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曇天。  作者: 凪
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1月 火種 ①

 陰鬱な空の色だった。

 どんよりと曇った空を見上げ、桂木京子は細く長い息を吐いた。その息は、冬の冷たい空気に触れ、白く煙る。


 斎場の入り口には、「美園ホーム合同通夜会場」という看板が立っている。

 京子は斎場の裏口から外に出て、スマフォで電話をかけていた。


「――うん、私は大丈夫。ケガは軽いから……マスコミがね、病院にも殺到して大変だったの。私もコメント求められて。そのときの映像が流れたみたい」


 話しながら、ガラス戸に映った自分の姿に、ふと目を留めた。

 細く小柄な体に、喪服用のツーピース姿。ここ数日泣いて過ごしていたため、まぶたは腫れ、目も充血している。肩に届く長さのボブヘアは、あちこちはねて乱れている。

 京子は、思わず髪の毛を手櫛で整えた。その右手に巻いてある包帯が、やけに白くて目立つ。


「――うん、大丈夫、わざわざ来なくても。お母さんも仕事で大変でしょ? お父さんにも来なくていいって言っておいて」


 そのとき、「桂木さん」と奥から呼ぶ声がした。

「それじゃ、仕事に戻らないと。また電話するね」

 京子は電話を切った。


「ああ、ごめん、電話中だった?」

 黒いワンピースに身を包んだ本庄好美が外に出てきた。


「休憩して来たら? お弁当が届いているから」

「はい……あんまり、食欲なくて」

「そうよね、私も」


 好美は京子の隣に立ち、タバコを取り出して火をつけた。


「もう、園長たち、遺族から責められ続けて、見てられないわよ。放火だっていうのに、あんた達の管理が行き届いてなかったんじゃないか、ってさ。どうしろっていうのよねえ。夜勤はみんな、入居者のお世話をしていたのに、そのうえパトロールもしろっていうの? そんな余裕、ないってえの」


 煙を吐きながら、好美は怒りを含んだ声でまくしたてる。

「ほんとですよね」

 京子は適当に受け流した。


 好美はこんなときでも不自然なほど顔を白く塗っている。だが、目元の小じわまでは隠しきれない。一重で鼻も低く、いつも口を半開きにしているので、京子は初対面の時に「能面みたいだな」と思ったのだった。


 好美に正確な年齢を聞いたことはないが、おそらく40代前半だろう。後ろで1つにまとめた髪には白髪が目立っている。独身だとは伝え聞いているが、「私、まだ二十歳だから」と自虐ネタで入居者から笑いを取っている姿を見て、京子はいつも「イタい人だな」と思っていた。


「桂木さんも大変よね。前の仕事を辞めて、ここに入って半年ぐらいしか経ってないでしょ?」

「ええ」

「これからどうするの? 美園ホームは当分営業できないだろうし。また別の施設で働くつもり?」

「ええ、できれば」

「そうね、桂木さんなら若いから、転職先も簡単に見つかるわよね。大丈夫でしょ」

「はあ」


 ――若いって言っても、もう32なんですけど。

 京子は心の中でつぶやいた。


「ねえ、とよさんなんか、桂木さんを孫のように可愛がってたのにね。まさか、こんなことになるなんて……」

「あの、私やっぱり、ちょっと休んできます」

「そうして。あ、お湯で溶かす味噌汁もついていたから、ポットのお湯がなければ係の人にお湯をもらってね」


 京子は、ハイ、とあいまいな笑みで返しつつ、

 ――こんなときにも細かいことに気が利きすぎる人って、なんかうざいな。

 と、内心思っていた。


 控え室に入ると、テレビがつけっぱなしになっていた。ワイドショーでは5日前の老人ホームの放火事件を繰り返し報道している。

 すすで真っ黒になった美園ホームの外観が映し出され、テロップには『悲惨! 奥多摩老人ホーム放火 死者17名、重傷者21名』と書いてある。


 そこに、急に京子の姿が大写しになる――数時間前、通夜会場に入るときに、待ち構えていたマスコミにマイクとカメラを向けられたのだった。


「今日は合同通夜ですよね。遺族の方々とは、どのような話をされたんですか」


 マイクを向けたのは、化粧を厚塗りにして香水の匂いをプンプンさせている、中年女性だった。神妙な顔つきをしているが、眼はギラギラと光っていたので、京子は思わず眉をひそめた。無言で頭を下げ、足早に立ち去ったのだ。


「こんな映像流して、どうするんだろ」


 京子はスイッチを切り、ため息をつきながらテーブルに突っ伏した。この5日間、まともに眠っていない。眠ろうとすると、あの火事の光景が脳裏に蘇り、考えまいと思うほど、より鮮やかに炎が渦巻くのだった。


 そのとき、「すみません」と声をかけられた。

「ハイ」

 顔を上げると、喪服姿の男が入口に立っていた。


「お茶かなんか、もらえます? 家内が気分悪くなってしまって」

「ハイ、すぐに入れます」

 男はそのまま入り口に立ち、京子がお茶を入れる様子をじっと見つめている。


「ホームで一度お会いしたこと、ありますよね」


 男に言われて、京子は改めて男の顔を見た。50代前半に見える男は、やせぎすで白髪まじりの髪を丁寧にセットし、メガネの奥には神経質そうな細い目が光っている。


「あ、もしかして、とよさんの……」

「ええ、一度ホームでご挨拶しましたよね。うちのお袋から、桂木さんの話は聞いていました。若いのに、よく頑張ってるって話していて」


 京子は3ヶ月前のことを思い出した。

 佐藤とよが複雑な表情で「息子が久しぶりに会いに来てる」と言ったとき、京子はとよの車椅子を押しながら、「そうですか。何カ月ぶりなんですか?」と無邪気に尋ねた。


「1年ぶりよ」


 短く答えたとよの言葉に、京子は何も返せなかった。


 談話室でとよと息子は30分ほど話していた。気になって遠くから様子を窺っていると、息子は久しぶりの面会にニコリともせず、無表情にとよと話していた。とよも沈んだ表情で、笑顔がない。


 話が終わると、息子は足早に玄関に向かった。とよが後を追おうとしたので、京子は慌てて車椅子を押すために駆け寄る。玄関で、とよは小さな手提げのバッグから封筒を取り出し、息子に差し出した。


「これ、まゆちゃんに渡して。結婚するなら、何かと物入りだろうから」


 息子は顔をしかめ、

「いいよ。そんなカネもらっても意味ないから。ここに入所するときに親父の遺産は使い果たしちゃったし、毎月の支払いは年金でなんとかやってもらうしかないんだから。余計なことにカネ使わないでよ」

 と受け取ろうとしなかった。


 その後、息子は振り返りもせずに車に乗り込み、去って行ったのである。

 車を見送るとよの手は、封筒を握りしめながら震えていた。小さな丸い背中がますます丸くなっていた。


 息子はとよが住んでいた家を処分するという話をしに来たのだと、後で聞いた。とよと亡くなった夫が住んでいた家は、とよがホームに入ってから誰も住んでいない。長期間空き家にしておくと家がますます傷むので、早い段階で売ってしまいたいという相談だった。


「相談って言ってもね、『もう売るところも見つけたから』って言ってたから、ただの報告ね。ホームに入る前に、処分できるものはしておいたからいいんだけど、思い出の品もあるからねえ……」

 とよは寂しそうに語っていた。


「それは、さすがに取っておくんじゃないですか?」

 京子が聞くと、とよは頭を振った。


「今の家は狭いから、置いておける場所がないって。せめて、結婚するときにお父さんからもらった鏡台だけでも取っておいてって言ったんだけど、『あんな古い鏡台、取っておいてどうするんだよ』って言われて……きっと、捨てちゃうんでしょうね」


 ひどい息子さんだな、とその話を聞いて京子は心底とよに同情した。

 今、その息子は、爬虫類のような冷たい目で京子を見つめている。


「桂木さんはあの日の夜の当直だったんですよね。まあ、あなたもケガをされて、大変でしたよねえ。ケガをしながらも、人を救おうとしたなんて」

「いえ、そんな」


「でも、うちのおふくろのところには行かなかったんですか。おふくろ、ベッドに寝たまま亡くなったんですよね。他の人はみんなドア付近や廊下に倒れてたのに、うちのおふくろだけが寝たままだったって。まあ、ぐっすり眠ってたのかもしれないけど。おふくろの部屋まで行くのは、無理でしたか?」

「それは……」


 京子はどう答えたらいいのか分からず、黙り込んでしまった。


「まあ、いいんですけれど。生き残った人は、これから別のホームを探さなきゃいけないだろうし、入院している人は治療代がかかるし。それを考えたら、亡くなってくれたほうがよかったって、うちの家内とも話してるんですよ。不幸中の幸いだったって」

「……」


 ――亡くなってくれたほうがよかったって、何? どういうこと?

 京子の顔色が変わったのを見て、息子は「ちょっと、しゃべりすぎたかな。疲れてるもんで」と目をそらした。


「まあ、あなたも大変ですよね。頑張ってください」

 息子は軽く会釈をして去って行った。


 渡しそびれた湯飲みを見つめながら、

 ――やっぱり、とよさんのあの時の決断は、正しかったんだ。

 と、京子は唇をかみしめた。



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