城崎にて その1 温泉に浴衣はつきもの
出石そばを食べた後は城下町を散策して、それからまたタクシーを使って城崎温泉へと向かった。当然出費は大きいが玲奈は涼しい顔をして二台分の料金を払い、運転手を驚かせるのであった。
降りたところは城崎温泉駅のロータリーで、そこから北側の駅通りに向かって歩き出した。
「ここが志賀直哉が療養した地なのねえ」
城崎もまた、情緒溢れる街並みである。特に二学期の現代文の授業の題材で『城の崎にて』が取り上げられ、その内容が脳裏にはっきりと残っているうちに作品の舞台を訪れたのだから、美香の感慨もひとしおといったところだ。他にも武者小路実篤、与謝野晶子、司馬遼太郎といった文豪もこの地を訪れており、彼らの足跡を追ってこの地にやってくる文学好きも多くいるという。
しばらく歩くと、小川が流れているところに出た。護岸は石垣になっていて、作中に出てくる光景と同じであった。
美香は授業の内容を思い返す。志賀直哉が列車にはねられて大怪我を負い、療養に訪れた城崎の地で次々と目の当たりにする小動物の死。浮かび上がる作者の死生観。そういえばクラスメートに命に関わる大病を患っていた子がいて、今は克服したものの留年して一年生をやり直している、というより一年遅れでようやく一年生を始めた子がいるのだが、やはり作者の気持ちが痛いほどわかる、と言っていた。
「あそこら辺が多分、ネズミがいたぶられていた場所じゃないかしらね」
玲奈の一言によって、喉に魚串を刺されたネズミが橋の上にいた子供と車夫に石を投げつけられる場面を思い起こさせた。もうすぐ死ぬ運命でありながら必死に逃げようとするネズミを見て、もし自分が致命傷であったとしたらどうしていただろうか……と作者は述懐するのだが、玲奈はどうも単にネズミがいたぶれられていたという表面的な事実だけを見てはしゃいでいるようである。
「ネズミに串を刺して川に投げ込んでさらに石を投げつけるって、今の世で同じことやったらスマホで撮られてネットで晒されて大炎上してるんじゃないかなあ」
沙羅に至っては現代の価値観に当てはめて物事を言っていたが、それがほんの少し美香の気に障った。
「あなた達ねえ、授業の復習じゃないけどもうちょっと作者の心境について振り返るとかしたらいかがかしら?」
「そんなこと言われても私、現代文はあまり好きじゃないんですよ」
「そうそう、お勉強は帰ってからにしましょ?」
「……」
里美が「どんまい」と美香の肩を叩いた。
「そんなことより、お宿に着いたわよ」
玲奈が歩みを止めたところは『大谿荘』という旅館であった。玲奈曰く江戸時代の創業で、城崎で最も古い旅館の一つだという。玄関には「歓迎 星花女子学園キセキの世代第六十七期生様」という看板が。
「あなた、何でこんなこっ恥ずかしい名前で予約を取ったのよ……」
「うふふふ、ちょっとした遊び心よ」
確かに同級生にはやたらと個性派が多く、先輩後輩からは某漫画よろしく『キセキの世代』と言われている。特に沙羅と里美のいる一組は一部で「梁山泊」と呼ばれているほど曲者揃いとして良くも悪くも有名になっている。そしてその梁山泊一組とたった一人で互角以上に張り合える存在感を持っている、人気アイドルの美滝百合葉の存在。彼女たちの前では名門校理事長の娘やスーパーゼネコン社長の娘という肩書も霞んでしまうほどなのだ。
ふざけた歓迎看板と引き換えに、建物は大きく老舗旅館ならではの重厚感に溢れており、中に入ると木の甘い香りが漂ってきた。仲居が出迎えると、
「すみません、『星花女子学園キセキの世代第六十七期生』で予約していた北条ですが」
玲奈はこっ恥ずかしい名前をスラスラと伝えると、仲居は動じず様子もなく遠いところからようこそいらっしゃいました、と頭を下げた。さすが老舗旅館のプロだと美香は感心した。
チェックインの手続きを済ませると、仲居に部屋まで案内された。最上階の三階、窓から先程通った小川を見渡せる絶好の部屋である。広さも十四畳と申し分ない。後から知ったことだがこの小川は大谿川といい、旅館の名前は大谿川に由来している。
仲居が館内の説明を始める。その際、バーコードを記した紙片が入った名札ケースを手渡された。これは外湯券であり、これを使えば城崎温泉にある七つの外湯にチェックアウト時間まで何度でも無料で入れるという。外湯巡りをする際は是非浴衣に着替えて行ってくださいと仲居は言ったが、大谿荘では好きな色の浴衣が選べるのでどの色が良いのか尋ねてきた。
「わたくしは赤にしますわ」
「じゃあ、私は緑色で」
「私は青にします」
「あっ、じゃあ私はオレンジ!」
こうして四人がそれぞれ違う色を選んだため、非常にカラフルな見栄えとなった。
「お姉さま。この燃えるような赤色、似合ってますよ」
「あら、お前も爽やかなブルーが似合っていてよ」
姉妹間で褒めあっていたら、玲奈が美香にしなだれかかってきた。
「ミカミカ、私は褒めてくれないの?」
何もこんなときにいちゃつかなくてもと心のなかでぼやきつつも、頭を撫でながら、
「緑の落ち着いた雰囲気が玲奈にぴったりですわ」
「うふふ、ありがとう」
まだ温泉に入ってもないのにお熱いねえ、と里美がからかった。玲奈は美香にしなだれかかったままで、
「ここで提案だけど、二手に分かれて外湯巡りしない? 私とミカミカ、里美ちゃんと沙羅さんのペアで」
「え?」
「ミカミカと二人きりで裸の付き合いをしたいの」
裸の付き合い、というところだけやけに強調したが、勘が鋭くない美香でも玲奈の狙いは読めていた。沙羅と里美を二人きりにする時間を作ってあげるために他ならなかった。
「玲奈がしっかりお姉さまの面倒を見てくれるのなら、私は構わないけど」
沙羅が賛意を示すと、美香はおほほと笑い声を立てた。
「心配してくれてありがたいのだけれど、わたくしは子どもじゃなくってよ」
「わかりました。ということで里美、私と一緒に行こう」
「う、うん」
沙羅と里美の頬が赤く染まっているのを見た美香は、おほおー、と心のなかで奇声を上げた。これはきっと上手くいく。恵まれた環境で育ってきた自分とは違って、沙羅は御神本の家に入り妹となるまで苦労してきた身だ。自分より先に目の前にいる運命の人と結ばれて欲しい。
「では、さっそく行きましょう」
バスタオルと着替えを入れた湯かごを下げて、一同は玄関まで降りると仲居が下駄を用意してくれた。
「浴衣に下駄、うーん、風情ですわね!」
美香は下駄の鼻緒に指を通すと、むふっと鼻息を荒く立てた。
「さあ! いざ温泉へ!」
一歩踏み出すと体が前につんのめり、そのまま重力に従って倒れていった。
「ほわーっ!?」
「お姉さまっ!!」
沙羅は義姉の危機を察知するや否や、類まれなる反射神経と敏捷をもってサッと体を抱きかかえ、地面に這いつくばるのを防いだのであった。
「あ、危なかったですわ……わたくしとしたことが……」
「お姉さま、やはり私がついて行きましょうか?」
美香は首をブンブンと横に振った。
「少し油断しただけよ! 少し歩いたら慣れますわ!」
「沙羅さん。私がちゃんと横についてるから」
そう玲奈が言うと、沙羅は引き下がった。
「くれぐれも怪我はさせないでくれよ」
「わかってるわよ。ちゃんとこうしておくから」
玲奈は美香の手を取って握った。
「ミカミカ、ゆっくりと足を出してね」
美香は慎重に足を踏み出した。今度は何とか大丈夫だ。
「それじゃ、沙羅は里美さんとごゆっくりしてなさいな」
余裕のなさげな笑みを浮かべて、手を繋がれながらちょこちょこと歩き出す。その後ろで沙羅が里美と顔を見合わせて、お互いに苦笑いしていた。
「本当に大丈夫かな……」