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曇天。  作者: 凪
127/129

12月 狂炎 ㉚

「雄太君、あのね。聞いてもらいたいことがあるの」

「うん」


 道子はしばらく話すのをためらっているのか、無言で歩く。

 雄太は、「何でも話していいよ」という想いを込めて、握る手に力を込めた。


「私ね、弟がいたんだ」

「うん」


「ひきこもりになってね、高校の時に。学校でイジメにあったみたいで……それから7年間ひきこもってたんだ」

「それは大変だね」


「うん。でも、私はそんな家からとっとと逃げ出したの。私、あの家が大っ嫌いで。お母さんから嫌われて、冷たくされてたんだよね」

「そんな、気のせいじゃないの?」


「ううん、ホントに。お母さんは美人だったの。学生時代、ミスコンの候補になるぐらい美人だったんだけど、私はお父さんに似ちゃったんだよね。それが気に入らなかったみたい。何度も、『こんなブスの子が産まれるなんて』って言われたし。

 授業参観とか運動会とか、絶対に来なかった。私が自分の子供だと思われるのが嫌だって、お父さんに言ってたからね」


「それは……ひどいな」

「まあね。毒親ってやつだね」


 道子は言葉を切って、またしばらく無言になる。


「弟が生まれてから、お母さんは弟ばっかり可愛がってたし。弟は小学校から私立に通ってたけど、私は頭もそんなによくなかったし。で、短大入るときに家を出たんだけど、そのときに『もう二度とこの家には帰ってこない』って、お母さんと大ゲンカしたの。それから、ホントに帰ってないの、ずっと」


「お父さんは? お父さんは味方になってくれなかったの?」

「お父さんは仕事が忙しくて、あんまり家にいなかったから。私には優しくしてくれたけど、お母さんから庇ってくれるって感じじゃなかった。だから、あの家には居場所がなかったんだ」

「そっか……」


 道子が自分の話をここまでするのは初めてだ。心を開いてくれているのだと、嬉しく思った。


「その家に、帰ったんだ。先月」

「うん」

「3人とも、死んだって連絡を受けたから」

「えっ、何?」


 道子は立ち止まった。雄太の目をまっすぐ見る。


「うちの弟、ネンキンブログに関わってたみたいなの」

「えっ……」


 雄太はつないでいた手を離す。


「警察がパソコンとスマホを調べて分かったみたい。弟は2人、お年寄りを殺してる疑いがあるって。うちの近くで起きた殺人と、巣鴨のとげぬき地蔵で起きた殺人と。代表や胸焼け、クジョレンジャーを名乗る人とやりとりしてるのが分かったって。クジョレンジャーって、先月つかまった人たちでしょ? 団地で老人狩りをして」


 雄太は道子の話を聞きながら、必死で記憶を呼び起こしていた。


 ――巣鴨のとげぬき地蔵の殺人。確かにあった。日中に大勢がいる場所で堂々と殺害したって、みんなで盛り上がったっけ。


 雄太は道子の顔をまじまじと見た。


 ――じゃあ、あいつのお姉さんが……。


「弟はね、両親も殺しちゃったみたい。それで、2人の遺体を並べて、その間に眠ってたんだって。そのまま餓死したんだって」

「えっ、それ……」


 ――先月、報道していた浦安の事件か。


 雄太は思わず目を閉じた。


 ――こんな風につながるなんて。


「私、警察で遺体を確認したの。お父さんもお母さんも、真っ黒になって、干からびてる感じだった。身元確認って言われても、顔、分かんないぐらいになってたし。透は腐ってる状態で、臭いがすごくて……」


 道子の目からは涙があふれる。


「家に入らせてもらったら、床には三人の跡がくっきりとついてたの。三人が並んで寝てて……」


 そこまで話すと、道子はしゃがんで泣きはじめた。

 雄太はどう言葉をかければいいのかわからなかった。頭がジンとしびれたようになって、何も思い浮かばない。


「私、家に帰ってれば……透に手を差し伸べてれば……そしたら」

「ごめんなさいっ」


 雄太は頭を下げた。


「ごめんなさい、ごめんなさいっ」


 道子はうずくまったまま、しばらく声を上げて泣いていた。雄太は何度も謝り、頭を下げ続けるしかなかった。

 やがて、道子は涙を拭きながら、ゆっくりと立ち上がった。


「今日、透が殺したお年寄りのご家族に、謝罪しに行って来たの。謝罪しても、何にもならないんだけど……お金もたいして払えないし。でも、知らないフリはできないし。

 なじられた。ものすごく。でも、私が家に帰ってなかったって聞いたら、『あなたは別に悪くない』って言ってくれて。お金もいらないって。

 でも、そういうわけにもいかないよね。ホント、どうすればいいんだろ」


「俺、こんなことになるなんて、こんな、こんなっ」

 雄太は頭を掻きむしった。


「うん。被害者だけじゃなく、加害者の家族も巻き込まれたってこと、知ってほしくて」

「ホントに、ホントに……」

「それで、雄太君、この先どうするの?」


 道子は静かに尋ねた。


「この先ずっと、私の部屋に引きこもってるわけにはいかないでしょ」


 雄太は道子の顔を見る。涙に濡れた瞳で、道子は雄太の目をまっすぐ見つめる。

 きれいだ。雄太は心の底から思った。


 ――汝のやわらかな翼。


 雄太の目から、涙がこぼれ落ちた。

「老人ホームの放火事件、俺がやったんだ」

 雄太の声は震えている。


「うん」

 道子は短く答え、雄太の両手を握った。


「俺、大勢、人を殺したんだ」

「うん」

「俺、人殺しなんだ」

「うん」


 次から次へと、涙はとどまることなく零れ落ちる。道子の手のぬくもりが雄太の心をゆっくりとほぐしていく。


 ――汝のやわらかな翼の留まるところ、すべての人々は兄弟となる。


 雄太は心の中で、そのフレーズを繰り返した。


 ――俺も翼で包んでもらえるんだろうか。こんな俺でも。


 やがて雄太は顔を上げ、袖口で涙を拭いた。


「行こうか」


 道子も涙を拭きながら頷いた。

 2人は手を握り合い、歩いた。

 道子はいつしか、「喜びの歌」を口ずさむ。

 

 汝のやわらかな翼の留まるところで、すべての人々は兄弟となる。

 その歌詞の次はこう続く。

 

『ひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者

 心優しき妻を得た者は自身の歓喜の声を合わせよ』


 駅前の交番の前に来ると、道子は強く手を握った。


 ――大丈夫、一人じゃないから。


 そう言っているように感じ、雄太も手を握り返した。立ち止まって、軽く深呼吸する。

 雄太の心の中で、「喜びの歌」が鳴り響いている。


 空を見上げると、陰鬱な空の色だった。

 厚い雲は、月も星の輝きもすべてを遮っている。


 研ぎ澄まされたような空気を吸い、雄太は交番に向かって一歩踏み出した。



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