出石そば
一同を出迎えたのは、石垣の上に建てられた高楼に時計が取り付けられている、和洋折衷的な建造物であった。
「あれが出石城下町のシンボル、辰鼓楼よ」
玲奈が説明を始める。
「元々は出石城主の登城を知らせる太鼓が鳴らされていたのだけど、後に時計が取り付けられて今の形になったの」
「なるほどねえ。それにしても、和風建築に時計ってこんなに合うものなのねえ」
美香は感慨深げに辰鼓楼を見上げる。もう少し眺めていたかったが、とりあえずはまず目的を果たすべく、城下町の中心部へと歩みを進めていった。
古い街並みの風景が色濃く残っている場所は「小京都」と呼ばれることがあるが、出石城下町はまさに「小京都」と呼ぶに相応しい町である。お昼の時間を若干過ぎていたものの、出石の小京都は一同の空腹をしばし忘れさせた。みんなそれぞれ書道部、茶道部、合気道部といった和の文化と関わりの深い部活に所属している身なので、古き良き日本の街並みに対する感受性は高かった。
「出石そばのお店がそこらじゅうにあるわね。空の宮市にあるおそば屋さんの数よりも多いんじゃない?」
左右を見回すと、視界の中に必ずそば屋が入ってくる程である。
「せっかくだし、私も入ったことがない店にしましょう」
玲奈がそう言った途端に、里美が声をかけてきた。
「じゃあさ玲奈、この店はどう?」
十字路に出て左手のところに、「手打ちそば 下村」という店があった。下村といえばソフトボール部の主砲、下村紀香が真っ先に頭の中に思い浮かんだが、里美も「下村先輩みたいに力強くてコシのある麺が出てくるかもしれない」と言う。考えていることはみんな同じらしい。
「ここには一度も入ったことはないわね。行きましょうか」
そういうことであっさりと「下村」に決まった。引き戸を開けると女性店員が元気よく挨拶してくれた。
「いらっしゃいませ! 何名さまですか?」
「四人です」
「こちらのお座敷席にどうぞ!」
一番奥の座敷に通されると、美香は壁に掲げられた額縁とサイン色紙に目が行った。額縁の中には集合写真が入っていて、店の前に並んだ店員たちの中に混じり、あまり趣味のよろしくない派手な色使いのストライプ柄スーツを着た中年男性が歯をむき出しにして笑っていた。写真の右下には「下村義紀さまご来店」の説明書きがある。
「まあ、下村先輩のお父様じゃない!」
「本当だ。この人よくバラエティ番組に出てますし、その企画でやって来たのかもしれませんね」
店員がおしぼりとお茶を持ってきたので、沙羅は尋ねた。
「すみません、これっていつ頃の写真ですか?」
「ちょうど十年前ですね。ローカルテレビ局の情報バラエティ番組に取り上げられて、店の名前が一緒やからって下村さんが食べに来てくんなはったんですよ。よう食べるお人で百皿以上平らげてました」
「さすがだ……」
娘もかなりの大食いとして知られているが、どうも父親の遺伝によるものらしい。
「食べながら娘さんの話ばっかしてはりました。この前ソフトボールの試合でホームランを打ったとか何とか言うてね」
店員は大声で笑いだした。相当面白い話だったらしい。
「実はわたくし達、娘の紀香さまの後輩ですのよ。今はわたくし達の母校のソフトボール部で大活躍をしておりますの」
「あら、本当ですか?」
美香が証拠としてスマホの画像を見せた。写真部員であるクラスメートの塩瀬晶が撮影した紀香の画像で、打った直後にバットを放り投げスタンドインを確信して悠々と一塁に歩き出す姿であった。今年のインターハイ予選で四打席連続本塁打の大会新記録を叩き出した瞬間であり、校内新聞の写真にも使われた程だ。
「まあー、この子が娘さん? 言われてみたら若干似とるかもしれませんねー。もしかして娘さんがウチの店を紹介してくれはったんですか?」
「いいえ、全くの偶然ですわ」
「まあー、何か縁があるんやろうねー。今日はお腹いっぱい食べて、娘さんにもよろしく伝えてください」
店員が言うには暖かいそばもできるということだが、通常の供給スタイルである皿そばを注文した。茹でたてを出すので少々時間を頂きます、とのことだったので、紀香の噂話に花を咲かせてそばを待つことに。校内新聞に本塁打記録のことが載ったはいいが一面記事が『美滝百合葉、スタジオジ◯リの最新作アニメ映画に出演決定!』だったのでふて腐れていた、という笑い話だけで十分以上語り尽くすことができた。話が盛り上がってきたところで皿そばが届いた。
「はい、お待ちどうさまですー」
出石の皿そば一人前五皿、一皿あたり二口か三口分の量のそばが盛られているのが通常である。ところが運ばれてきたのは合計四十皿と倍の量で、一皿分の盛り付け量も若干多めであった。
「あの、四人前を注文したのですが」
玲奈が言うと、店員は額縁の中の下村義紀みたいに豪快に笑った。
「これはサービスですよ。ようけ食べてくださいね」
一人十皿は少女たちには少々多い量かもしれない。だが先程まで小京都の光景を楽しむうちに忘れていた空腹感がにわかに甦り、美香の胃袋は大きく鳴った。
「うふふふっ、ミカミカったら正直ねえ」
「お、おだまりっ! 生理現象はどうしようもないのよ!」
「私もお腹空いたし、早速食べちゃおうよ」
「うん、食べよう。その前に玲奈、食べ方を教えてほしい」
「何も難しいことはないわ。とっくりのおつゆをそば猪口に注いで、お好みで薬味を入れてあとはつけて食べるだけよ」
「それだけわかればじゅうぶん! さあ、頂きますわよ!」
美香は玲奈のレクチャーに従って、他の三人と一緒にそばを口にした。
「むふー!!」
「うふふふ。出たわね、ミカミカの喜びの奇声が」
「この香ばしい薫り、コシの強さ……」
二の句が継げなくなり、代わりにもう一口。音は立てないがむふーの奇声がまたもや飛び出した。
「いや、本当に美味しいよこれは。次々箸が進んでしまう」
「私、もう二皿食べちゃったけど」
「早いな、里美!」
「残り八皿、余裕だね」
沙羅と里美はそれからしばらく無言でそばをすすった。
美香がちょうど五皿目を食べきったときである。
「ミカミカ、こっち向いて」
玲奈は箸で麺をつまみあげていた。
「はい、あーんして」
「あん!?」
「ほら、食べさせてあげるからあーんして」
「玲奈、人前よ!」
他に客がいるのに恥ずかしいことはできない。沙羅と里美も箸の動きを止めて成り行きを見ている。
「うふふふふ、奥の方だから見えやしないわよ。さ、お口を開けて。それとも口移しが良いかしら?」
美香は玲奈の笑みから一種の不気味さを感じ取った。いきなりディープキスをしてくるような人間なので、口移しも本気でやりかねない。
「わ、わかったわ。あーん……」
玲奈はつゆをつけると、麺を美香の口に運んだ。美香はそれを上手くちゅるん、と中に収めた。
「オイシイデスワ」
つい、棒読みになってしまった。
「はい。じゃあ次は私に食べさせて」
予想された展開である。後ろで「いらっしゃいませー」という店員の声が聞こえる。昼時を過ぎていても客はどんどん入ってきているようだから、手っ取り早く済ませたかった。
「さあ、たーんとお食べなさい」
若干嫌味を込めて言うと、麺を玲奈の口の中に運んでやった。ゆっくりと咀嚼して飲み込んでから、
「美味しいわ」
と言うや否や、玲奈は美香の頬に口を寄せて舌を這わせた。
「ひぃぃっ! 何を……!」
「おつゆがついていたわ。こっちも美味しかったわよ」
舌なめずりをする玲奈に、恥ずかしさのあまり顔から湯気が吹き出しそうになった。同時に、何をしですかわからない危うさに対して恐怖感を覚えた。
「あっ、ありがとう……」
それしか言えなかった。沙羅と美里は顔を赤らめて目線を逸らしていた。