体当たりの演技
「あなた、馬鹿も休み休み言いなさいな」
美香はカバンを拾い上げて汚れを払い落とした。
「『お姉さまにお相手が見つかるまでは恋愛しない』のよね。言い換えれば、『見つかれば自分も恋愛します』ということじゃない?」
「だから、沙羅に恋人を作らせるためにまず私があなたと恋人どうしになれと……?」
「『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』ということよ」
「わたくしは馬!?」
「少なくとも沙羅さんの方が武将っぽいですわ」
沙羅は武道を嗜んでいるので武将というのはまだわかる。ただ、自分が馬というのは納得が行き難かった。つい、馬になった自分の上に沙羅がまたがって刀を振りかざしている姿を思い浮かべてしまった。
「で、私とつきあうの? つきあわないの?」
玲奈がにじり寄ってくる。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい。わたくしはあなたに恋愛感情など抱いてなくてよ」
「美香さん、まさか本気で恋愛すると思ってないでしょうね」
玲奈は口では笑みを浮かべているが、目は全く笑っていなかった。
「これは偽装よ。あなたのかわいい妹さんのために一芝居打つの」
「芝居?」
「そう。私たちが交際を宣言する。それだけで沙羅さんは美香お姉さまという縛りから解放されるのよ」
「そんなのでうまくいくはずが……」
「いくわ。藁人形を送りつけた相手にも、美香さんは無関係だと知らしめることになるし。もう二度と藁人形は貰いたくないでしょう? いえ、このまま放っておいたらもしかしたら今度はカミソリレターとか小動物の死骸とか、あるいは小指とかが」
「どっ、どこまでエスカレートするのよ!」
「そうならないためにも、ね?」
腹をくくりなさい。そうはっきりと口にしたわけではないが、声が聞こえたような気がした。
思い返せば四月に玲奈が入学した折、美香は学級委員長として、また中等部からの「先輩」として何かと不慣れな玲奈をサポートしていたものである。今は星花生としての貫禄がすっかり身に着いて、美香に遠慮することもない。
「ねえ?」
容赦なく圧力をかけてくる。天然なところがあるので本人に悪気はないと思われるが、だからこそたちが悪かった。
それでも沙羅のために動こうとしてくれているのは確かである。あくまで芝居を演じるだけ。それで沙羅が自分の幸せを見つけてくれるのであれば良いに越したことはないのだ。
美香は決断した。
「わ……わかったわよ」
「決まりね。さっそく、今夜にでも打ち明けてしまいましょう」
玲奈はとてもあっさりとした態度をとっていた。
*
夕食を終えた後、美香は沙羅に今から大事な話をすると言って、玲奈と里美を自分の部屋に呼び出した。当事者以外の里美も呼んだのはいわば証人の役をしてもらうためである。彼女もまた玲奈を通じて事情を聞かされていて、芝居だということは理解していた。
「沙羅、よくお聞きなさい。実はわたくし、玲奈さんと恋人としてつきあうことにしたの」
おめでとうございますの一言を待ち構えていたが、代わりに沙羅の口から出てきたのはわはははという、彼女のクラスにいる誰かさんのような大きな笑い声であった。
「お姉さま、下手な冗談はよしてくださいよ」
「じょっ、冗談じゃないわよ」
「昨日、お姉さまを差し置いて恋愛できないと言ったものだから私に恋人を作らせようと芝居をしているのでしょう? 私にはわかっています」
(見抜かれてるーッ!!)
暖房は20℃設定なのに、嫌な汗がブワッと吹き出してきた。
沙羅は頼りがいがある人物である。ピンチに陥ると沙羅に助けを求めることは今まで何度もあったが、今このときですら沙羅に助けて欲しいと本気で思っていた。
「いいえ。残念ながら、と言ったらおかしいけど本当のことよ」
玲奈が援護射撃に入るが、沙羅の反応は冷淡だ。
「私のことを心配してくれるのはありがたい。だけどこれは私の信念なんだ。お姉さまに本当の意中の相手が見つかるまで、私は恋道に走らない」
「ふーん、そう。あくまでもウソだと思うなら、今から証拠を見せるわ。オメメをぱっちり開いてよく見なさい」
美香の体が、不意に引っ張られて玲奈と向き合う形になった。
頭を掴まれてからあれ、と思う暇も無かった。
「!!??」
美香の唇に柔らかい感触が走る。状況をようやく理解したとき、目玉が飛び出そうな感覚が襲ってきた。
(わたくしのファーストキスがああああ!!!!)
さらに、玲奈が甘い吐息を漏らしたかと思うと、生暖かいものが口の中に割り込んできた。
(ぎええええええ!! 舌が入ってるうううう!!)
「いやあああ!!」
声が出せない美香の代わりに里美が絶叫し、沙羅に至っては呆然として固まっている。
想定外の事態の発生に美香の思考回路はバグを起こしていた。これ以上続けば、何か人として大切なものを失いそうな境地であった。だがここで突き飛ばしてしまうと、やはりウソじゃないかと非難されかねない。ファーストキスを奪われただけでなく沙羅との仲まで悪化したら、御神本美香は校内で笑いものにされるであろう。
美香は毒食わば皿までとばかりにヤケクソになって、玲奈を抱きしめ返して積極的に舌をからめた。すると玲奈も呼応していっそう舌を激しく動かしはじめた。
(これがキスの味……凄すぎるうう……)
不思議と嫌悪感は無くなって、かわりに甘い疼きが体を駆け巡っていった。果たして、玲奈も同じ感覚なのだろうか。
「もっ、もうやめてください!!」
沙羅が熟れたトマトのような顔をしながら、二人を引き剥がしにかかった。両者とも口周りは唾液にまみれていた。
「ふっ、ふふっ。恋人どうしでなければこんな激しいキスはできないでしょ?」
玲奈は口周りをポケットティッシュで拭い取り、美香にも同じことをしてあげた。
「よくわかりました……お姉さまと玲奈がウソをついていないことを」
「そ、そういうわけだからお前も遠慮なく恋人を作りなさい」
美香はめまいに耐えながら、妹に言い聞かせた。
*
「正直、ショックですよ」
沙羅がラベンダーティーが入ったカップを差し出す。
「お姉さまは色事に疎い方だと思っていましたから」
「言うわねえ」
美香は半分ほど一気に飲んだ。鎮静作用のあるラベンダーの力に頼らなければ今日は寝られそうにもない。
「恋って、そんなに良いものなのですか」
「ええ、人生がガラリと変わるわよ。ネガティブからポジティブに! って感じでね」
したり顔を装って、手ぶりで右肩下がりと右肩上がりの直線を示す。
「で、お前の本音を聞かせてちょうだい。お前も本当は恋をしたいのではなくて?」
「はい。正直なところは」
「実はもう好きな人がいる、とか?」
「……その実は、です」
美香は喜色を顔に出した。やはり沙羅も人の子だったのだ。
「秘密は守るわ。誰が意中の人なのか、わたくしにだけこっそり教えてちょうだい」
「では、お耳を」
沙羅は失礼します、と断りを入れて、美香の耳元に口を近づけた。
「南井里美です……」
「おほおー!!」
想い人が間近にいることを知った美香は奇声に近い歓喜の声を漏らしたが、私としたことがはしたないわ、と手を抑えた。それから今度は自分から口を沙羅の耳元に近づけた。桜花寮の壁は薄く、隣室に聞こえたら大事になるかもしれない。
「里美さんのどこがお気に入りなのかしら?」
沙羅がまた美香の耳を借りた。
「体は小さいけれど根性があるんですよ。高等部から合気道に部活変えした初心者でしたが、持ち前の根性でメキメキと上達して、見ていて楽しいぐらいです。それと……」
「それと?」
「その、目がとても綺麗で……」
沙羅は口ごもって、顔色はさらに赤くなっていた。普段は凛としている妹の、らしくなさがとても可愛らしくて、美香は顔をほころばせる。
「もう、何を恥ずかしがっているのよ。まあ気持ちはわかるわ。確かに里美さんのオメメは大きくて、キラキラしているものねえ。性格もいい子だし、わたくしは応援するわよ。機会を見つけてどーんとアタックしてみなさい!」
「ありがとうございます」
ウソをついたことは心苦しかったが、恋が成就して欲しいという気持ちは本物で、真剣そのものである。
やがて消灯時間となり寝床についたが、キスの味がまだ唇と舌にまとわりついていた。艶めかしい感触を思い出すたびにピリッ、ピリッと体に電気が走るような感覚が走った。
(ホント、玲奈さんのおバカ……)
芝居とは思えない程のディープキス。玲奈の方はどうもファーストキスではなさそうだということは、色事に疎い美香でも薄々感づいてた。
一体誰に捧げたのだろう、といらぬことが頭の中に浮かんできて、美香はますます眠れなくなってしまったのであった。