12月 狂炎 ㉚
「雄太君、あのね。聞いてもらいたいことがあるの」
「うん」
道子はしばらく話すのをためらっているのか、無言で歩く。
雄太は、「何でも話していいよ」という想いを込めて、握る手に力を込めた。
「私ね、弟がいたんだ」
「うん」
「ひきこもりになってね、高校の時に。学校でイジメにあったみたいで……それから7年間ひきこもってたんだ」
「それは大変だね」
「うん。でも、私はそんな家からとっとと逃げ出したの。私、あの家が大っ嫌いで。お母さんから嫌われて、冷たくされてたんだよね」
「そんな、気のせいじゃないの?」
「ううん、ホントに。お母さんは美人だったの。学生時代、ミスコンの候補になるぐらい美人だったんだけど、私はお父さんに似ちゃったんだよね。それが気に入らなかったみたい。何度も、『こんなブスの子が産まれるなんて』って言われたし。
授業参観とか運動会とか、絶対に来なかった。私が自分の子供だと思われるのが嫌だって、お父さんに言ってたからね」
「それは……ひどいな」
「まあね。毒親ってやつだね」
道子は言葉を切って、またしばらく無言になる。
「弟が生まれてから、お母さんは弟ばっかり可愛がってたし。弟は小学校から私立に通ってたけど、私は頭もそんなによくなかったし。で、短大入るときに家を出たんだけど、そのときに『もう二度とこの家には帰ってこない』って、お母さんと大ゲンカしたの。それから、ホントに帰ってないの、ずっと」
「お父さんは? お父さんは味方になってくれなかったの?」
「お父さんは仕事が忙しくて、あんまり家にいなかったから。私には優しくしてくれたけど、お母さんから庇ってくれるって感じじゃなかった。だから、あの家には居場所がなかったんだ」
「そっか……」
道子が自分の話をここまでするのは初めてだ。心を開いてくれているのだと、嬉しく思った。
「その家に、帰ったんだ。先月」
「うん」
「3人とも、死んだって連絡を受けたから」
「えっ、何?」
道子は立ち止まった。雄太の目をまっすぐ見る。
「うちの弟、ネンキンブログに関わってたみたいなの」
「えっ……」
雄太はつないでいた手を離す。
「警察がパソコンとスマホを調べて分かったみたい。弟は2人、お年寄りを殺してる疑いがあるって。うちの近くで起きた殺人と、巣鴨のとげぬき地蔵で起きた殺人と。代表や胸焼け、クジョレンジャーを名乗る人とやりとりしてるのが分かったって。クジョレンジャーって、先月つかまった人たちでしょ? 団地で老人狩りをして」
雄太は道子の話を聞きながら、必死で記憶を呼び起こしていた。
――巣鴨のとげぬき地蔵の殺人。確かにあった。日中に大勢がいる場所で堂々と殺害したって、みんなで盛り上がったっけ。
雄太は道子の顔をまじまじと見た。
――じゃあ、あいつのお姉さんが……。
「弟はね、両親も殺しちゃったみたい。それで、2人の遺体を並べて、その間に眠ってたんだって。そのまま餓死したんだって」
「えっ、それ……」
――先月、報道していた浦安の事件か。
雄太は思わず目を閉じた。
――こんな風につながるなんて。
「私、警察で遺体を確認したの。お父さんもお母さんも、真っ黒になって、干からびてる感じだった。身元確認って言われても、顔、分かんないぐらいになってたし。透は腐ってる状態で、臭いがすごくて……」
道子の目からは涙があふれる。
「家に入らせてもらったら、床には三人の跡がくっきりとついてたの。三人が並んで寝てて……」
そこまで話すと、道子はしゃがんで泣きはじめた。
雄太はどう言葉をかければいいのかわからなかった。頭がジンとしびれたようになって、何も思い浮かばない。
「私、家に帰ってれば……透に手を差し伸べてれば……そしたら」
「ごめんなさいっ」
雄太は頭を下げた。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ」
道子はうずくまったまま、しばらく声を上げて泣いていた。雄太は何度も謝り、頭を下げ続けるしかなかった。
やがて、道子は涙を拭きながら、ゆっくりと立ち上がった。
「今日、透が殺したお年寄りのご家族に、謝罪しに行って来たの。謝罪しても、何にもならないんだけど……お金もたいして払えないし。でも、知らないフリはできないし。
なじられた。ものすごく。でも、私が家に帰ってなかったって聞いたら、『あなたは別に悪くない』って言ってくれて。お金もいらないって。
でも、そういうわけにもいかないよね。ホント、どうすればいいんだろ」
「俺、こんなことになるなんて、こんな、こんなっ」
雄太は頭を掻きむしった。
「うん。被害者だけじゃなく、加害者の家族も巻き込まれたってこと、知ってほしくて」
「ホントに、ホントに……」
「それで、雄太君、この先どうするの?」
道子は静かに尋ねた。
「この先ずっと、私の部屋に引きこもってるわけにはいかないでしょ」
雄太は道子の顔を見る。涙に濡れた瞳で、道子は雄太の目をまっすぐ見つめる。
きれいだ。雄太は心の底から思った。
――汝のやわらかな翼。
雄太の目から、涙がこぼれ落ちた。
「老人ホームの放火事件、俺がやったんだ」
雄太の声は震えている。
「うん」
道子は短く答え、雄太の両手を握った。
「俺、大勢、人を殺したんだ」
「うん」
「俺、人殺しなんだ」
「うん」
次から次へと、涙はとどまることなく零れ落ちる。道子の手のぬくもりが雄太の心をゆっくりとほぐしていく。
――汝のやわらかな翼の留まるところ、すべての人々は兄弟となる。
雄太は心の中で、そのフレーズを繰り返した。
――俺も翼で包んでもらえるんだろうか。こんな俺でも。
やがて雄太は顔を上げ、袖口で涙を拭いた。
「行こうか」
道子も涙を拭きながら頷いた。
2人は手を握り合い、歩いた。
道子はいつしか、「喜びの歌」を口ずさむ。
汝のやわらかな翼の留まるところで、すべての人々は兄弟となる。
その歌詞の次はこう続く。
『ひとりの友の友となるという大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は自身の歓喜の声を合わせよ』
駅前の交番の前に来ると、道子は強く手を握った。
――大丈夫、一人じゃないから。
そう言っているように感じ、雄太も手を握り返した。立ち止まって、軽く深呼吸する。
雄太の心の中で、「喜びの歌」が鳴り響いている。
空を見上げると、陰鬱な空の色だった。
厚い雲は、月も星の輝きもすべてを遮っている。
研ぎ澄まされたような空気を吸い、雄太は交番に向かって一歩踏み出した。