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曇天。  作者: 凪


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11月 烈火 ①

「それじゃ、小峰君の門出を祝って……」


 勇蔵がビールの入ったグラスを掲げると、道子と勇蔵の愛人もグラスを掲げた。雄太もグラスを掲げる。


「かんぱーい!」


 その声を合図に、4人でグラスを軽く当てる。それから一口ビールを飲んだ。


「いやあ、ホント、小峰君のおかげで助かったよ。ホームページもできたし、顧客管理も物件管理もすべてパソコンでできるようになったし。ずっとやらなきゃ、やらなきゃって思ってたんだけど、なかなかできなくてね。ホント、助かった!」


 勇蔵から何度もお礼を言われた。


「ホームページを見た人からの問い合わせも、ちょっとずつ増えてますしね。雄太君、本当にお疲れ様でした」


 道子が焼きそばを取り分けて、雄太の前に置いた。


 その日、雄太の送別会が赤羽の居酒屋で開かれた。

 送別会といっても、メンバーは勇蔵と雄太、道子になぜか勇蔵の愛人も加わり、4人だけの飲み会である。


 雄太は来週から前職の後輩が立ち上げたIT会社で働くことになっている。

 あちこちに声をかけたところ、後輩から「来週からでも来てほしい」と言われ、急遽辞めることになったのだ。


「まあ、小峰君もこんな貧乏臭い不動産屋で働いてるより、ITの最前線に戻ったほうがいいもんなあ」

「いえ、最前線ってほどじゃ」


「まあ、辞めてもたまに顔を出してよ」

「ハイ、もちろんです」


 勇蔵に笑いかけながら、

 ――こんなところに二度と顔出すわけないだろ。こっちはヒマじゃないんだからさ。

 と雄太は心の中で嘲り笑っていた。


 ――まあ、いいか。今日一日おままごとにつきあえばいいんだから。飲み会も適当に切り上げて帰るか。


 ところが、勇蔵は酔うと絡む性格で、雄太が途中で帰ろうとしても許さなかった。

 結局カラオケにもつきあわされ、勇蔵が愛人と熱唱する姿をうんざりするほど見せられた。

 この愛人は隙あれば雄太にも色目を使うので、雄太は交わすのに苦労した。


「雄太君、一緒に歌おうよ」

 二人の間に割って入るように、道子がデュエットに誘う。


 ――おばさんとブスが俺をめぐって熾烈な争いをしてるなんて、何の罰ゲームだよ。ったく。


 雄太は、強烈な香水の匂いをプンプンさせている愛人よりはマシだと、道子とデュエットした。道子は酔っているのか、腕を絡ませてくる。


 ――もう、いいや。どうせ今夜限りなんだから。おさわりもOKってことで、いいよ、もう。


 途中から投げやりな気分になっていた。

 道子は最後には酔い潰れ、雄太が自宅まで送ることになった。タクシーで二人きりになると、道子はしなだれかかってくる。雄太は何度も道子を押し戻した。


 道子は荒川の川沿いにある賃貸マンションに住んでいた。

 築30年は経っていそうな、古びた感じのマンションである。雄太は入り口で道子を下ろしてそのままタクシーで帰るつもりだったが、道子はタクシーを降りると道路に座りこんでしまった。


「しょうがねーな」


 雄太は運転手に待ってくれるよう頼んでタクシーを降り、道子を引っ張り起こして、エレベーターまで引きずるように連れて行った。


「何階?」

「にゃにゃかい」

 道子は赤い顔をしながら、ウフンと笑った。


「ハイハイ、7階ね」 

 雄太はげんなりした。


 狭いエレベーターに道子を引っ張り込むようにして乗り込んだ。

 古びたエレベーターが音を立てて動き出すと、反動で道子の体は大きく揺れ、胸が腕に押しつけられた。雄太は振り払うように突き放した。


「もう、いい加減にしろよ。気持ち悪いだろ? ちゃんと立てって」


 雄太が怒鳴ると、道子は驚いたような顔をして雄太の顔をまじまじと見つめた。

 エレベーターは7階につき、扉が開いた。道子は足がすくんだように動けないでいる。


「ほら、早く降りろって」

 雄太は腕を引っ張り、エレベーターから引きずるように降りさせた。


「痛い」

 道子が小さな悲鳴を上げる。


「もう、ここでいいだろ。俺、帰るから」


 エレベーターの扉が閉まりかけたので、「開」のボタンを押し、乗り込む。

 扉が閉まりかけたとき、道子が体を滑り込ませた。道子の体が挟まり、閉まりかけた扉が開く。


「ちょっと、気持ち悪いって、何よ、それ」

 道子の目は吊り上っている。


「いつもいつも、人をバカにしたような態度でさ。うちにくるお客さんのこともバカにしてたよね? あんなボロアパートによく住めるなって。


 あんた、自分以外の人はみんなバカだって思ってるんでしょ? そういうあんたも、負け犬のくせに。キャンキャン吠える、ヘタレ犬のくせに。


 私があんたを構ってあげたのは、可哀そうだから。うちでひきこもりしてる弟にそっくりだから、構ってあげたのっ。あんたなんか、一人で野垂れ死ねば?」


 ところどころ呂律が回っていないが、道子は一気に言い切った。その剣幕に、雄太はただ気圧されて一言も言い返せなかった。


 ドアが完全に閉まるまで、道子は荒い息をしながら険しい表情で雄太を睨んでいた。

 エレベーターはゆっくりと動きだす。


「なんだよ、一体」

 ようやくつぶやいたのは、4階を過ぎてからだった。

 

 ――冗談じゃねえよ。なんで、あんなブスにあんなこと言われなきゃなんないんだよ。ひきこもりの弟に似てるって……ふざけんな。


 雄太は腹立ちまぎれに、エレベーターの壁を蹴とばした。

「くそっ」

 心の中にはメラメラと殺意が燃え上がる。


 ――でも、あんなブタを殺しても、カネをもらえるわけじゃねえし。リスクを冒す意味がないよな。


「あー、もうっ」


 エレベーターの壁に向かって、大声をあげる。マンションを出てから、心を鎮めるために何度も深呼吸した。


 ――落ち着け、落ち着け。あんなブタから何言われようと、気にする必要はない。もう二度と会うことなんてないんだから。一生行かず後家で一人で野垂れ死んでいくブタの言うことなんて、気にするな。来週からは、新しい生活が始まるんだ。


 待たせていたタクシーに乗る頃には、少し気持ちが落ち着いていた。


 ――ある程度稼いだら、今度こそ自分の会社を興そう。その元手を稼ぐためにも、今度の仕事はまじめにやって、人のネットワークもつくっておかないと。負け犬なんかじゃないからな、俺は。

 今に見てろ。這い上がって、お前なんか、いつか叩き潰してやる。ブスが。不幸のどん底で死ねよ。

 

 雄太は思わず握りこぶしに力を入れた。爪が掌に食い込む。

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