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曇天。  作者: 凪
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1月 火種 ⑤

 警察の現場検証に立ち会うため、京子は美園ホームに来ていた。

 ホームの中は立ち入り禁止になり、あちこちに黄色いテープが張り巡らされている。まるでドラマのようだな、と京子は思った。

 白い外壁はすっかりすすけて、多くの部屋の窓ガラスが割れている。まだ焦げ臭いニオイが漂い、京子は鬱々とした気分で建物を見上げていた。


 ――とよさんがいた部屋は、あそこかな。


「京子ちゃん、こっち」


 園長の山本元に呼ばれた。元は、普段は陽気で冗談ばかり飛ばしているが、今は目はうつろで充血し、クマがくっきりとできている。


 ――無理もないな。


 放火事件が起きた翌日には記者会見でカメラの前で頭を下げ、連日マスコミから「管理体制が甘かったのでは」「遺族への補償は」と追及されている。

 逃げ道を確保していなかったのではないかと、本社には警察の捜査が入っていると聞いた。


 遺族のなかには、遺体にすがって泣き伏す者もいたし、すぐにお金の話を持ち出す者もいた。元はそのすべてに対応し、憔悴しきっているのだ。


 元の隣に立っていた50代前半ぐらいの男が、タバコを携帯灰皿でもみ消した。

 白髪まじりのその男は、「どうも、警部の森山幸輔です」と名乗った。

 顔は浅黒く、恰幅もよく、いかにも「警部」という感じである。鋭い光を放つ眼差しにすべてを見透かされそうで、京子はドギマギした。


「あなたもあの日の夜、宿直担当だったんですか」

「ハイ、私はA棟のBフロアの担当でした」

「A棟のBフロアというと」

「この建物の、2階です」

 元が建物を指差しながら答えた。


「ああ、なるほど」

「渡り廊下でつながっているのがB棟で、各棟は3つに分けて、それぞれ」

「ああ、そういう話は後でいいですから」

 元の話を幸輔は途中で遮り、京子に向き直った。


「火災が起きた夜11時30分ごろ、あなたはどこにいたんですか」

「私は真鍋さんの部屋にいました」

「真鍋さんって? どこの部屋の人ですか?」

「あの辺です」


 京子が指差すと、「ああ、火元からは遠い部屋ですな」と幸輔はつぶやくように言った。


「巡回をした時に、真鍋さんが排便をしてパジャマにはみだしてるのに気付いて。体を拭いて、おむつを替えて、シーツとパジャマを取り替えてたんです」

「それ、あなた一人でやってたんですか?」

「ハイ」


 幸輔は意外そうな顔をして、京子の顔をしばらく見つめた。


「――いや、失礼。あなたのように若い女性が、そんな汚い仕事を嫌がらずにしている姿が想像できなくて。そうですか。お一人でねえ、偉いですなあ」


 京子はどう答えたらいいのか分からず、あいまいな笑みを返した。


「京子ちゃんは、入社してまだ半年なんですけど、まじめだし、みんなから信頼されてるんですよ」

 元の話を、幸輔は「ああ、そうですか」と聞き流した。


「その真鍋さんの部屋に11時半ごろいたと。そのときに何か物音を聞いたりは」

「聞きました。何かが割れる音」

「それで」

「誰かがコップか何かを割ったのかなって思って、それなら危ないから後で見に行こうと思ったんです」

「で、火事だと気づいたのは」

「しばらくして、何か焦げるような匂いがしているな、と思って。見て来ようと思ったときに火災報知器が鳴って」

「それで?」


「一瞬、何が起きたか分からなかったんですけど、火事だって誰かが叫んで、逃げなきゃと思って。真鍋さんと一緒に部屋を出たら、下から上がってきた人が、玄関が燃えてるって言ったんで、エレベーターで下りることにしたんです」

「エレベーターは廊下の端にあるんでしたな」


「南側の端です」

 元がすかさず答えた。


「で、真鍋さんと一緒に逃げたと」

「いえ、真鍋さんだけ先に行ってもらって、ほかの人たちを誘導したんです。車椅子でないと移動できない人もいるので、車椅子に乗せたり」

「ほお、自分も危ないのに、入居者を優先して助けたんですか。素晴らしい。何人くらい助けたんですか?」

「正確には覚えてなくて……5、6人だったと思います。もっと助けたくても、煙がすごくなってきて」

「そうですか」


 幸輔は施設の間取り図を広げた。


「今回逃げ遅れて亡くなった人のほとんどが北側の部屋でしたな」

「ええ、非常階段が北側にあるんで」

 元が説明する。


「一番近い非常階段から逃げようと思ったら、そこでも火の手があがってて、中央の階段からも煙がのぼってきて、まさに八方塞ですなあ」

「本当に、どれだけ苦しくて、怖い思いをしたのかと思うと……」

 

 元が声を詰まらせた。京子は何も言えずに、ただうなだれている。


「あなたは北側の部屋の人の誘導もしたんですか」

「いえ、煙がすごくて近寄れなくて」

「そうでしょうなあ。で、南側の部屋の人たちを誘導して、1階へ逃げたと」

「ハイ」

「それで、事務所の窓から逃げたんですね」

「ハイ」


「逃げている最中に、何か不審な人やものを見ませんでしたか」

「さあ……逃げるのに精いっぱいで、何も気づきませんでした」

「そうですか」


 そのとき部下が呼びに来たので、「ちょっと失礼」と会釈して幸輔は去っていった。

 元も呼ばれて、京子は一人になった。

 とよのことを聞かれず、京子はホッとしていた。とよは眠っていて逃げられなかったのだと、誰もが思っているのだろう。


 ――たぶん、それでいいんだ。あの夜のことは、誰にも言わないほうがいい、きっと、ずっと。

 

************


 胸焼け  

 今日も一人、亡くなったみたいですね。代表さん、18ネンキンですか。さすがです!


 クジョイエロー  

 オレも今日、電車を待ってたときに割り込んできたババアに、激しく殺意を抱いた。

 みんな並んで待ってるのに、平気で一番前に入って、優先席に突進。

 駅で階段から突き落とそうとしたんだけど、うまくタイミングが合わず。

 くそっ。ネンキン逃した。


 クジョグリーン

 それぐらいの害虫をクジョするのは、さすがにやりすぎかと。


 クジョイエロー

 そんなこと言ったら、老人ホームを襲うのはどうなのよ。

 いい老人も大勢いるし、みんな害虫ではないでしょ。


 胸焼け 

 いいんですよ。

 日本には老人は腐るほどいるんだから、判断に迷ったらクジョしちゃいましょう。

 ちゃんとネンキンはお支払いしますよ。



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