12月 狂炎 ⑳
夕方の4時になり、順二は見張りをするために地下に降りた。
「どういうことなんだよっ」
食堂から、鉄拳5の怒鳴り声が聞こえる。
「お前ら、かれんに何を言ったんだよ!?」
今西は結局助からなかった。遺体は撮影室に運んで寝かせてあると聞いた。鉄拳5は、しばらく遺体から離れず号泣していたという。
女の泣き声が途切れ途切れに聞こえる。
「なんか、すっげえ責め方したらしいよ、女ども」
順二のグループのメンバーたちが、小声で話している。
「奥さんは妊娠してるのに、こんなところにくっついてくるなんて、人格を疑うとか。愛人をやるような人は性格がゆがんでるとか、そんな人の言うことを聞きたくないとか」
「愛人やってることと、料理の当番なんて、何の関係もないのになあ」
「まあ、あの人、高慢チキチキなタイプだったからさ。反感かうだろうなとは思ったけど」
「でもさ、ここに来てから、やけにイライラしてなかった? あの人」
「なんかさ、鉄拳5さんと一緒の部屋に寝泊まりしたいと思ってたらしいよ。2人きりで。でも、さすがにみんなの前でそれはまずいだろうって、鉄拳5さんは別々のグループにしちゃったんだよね。それが気に入らなくて、ずっとふてくされてたらしい」
「なんだよ、愛人旅行じゃないんだから。何しにここに来てんだよ」
順二は話を聞きながら、
――もう、ホント、どうでもいい。
と思った。
今、ここに立てこもっている人の中で、本気で日本を変えたいと思っている人はどれぐらいいるのだろう。
順二が流されて参加したように、「なんとなく面白そう」というノリで参加した人も多いはずだ。しょせん、襲撃はイベントの延長のようなものなのである。
順二達は気付かなかったが、そのとき机や椅子の山を縫うように、細い管が音もなく忍び寄っていた。
「んっ、何か臭わないか」
バリケードの近くにいた男が、鼻をひくひくさせた。その数秒後、白い煙が勢いよく机の山からなだれ込んできた。
「うわっ、なんだ、こりゃ!?」
悲鳴をあげて、付近にいたメンバーは後ずさる。
煙に巻かれた途端に激しく咳きこみ、鉄パイプを放り出し、叫び声をあげながら崩れ落ちる。離れた場所にいた順二も、すぐに目を開けていられないほどの痛みに襲われ、咳きこんだ。
たちまち、地下には白い煙が充満した。
「催涙ガスだ、逃げろっ」
誰かが叫ぶ。順二は目をまともに開けられず、這うようにエレベーターに乗り込んだ。次々と、メンバーが乗り込んでくる。
「ドアを閉めろっ、早くっ」
ドアが閉まり、エレベーターが動きだす。みな激しく咳をし、涙を流してのた打ち回っている。あまりの痛さに、立つこともできない。
2階につき、エレベーターホールにどっと這い出ると、近くにいたメンバーが驚いた様子で駆け寄る。
「どうした?」
「さ・催涙ガスをまかれたらしい」
順二たちはうめきながら床に転がった。吐いている者もいる。
「目を、目を洗いたい」
「顔がいてえ」
泣き叫ぶ順二たちを見て、駆けつけたメンバーが洗面所に走った。
バケツや洗面器に水を汲んでくると、順二たちは我先に顔を洗う。その間にも、地下と1階で見張りをしていたメンバーが、よれよれになって到着した。
食堂に集まっていた鉄拳5や女性陣も、力尽きたようにエレベーターホールに倒れこむ。
30分後、ようやく事態が落ち着いたころ、鉄拳5が「見張りは?」と尋ねた。
「もしかして、地下と一階の見張り、いなくなっちゃったのか」
「こんなんで、見張ってられるわけ、ないじゃんよ」
メンバーの一人が言う。
「まずいな。バリケード壊されたかも」
「じゃあ、お前が見て来いよ」
「僕が?」
鉄拳5はムッとした表情をした。
「僕は今の時間、見張りじゃないから」
「だってあんた、リーダーだろ? リーダーが率先して見に行くのは当然じゃないか」
「別にリーダーじゃないよ。勝手にみんながそう思ってるだけで。リーダーになるなんて、一言も言ってないだろ」
「今さら責任転嫁かよ」
「それよか、今の時間の見張りは、戻って現場がどうなったか見て来いって。見張りが全員逃げて来たら、意味ないじゃないか」
鉄拳5が声を張り上げたとき、
「おい、みんな戻ってるか?」
ふと、こばけんが尋ねた。
「なんか、人数少なくないか」
見張っていたメンバーは、互いに顔を見合わせて確認する。
「そういえば」
「点呼とれ、点呼」
順二がいたグループは2人、1階にいたグループは3人足りないことが分かった。
「鉄拳5さん、ひどいよ。真っ先に逃げちゃうんだから」
女性陣が鉄拳5をなじる。
「かなちゃんがいないよ。ともちゃんも」
「高性能のマスクとゴーグルをつけとくべきだったな」
鉄拳5がため息をつく。
「じゃあ、次のグループ、マスクとゴーグルつけて、下を見に行って」
「だから、お前が行けって!」
メンバーの一人が苛立ったように怒号を浴びせた。
「命令ばっかしてないで、お前が行けよ。大体、女性陣をみんな食堂に集めて問い詰めるなんて、何考えてんだよ、こんなときに」
鉄拳5は何か反論しようとしたが、ぐっと堪えたようだ。
「……わかった。じゃあ、僕と谷さんと憂国さんで見に行くから」
「俺、行かないよ」
谷さんがすかさず反対した。
「そんな危険なところに、行けるわけないっしょ」
その場にいたメンバーは皆、驚いて谷さんを見た。
「えっ……だって、この中で唯一、谷さんは学生運動の経験者でしょ。こういうときの対処法も知ってるでしょ」
鉄拳5の言葉に、谷さんは首を振った。
「知らないね。催涙ガスなんて、浴びたことないから」
「でも、最前線で戦ってたって」
「頭の中ではね。思想的には、最前線で戦ってたって意味」
「どういうこと?」
「俺はノンポリだったんだよ。学生運動には参加しないで、家で本を読みふけってたんだよ。真の世界平和を目指すなら、武力を使わない抗議活動が必要なんじゃないかってスタンスでさ」
「は? 言ってることが見えないんだけど」
「だからあ、俺は学生運動には参加してないんだってば」
「でも、でも、バリケードの築き方は詳しかったよね」
順二が口を挿むと、
「ああ、そりゃ、学校に行ったら、あちこちにバリケードがあったからさ。見て覚えてたんだよ」
と、谷さんは涼しい顔をして答えた。
「まあ、とにかく、俺は高齢者だしさ。君たち若者で、何とか処理できるでしょ。元気なんだから」
「じゃあ、なんで今回の襲撃に参加したの?」
鉄拳5が問いただすと、
「だって、つかまったら刑務所でしばらく暮らせるじゃん。窃盗ぐらいじゃ、すぐに出てこれちゃうからね。年をとるとさ、やっぱり冬の野宿はキツイんだよ。凍死しそうでさ」
と、悪びれずに言う。
「じゃあ、もしかして、ほかのホームレスの人も、それが目当てで参加してんの?」
こばけんの問いに、「まあね」と谷さんとホームレス仲間は素直に頷いた。
その場にいたメンバーは、みな呆れてものも言えなかった。鉄拳5は脱力して座り込んでしまい、ホームレス中年は口を開けてポカンとしている。
「しょうがないな。憂国さんは?」
「寝てる」
「こんなときに、よく寝てられるよな」
鉄拳5は仮眠室に早足で向かった。