突入
2月10日、建国記念日の前夜のことである。星花女子学園の寮はすでに門限時刻を過ぎ、寮生たちのほとんどは明日が休みなのを良いことに夜ふかしを決め込んでいたが、外出して門限破りをするような不真面目な者は誰一人としていなかった。ただし、特別に許可を得た者は別である。
学園の北側、閑静な住宅街の一角に三方が緑で覆われた場所がある。まるで鎮守の森のようだがその中にあるのは神社ではなく、大きい洋館であった。元々は旧華族の別荘であったと言われているが、いつしか誰も住まなくなり、管理も放棄されて廃墟と化してしまい、地元民からはお化け屋敷と呼ばれ恐れられていた。
しかしおよそ一年前、どういう経緯かは不明だが洋館に人が住むようになった。雑草で荒れ果てていた庭は綺麗に整えられて、夜には明かりが灯るようになった。屍になっていた洋館が息を吹き返したおかげで、地元民にとってみれば不安の種が取り除かれてめでたしめでたし、といったところであろう。だがいったい誰が入居しているのか、知る者は一人もいなかった。
南井里美の事件の調査に関わった者たちを除けば。
「まさか学園の近くにアジトがあったなんて、灯台下暗しも良いところだわ」
美香は洋館を遠巻きに眺めている。隣には沙羅もいるが、ジャージ姿であった。これから行われることに備えて動きやすい格好をする必要があった。
「主犯川藤麻子、従犯澤田由紀、倉地ほづみ、いずれも中等部三年。黒幕は麻子の兄、雅矢。御神本学園高等部二年……」
沙羅は口に出した。これから裁きを下す相手の名前を。殺気がみなぎっており、冬眠中に起こされて激怒するヒグマすら絞め殺さんばかりである。
御神本姉妹以外にも人が集まっていた。生徒会と風紀委員会のメンバー、そして玲奈。生徒の処罰に関わるためにピリピリしているが、玲奈は比較的のんきに構えている。
「このお屋敷を建てた人は良いセンスをしているわね。大きいけれど自己主張をし過ぎず。今は周りが住宅街になったせいで相対的に悪目立ちしちゃっている感じだけど、緑しかなかった昔の頃だと自然とうまく融和していたんじゃないかしら」
ゼネコン企業のご令嬢は建造物をそう評価した上で、
「だからこそ、ここは害虫が住むのにふさわしくないわ」
と、最後に辛辣な言葉で締めくくると、御神本姉妹はうなずいた。
「さて、そろそろ来るころね」
美香が懐中時計で時刻を確認複数の規則的な足音が近づいてきた。最大の戦力となる者たちの到着である。
街灯に照らされて、学生帽と七つボタンの学ランの集団が浮かび上がる。いずれも左腕には「風紀」と書かれた腕章を巻いていたが、先頭の人物だけは「風紀委員長」の腕章を巻いていた。
「全体、止まれッ!」
風紀委員長が号令をかけると、足音が止んだ。それから美香のところへ歩み出て一礼し、
「御神本学園風紀委員長の松田であります。風紀委員60名、ただいま参りました!」
美香は威厳のある態度で「ご苦労さま」と労った。
「ご紹介いたしますわ。彼らが今回の捕物に協力する、御神本学園風紀委員会です」
一糸乱れぬ動作で60名全員が礼をした。しかし星花女子学園生徒会と風紀委員会の反応は微妙であり、むしろ引いている感じが見受けられる。
「同じ風紀委員でも私たちと全く雰囲気が違いますわね……」
含みのある言い方をしたのは雪川静流。『氷の女王』と恐れられる星花女子学園の名物風紀委員長ですらたじろいでいる。
「ええ。何せ全員が剣道か柔道の段位を持っておりますから」
「武闘派ばかり!?」
「御神本学園は勉学ばかり言われていますけれども、武芸も奨励しておりますのよ。御神本の家は元々雪川先輩のお家と同じく武家でしたから。望めば誰でも剣道と柔道の段位を取得できますわ」
「文武両道を地で行っているのね……」
「今宵は武の方を存分に披露いたしますわ。わたくしの妹とともに」
沙羅が指の骨を鳴らしながら、武闘派たちに訓示する。
「名門御神本の名を汚す者は誰であろうと容赦するな。ましてや私の大切な人を辱めた者だ、骨の一本や二本ぐらい折っても構わない。必ず仕留めろ」
「「「応っ!!」」」
辺り一帯が殺伐とした空気で満ちあふれた。生徒会長の君藤芽依が恐る恐る申し出る。
「できればうちの生徒は無傷で捕まえて欲しいのだけれど……」
「善処します」
沙羅は即答したが、保証しませんと言っているのと同じであった。気炎を上げる御神本サイドと対照的に、星花女子サイドは不安が広がっている。
ただ取り締まるだけなら星花女子学園の風紀委員だけでもできる。しかし一番の問題なのは犯人たちの取り巻きである。川藤麻子の兄、雅矢は良からぬ連中とつきあいがあり、常に周囲に侍らせていた。その中身はというと他校の不良生徒、暴走族、半グレ、暴力団のチンピラなどなどで、まさにならず者の連合軍であった。これらに真正面から立ち向かうには相当腕の立つ者が必要であり、だからこそ武闘派軍団の御神本学園風紀委員会の出番というわけなのである。
「藤川、アレを用意しろ」
「はい!」
委員の藤川が松田委員長の指示を受けて、手持ちのケースを開けた。その中にはドローンが入っていた。
「我が校の技術工作部が製作したオリジナルドローン『テレグノシスMk-II』です。これで館を調べてみましょう」
藤川は星花女子の生徒たちに説明した後、送信機とドローンの電源を入れた。
「発進します」
テレグノシスMk-IIはふわりと飛翔した。搭載されたカメラで映し出された光景がモニターに送られてくるが、すぐに洋館が映った。窓には明かりが灯っていて、誰も見ていないと思ってか、カーテンは閉められていなかった。
丸見えになっている中の様子がモニターに転送される。それを見た一同はぎょっとした。特に星花女子サイドからは悲鳴が起きる程であった。
澤田由紀と倉地ほづみが半裸になって、良からぬ連中と一緒に酒を飲んでバカ騒ぎをしていたのである。
「な、なんておぞましい……」
静流に至っては立ちくらみした程であったが、藤川は冷静に状況を見ている。
「ここは元々パーティーホールだったようですね。数は結構います。男女合わせて40、いや50人といったところでしょうか」
「だが肝心の川藤は見当たらんな。隣の部屋に移動しろ」
「了解」
隣の部屋はカーテンが閉められていたが、わずかに光が漏れているのを確認した。
「レーダーに切り替えます」
画面が切り替わって、赤・青・緑色の光の塊が映し出される。それは人の形を取っているようである。
「何だか魚群探知機みたいですね」
玲奈が言った。
「魚群探知機は超音波を使用していますが、こいつは無線LANの電波を利用しているんです。壁があってもすり抜けて人体にだけ反応するんですよ」
「まあ、すごい技術ですね」
「何せアメリカの大学で開発されたばかりの技術ですからね。我が校のOBも開発に一枚噛んでいたから技術供与を受けることができたんですよ」
星花女子サイドから感嘆のため息が漏れた。
「中に6人います」
「1人は椅子にふんぞり返って座っているように見えるな。体格も似ているし、こいつが川藤だろう。あいつ、座り方が悪いと教師からよく注意されていたと聞くからな」
「他の部屋も見ますか?」
「いや、これで十分」
風紀委員長は沙羅に報告した。
「数の上では相手と互角もしくは上ですが、半数が酒で酔っています。今踏み込めば確実に勝てます」
「よし。じゃあ正面からぶち破ろう」
「承知しました。全員、突入準備!」
正門は開け放たれているが、調べてみたところ監視カメラや赤外線センサーといったものは確認できず、そのまま敷地内まですんなり入ることができた。
「それではお姉さま、ここから先は私たちだけで。必ず里美の仇を取って参ります」
「無茶してはダメよ。危ないと思ったら周りに頼りなさい」
「お気遣い、ありがとうございます」
松田委員長が号令を下す。
「総員、戦闘用意!!」
一体いつどこから取り出したのかわからないが、全員警杖を構えていた。さながら戦列歩兵のようであり、壮観である。
「須賀野、開けさせろ」
「はい!」
体格の良い者揃いの中にあって、ひときわ小柄な美少年が玄関に向かう。
「あの子、星花祭に来てたわね」
「会長、ご存知なのですか?」
美香が尋ねた。
「受験生向けの学校説明会に来てたのよ。女子ばかりの中で一人だけミカガクの制服を着てた男子がいたからよく覚えてるわ。今年創設の国際科に受かったのに須賀野って名前の子がいるんだけど、もしかしたらあの子の姉か妹かしらね」
「下の名前は守とおっしゃるのでは?」
「え、あなたもご存知なの!?」
「ええ。わたくし、実は須賀野家について沙羅から聞いたことがありますので。守さんは武道全般を嗜んでいて、これでまた稽古相手が増えると沙羅も喜んでおりましたわ」
「そ、そう。ということは、橘さんみたいな方なのかしらね」
「沙羅が言うには、ちょっと癖が強いらしいですわ」
芽依は何とも言えない面持ちになった。
「あの子はどうなの?」
「直接話したことがないからわかりませんわ。しかし腕前は風紀委員の中でも一、二を争うと聞いています」
そう評された須賀野少年がインターホンを鳴らした。カメラがついていない古い作りのものである。
「おう、誰だ?」
苛立たしげな声がドアの向こうから返ってくると、須賀野少年は女子のような甲高い声を出した。
「雅矢くんに呼ばれて差し入れ持ってきたんだけどー」
どうやら身内を装っているらしい。美香は吹き出しそうになったが堪えた。
「こんなので騙せるのかしら……」
そう訝しんだが、何の躊躇もなくドアが開いて中から凶相の男が出てきた。冬だというのにタンクトップ姿で、両腕にタトゥーが入っている。いかにも悪者という感じだ。
「おう、入りな……!!??」
須賀野は躊躇せず、警杖を男の顔面に打ちつけて叩き一撃で倒した。一瞬のことで、あっ、と声を出させる暇も無かった。
松田委員長が警杖を洋館に向けて叫んだ。
「突入ー!!」
「「「うおりゃあああああ!!!!」」」
黒尽くめの鬼たちと、鬼のように目を吊り上げた沙羅が喚声を上げてドアの中になだれ込んでいった。
後に、星花女子学園と御神本学園双方の学校史に「二・一〇事件」と記録された捕物劇の始まりであった。




