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鬼の始動

 あの事件の日から、南井里美は学校を休み続けていた。彼女の処遇について学校側から何もアナウンスが無いままで、そのせいで生徒たちの間では良からぬ噂が広まっていた。


「南井さん、退学になるらしいよ」

「え!? マジで!?」

「あたしも部活の先輩が言ってたのを聞いた。友達の友達から聞いたから間違いないって」

「ええー、沙羅さんかわいそー」


 廊下という開放空間にいるにも関わらず、四人の生徒が大声で話している。その側を背の高い生徒が通り掛かる。みんなおしゃべりに夢中になっていたから目の前に来て初めて気づいて、一斉に悲鳴を上げた。


「おい、何だその態度は。化け物を見たような声を出して」


 御神本沙羅は腕組みをして、四人に威圧感を与えた。


「そんなつもりじゃ……ごめんなさい」

「目一杯横に広がって歩くな。通行の邪魔だ!」

「はっ、はいっ!!」


 四人組は一列縦隊になって、早足で逃げ出した。


「くそっ」


 沙羅は苛立ち紛れに壁を叩いた。


 いつ、どこに行っても里美の噂話が否応無しに耳に入ってくるのが嫌でたまらなかった。昨日に至っては里美を一方的に非難する声も聞いてしまい怒り心頭に達していたが、あのときはたまたま側に稽古仲間の橘桜芽がいて止めてくれなければ殴りかかっていたかもしれない。


 里美が無実であることは美香から知らされている。だが同時に、そのことをまだ周りに話してはならない、と言いつけられていたさらにその。元をたどれば生徒会と風紀委員会の指示によるものである。


 美香が里美の動画がディープフェイクであるという証拠を出したところ、生徒会と風紀委員会は納得して、動画を作成した犯人を必ず見つけ出すと約束してくれた。だがここで動画の真相をみんなに知らせると犯人が証拠隠滅を図る恐れがあるということで、犯人を見つけ出すまでは伏せておくことにしたのである。


 何を悠長に構えているのか、と怒鳴りつけたくなる衝動に何度駆られたかわからない。せめてどこまで調査が進んでいるのか知らせてくれてもいいはず。要らぬ噂話があちこちで立っているというのに。合気道で鍛えた精神力を以てしても、もはやマグマを抑えきれなくなりつつあった。


「こうしている間も里美が苦しんでいるのに、一体いつになったら……」


 ぶつくさ言いつつ教室に戻ろうとしていると、「沙羅ー!」と甲高い声で呼ばれた。義姉がとてもご機嫌なときには声のトーンが一段と高くなることを沙羅は知っていた。


 案の定、振り返ると満面の笑みを浮かべている美香がいた。沙羅は怒りをしまいこんで、作り笑顔で対応した。


「ああ、お姉さま。何かありましたか?」

「ええ。とうとうお前の苦悩の日々も終わりに近づいてきたわよ」

「まさかっ」


 沙羅が身を乗り出すと、美香が耳元に囁いてきた。


「犯人がついに見つかったわ。ちょっとこちらへ来なさい」


 沙羅は階段裏の、掃除用具を入れたロッカーのあるスペースに連れて行かれた。人目が無くなったところでもう辛抱たまらないといった感じになり、いわゆる壁ドンの体勢で美香をロッカーに釘付けにした。


「うひいっ!?」

「誰ですか!?」

「と、とりあえずこの手をおどけ。そんなウサギを見つけた腹ペコのライオンみたいな目で迫らないでくれるかしら……」

「すみません、つい……」


 沙羅が手を引っ込めたところで、美香は本題に入った。


「犯人はやっぱり、『御神本沙羅被害者の会』のメンバーだったわ。里美さんを逆恨みして凶行に及んだの」

「……」


 沙羅は両手の拳をきつく握りしめて、震わせた。当初はフラれた原因が美香にあると決めつけて藁人形を送りつけてきたが、今思えばあれもまともな人間がやることではなかった。もっとも、そのときは美香の言いつけで事を荒立てることはしなかったのだが、そのツケが何十倍にもなって里美に返ってきた。


「やはり、あのとき懲らしめておくべきだったんだ!」

「お待ちなさい!」


 美香が踵を返そうとした沙羅の袖を掴んだ。


「お姉さま、止めないでください。里美に与えた痛みを償ってもらわなければ!」

「何も止めはしないわ。ただ、その機会は後で与えてあげるから今はまだ我慢おし」

「後で?」

「実は、これは星花女子学園だけの問題ではないことがわかったの。犯人の背後には黒幕がいて、そいつはわたくしたちの手で始末をつけなければいけないの」


 想像以上に大ごとになっているようである。だが犯人はそれなりの知識と技術を持っているはず。御神本沙羅被害者の会、即ち沙羅に告白してフラレて闇に堕ちた者たちはどれもディープフェイクを作る素養を持ち合わせているようには見えなかった。それはあくまで沙羅の感想に過ぎず実際のところは知りようがないが、被害者の会メンバーに協力者がいてもおかしい話ではない。


「黒幕も誰なのかわかっているようですね。ですが、私たちで始末しなければいけない理由は?」


 美香は憂いを帯びた表情で、ため息混じりに言った。


「黒幕は首謀者の兄。御神本学園の生徒よ」

「なっ」


 何かの聞き間違いではないかと疑った。


「そんなっ、お父さまの学校に悪事に手を染めるような生徒がいるはずが……」

「現に我が校でも悪事に手を染めたのがいるのだし、ミカガクにも一人や二人ぐらいいたって何もおかしくないわ。ただ、グルになって里美さんを陥れたのは想定外も良いところだったわね。ちなみに調査結果はすでにお父さまの耳にも入っている。鬼(傍点)たちが動き出すのも時間の問題ね」

「鬼ですか……」


 美香はうなずいた。


「彼らと共に協力して里美さんの汚名を晴らし、星花女子と御神本の名誉を守るのよ。いいわね」


 *


 県庁所在地にある名門男子校、御神本学園。かつての天下人が居住していた城跡の東に校舎を構えていることから生徒たちは城東健児と呼ばれ、生徒たちもその名を誇りとしていた。


 進学実績は凄まじく、生徒の三分の一は東京大学へ進学していく。ただ教科書の勉強を押し付けるのではなく、創造力と思考力を養う環境が整えられており、その土壌となるのは自由な校風である。やりたいことは何でもできるのが御神本学園の大きな魅力であった。


 だがいくら自由とはいえども最低限の守るべき秩序はある。ゆえに他校の例に漏れず風紀委員会が設置されているのだが、この風紀委員会は一目置かれる存在であった。生徒だけでなく、例え教職員であろうと、外部の人間であろうと、学園内外で粗相をした者に「教育」を施す権限が彼らに与えられていたからだ。


 そして、もしも教育で更生する見込みが無いほどの重度の過ちを犯した者が現れた場合、彼らは名門御神本の名の下に懲罰を下す鬼と化すのである。


 その鬼が動き出そうとしていた。それは建国記念日の前日のこと。祝日前とあってか生徒たちはいつになく浮ついていたが、校内放送によって浮かれ気分が吹き飛んだ。


『お知らせいたします。風紀委員は全員、ただちに理事長室に集合してください。繰り返します。風紀委員は全員、ただちに理事長室に集合してください』


 理事長が風紀委員全員を呼び出す。これが意味するところは学園の治安に関わる非常事態が起きたことに他ならない。


「何が始まるんです?」

「第三次大戦だ」


 ある生徒たちは某有名映画のセリフを使ったジョークを言って笑ったが、その側通りがかった一回り体格が屈強な生徒に睨みつけられると、すごすごと自分たちの教室に逃げ戻っていった。


 理事長室に集まった風紀委員は中等部高等部合わせて総勢60名。伝統の制服である七つボタンの学ランの他に、道着や袴を身に着けた者もいる。それもそのはずで、委員全員が何かしら武芸や格闘の心得があった。


「全員揃いました!」

「うむ」


 革張りの椅子から御神本学園理事長、御神本義光(みかもとよしみつ)がゆっくりと立ち上がった。


「私がいかなる理由で呼び出したのか、賢明なる諸君はわかるだろう」

川藤雅矢(かわふじまさや)の件ですね」


 風紀委員長が間髪入れずに答えた。


「その通りだ。結論から言うと、残念ながら川藤君はクロだった。彼に降り掛かっていた数々の疑惑の証拠が私の手元に直接送られてきたのだ。私の娘たちが通う学校からな」

「確か星花女子学園ですよね。一体なぜそこから?」

「川藤君は星花女子の生徒を誹謗中傷するディープフェイクを作成していたのだ。彼の妹に頼まれてね。先方が調べたところによると、川藤君の妹が被害者の生徒に恨みを抱いて、川藤君に頼んでディープフェイクを作らせたことが発覚した」

「何と……」


 委員たちは一斉に血相を変えた。


 川藤雅矢。現在高等部二年の生徒だが学業は著しくなく休みがちであり、高校二年まで進級できたことが奇跡と言われる程であった。いわゆる劣等生だがそこは腐っても名門校の生徒、頭の回転は良い方ではある。ただ、彼はそれを悪い方にばかり利用していたのである。


 川藤雅矢が中等部に入学した直後、彼は自作のコンピューターウイルスを使って学校のサーバーを機能不全に陥れたことがあった。本来ならばその時点で退学に処するべきだったのだが、教育熱心な教員が更生のチャンスをと土下座してまで訴えたことで停学にまで減刑された。それからは学校内ではおとなしくしていたが、いろいろと良からぬ話が聞かれるようになった。企業のネットワークにハッキングして個人情報を抜き取り悪徳業者に流しているとか、芸能人の卑猥なコラージュを製造して闇ルートで販売しているとか。ただそれはあくまで噂であり、風紀委員の調査でも物的証拠は出てこなかったので取り締まりようが無かった。だが調査のプロにかかれば話は別である。


「星花女子学園の経営母体、天寿には独自の調査組織があってね。川藤君や妹について、知りたくなかったことをいろいろ教えてくれたよ」


 御神本義光理事長は、机に置かれていた分厚い報告書に手を置いた。


「川藤君は良からぬ連中とのつきあいがある。だからこそ、諸君全員で事に当たってもらいたい」

「承知いたしました。いよいよ川藤に引導を渡すときですね!」


 色めき立つ委員たち。だがここで一人の委員から異論が出てくる。発言者は、屈強な男たちの中ではひときわ小さく見える美少年であった。


「川藤の排除は望むところではあります。しかしこれは星花女子学園内の問題であって、我々が介入するべきことではないのでは?」

「いや、これを見なさい」


 理事長は一通のメールを見せつけた。川藤雅矢の取り締まり依頼書である。文末には娘の美香の直筆の署名があり、本文には被害者が自分の友人であり妹にとって大切な人であることが書かれていた。


 これを見せられては懐疑的であった少年は黙るしかなかない。


「ぜひ、我が娘の願いを聞いてあげて欲しい」

「はい! ご命令とあれば従います!」


 気勢を上げる風紀委員たち。鬼と恐れられる者たちが動き出そうとしていた。

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