え、懐のライターで火をつけた。途端、勢い良く肺に流れ込んでくる煙に、軽く咳き込んでしまう。

 美味しくもないこれの何処がいいんだか。


 それでも暫く吸い続け、ようやく気管に煙が馴染んだ頃には、もう半分も燃え落ちてしまっていた。

 地面に落とし、靴で踏み消すと、反対側へ回って大きく深呼吸をする。


 冷たいな。

 気づくと、夜が深まり始め、星がキラキラと瞬いている。頬を掠める風に気を取られつつも、(くら)い夜空にちょっと黄昏(たそがれ)る。


「……さぁ、そろそろ行くぞ」

「はいはーい」


 運転席へと乗り込み、シートベルトを締める。エンジンを掛け、シフトレバーをDの位置に下げ、アクセルを徐々に強く踏み始めた。


 この先も一本道。

 見える景色は、ただ一面の草原に、(そび)え立つ山々。時に変わることもあるが、基本的にはずっとこれが続く。正直、綺麗だし、悪くはないのだが、面白味を求めてはいけない。

 結局、運転のお供はいつもの音楽。ついでに、()だりそうな気分は助手席に置いて、スピードを上げていった。


 目の前を流れていく一瞬一瞬を横目に、思い出すは昔の記憶。


✳︎


 どうしても、僕は逃げたかった。


 つまらない大人の罵詈雑言、(けな)されることしか知らない可能性、道を絶たれるばかりの夢や憧れ。無論、そんなことを分かち合える人なんていない。

 誰も彼もが、大人のご都合主義で作られた理想郷のルールに従っている。

 そこから外れた僕は、『不良品』そのもののように扱われていた。やがて、歳を重ねる毎に、自分の否定までし始めてしまったのだ。


 そんな堕ちた自分を見て、十五になったその夜に、バイクに乗って夜を走り抜けたかった。

 でも、そんな勇気も無くて、より下を向いてしまう毎日。(くす)んだ部屋、色褪せた窓の外、埃被った世界。もういっそ––––。


 そう言って見つけたのは、誰もいない体育館裏。ポケットの中に入っているのはハサミだった。


「下らない」


 ある日。彼女は唐突に僕の前に現れ、そう言った。

 制服越しにでも分かる華奢(きゃしゃ)な身体付きに、透き通るような白い肌。当然、外見からすれば、ただの大人しい美人な女子に他ならない。ただ、見覚えがあるような、無いような、そんな近しい雰囲気を持った女子でもあった。


 そんな彼女がどうして現れたのかなんて、分かるわけがない。

 だが、見ず知らずの相手を目の前に、厳しくも優しい言葉を投げつけて来たのだ。


「そんなのって、馬鹿みたいじゃない?」

「え?」

「じゃあ、君は君を否定した人の為にいなくなるの? それじゃあ、君を否定した人が正しくなっちゃうじゃん」


 投げかけられた文字列に返す言葉はない。確かに、間違ってはいない。本当にその通りだ。

 でも、どうして……。そればかりが頭を埋め尽くしている。


「だったらさ、私と付き合ってよ?」

「は?」

「こんなとこをさ、こんな毎日を抜け出そうよ」


 それを言われた瞬間、心の(わだかま)りが音を立てながら消え始めた。同時に、僕を支えていたものも消えてしまう。だけど、代わりのものでは直ぐに補われた。彼女という存在で。


 手を引かれ、“学校から許可なく抜け出してはならない”という決まりを破り、堂々と表門から飛び出していく。行先は分からない。

 それでも良かった。

 きっと、こんな日を僕は待ってたんだと思う。久々に表に出てきた笑顔はぎこちなくて、そして、飛びっきり最高の表情だった。


「ねぇ、君は何か楽器は出来る?」

「え? あ、うん。ベースなら」

「ベース? ギターじゃなくて、何でベース?」

「お祖父ちゃんが弾いてたんだよ。それがカッコよくて」

「へぇ、珍しいね。でも、それなら丁度良かった」


 そんな話も終わる頃、海辺にある廃れた倉庫街へと辿り着いていた。

 そこの八と書かれた倉庫へと、脇のドアから入る。


「此処が私達の始まりにして、終わりの場所だよ」


 そこには、一級品と思わしき楽器の数々が並んでいた。それも、値打ちで言えば、全部合わせると一生暮らしていける程。

 ただ、疑問符は尽きない。


「私ね、音楽が好きなんだ。クラシックでもなくて、ジャズでもない、ポップミュージックでもない、私だけの音楽が。でもさ、誰も評価もしてくれないし、認めてもくれない」


 そんな言葉は深く、重く胸を締め付ける。


「そんな時に、君の物語を、詩を見たの。それで、私も負けちゃいられないって思ってさ」


 乾いた空気、心は緊張で一杯になる。今まで認められることのなかった自分の作品が認められたこと、そして、誰かの心を動かせたこと。それが、一番嬉しかった。


「……ただ、私もそろそろ限界なんだよ」

「限界?」

「うん。だから、二人だけで逃げようよ」

「え? でも、逃げるって言ったって、何処に、何で行くの?」

「目的地は分からない。でも、とにかく東に行く。地平線を越えるまで」

「だから、どうやって」

「トラックがあるよ」

「トラック?」

「そう。お父さんから貰ったんだ」

「じゃあ、免許は? お金は? 泊まるとこだってどうするの? あまりにも無謀すぎるよ」

「そんなこと、気にしなくて、いいじゃん」


 そう言う彼女の目は、確かに僕に向いている。でも、僕とあの楽器以外の全ては、写っていない気がしている。

 何処か、虚空(こくう)を見ているようだった。


「まぁ、今はいいや。取り敢えずさ、リズム作るから、歌詞書いてよ」

「は?」

「いやだから、曲作ろうって言ってるの」

「はぁ? いきなりすぎんだろ」

「別にいいじゃん。一生に一度のお願いなんだし」

「言われてないし。しかも、今日初めて会った奴に、それを言うか?」

「細かいことは気にしないで、ね?」


 結局、彼女の押しに負け、彼女の奏でるリズムを聴き、そこから歌詞を描く。

 何処にも行かず、二人でひたすら曲を作る。勿論だが、幾度かぶつかる事もある。でも、その度に少しずつ互いのことが分かり始めていた。


 そんな日々を繰り返すうちに、惹かれ合い、特別な感情まで抱くようになっていく。

 あの日々は、今までの人生の中で一番最高だった。

 そして、カレンダーが五回(めく)られ、数日が経った頃。ようやく二人だけの曲が完成したのだ。出来は、満足に値していた。


「あ、そうだ。曲名はどうする? 陽奈」

「うーん、そうだなぁ。アレが良いかも」

「アレ?」

「そう」


––––『夜明けの向こうへ』


✳︎


 思い出の感傷に浸りながら、ハンドルを片手に、もう片手でコーヒーを飲み干した。

 メーターは時速五十キロを示したまま動かず、曲がるところなんて殆どなく、片手は添えているだけ。ただ、それでも走っていると言う感覚には満たされていた。


 もう大分走っただろうか。気付けば、空は白み始めている。星も、段々とその姿を消し始めていた。

 空気も柔らかくなり、月は背中のそのまた奥で、もう沈みかけている。風も出てきた時、ふと、後ろから声が聞こえてきた。


「ねぇ、結弦」

「……起きてたのか。んで、何?」

「後悔は……してない?」

「何だよ、今更」

「いや、ほら……」

「大丈夫。だから、まだ二人で居れるんでしょ?」

「うん……」


 細い声。とても震えていた。

 正直、僕だって、いつまでこんなことが続けられるかは分からない。それでも、あの日、あの時に決めた事は決して変えるわけにはいかないんだ。そう強く心に言い聞かせて、彼女と話す。


 今度は、僕が彼女の手を引いてあげる番なのかもしれない。きっと、強がって「任せなさい」とか言うのだろうが、本当は彼女だって寂しいだろうし、辛いんだろう。

 だから、今は二人なんだから、僕だって重荷を分かち合いたい。

 そんな思いもアクセルに乗せ、更に速度を上げた。


「久しぶりに、アレ。歌えるかな」

「ん? 何を?」


 すると、彼女は足場が不安定なまま立ち上がり、風に煽られながらも、胸に手を置いた。

 そして、そっと口を開く。


「『たった一人の世界で。誰もいない世界で』」


 伴奏も無しに、声を張り上げる。


「『彷徨っても、立ち止まっても、何も変わりはしないし』」


 いや、違う。伴奏はある。


 耳を澄ませば、何色もの音が流れていることに気が付いた。

 落ちる月も、登る太陽も、その光を響に変え、独特のリズムを刻む。何処となく、川のせせらぎが聞こえ始めたと思えば、音の下地を作り上げていく。風は草原を駆け抜け、壮大で美しいメロディーを奏でた。


「『歩くしかないんだ。また一歩、一歩進むよ』」


 でも、こんな歌詞、聞いたことがない。

 まぁ、色々聞いてはいたが、別にマニアでも何でもない。だから、特殊なジャンルには(うと)いが、それにしては少し違うような気がする。


「『闇に塗れた景色の中でも、ただ前に行こう』」


 その歌う姿は、とても綺麗だ。

 美しい。そんな三文字では表せないが、生憎、今はこんな言葉しか持ち合わせていない。


「『眠りにつく前に、この昏い夜を超えてゆこう。一瞬先だって分からないし、未来なんて無限。だから、今を超えよう。夜明けの向こうへ』」


 あれ?…………。

 不意に流れた涙は、頬を伝い、風に(さら)われた。

 違う。違う、違う、違う、違う、違う、違う。これを僕が知らないはずがない。

 この詩は……。


––––結弦、くん。また、何処かで––––


 脳裏から蘇り、全身を巡る残響。

 刹那、衝動に駆られ、後ろにいる彼女を見た。

 重なる淡い白のワンピース。風に靡く長い髪。曲線描くシルエット。その全てがあの子と重なる。

 僕が、詩を書くきっかけになった、大切なあの子に。

 最後まで、歌い切ると、彼女は振り向き、笑顔を浮かべる。だが、その眼には一粒の涙が浮かんでいた。


「陽奈、ちゃん……」

「––––やっと、思い出してくれたんだ」


 陽奈ちゃん。

 そんな名前さえ、腐ってしまった日々の中に埋もれてしまっていた。


 小さい頃、僕と彼女はよく遊んでいた。ずっと一緒に、いつも二人で。だが、大人達の都合で、引き離されてしまった。別に、何ら不思議なことではない。そんなこと、世界中の何処でも起こり得る話だ。

 でも、僕と彼女は、多分、互いがどうしようもなく好きだったんだと思う。

 だからか、彼女との別れに合わせて書いた詩は、僕の一番の作品。良くも悪くも、それ以上の作品は作れた試しがない。


 全てを思い出し、募っていく感情。

 何で忘れてたんだろう。僕の心の一番奥底にあった筈の、一番大きな支え。

 あぁ、もう。本当に……。


「……バカ」

「どっちがよ。本当、気付くのが遅いの」

「ごめん」

「そろそろ、夜が明けてきたね」


 太陽は地平線からゆっくり顔を出し、地上を照らし始める。心地良い朝風に揉まれながらも、僕らはひたすら進んで行く。

 ひたすら、東へ向かって。夜明けの向こうを目指して。


✳︎


 僕らの体はきっと、いつまでも海底に沈んだトラックの中なのだろう。

 それならきっと、これはまだ浅い眠りの夢。いつまで続くかも分からない。けど、決して覚めることはない夢。暗くなる前に訪れる夢。

 そう考えれば、何の因果なんだろうか。

 これじゃあ、あの時の詩のタイトル通りになってしまっているではないか。


 まぁ、それでも良いか。二人で居られるのなら。


『昏き夜、眠りにつく前に』

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