フェイク
星花女子学園高等部入学試験の日。高等部生は自宅学習となっているが、美香と玲奈は黒塗りの高級車――北条家が遣わした車に乗って東の方に向かっていた。行き先は県東端の都市、汐見市。そこに里美の無実を証明する手段があるらしい。
その里美はしばらくの間実家で静養することになった。言葉をかけられないままお別れとなってしまったが、戻ってきたら必ず良い知らせを届けるという強い気持ちを二人は持っていた。
そして沙羅はというと、美香たちと同行はせず、夜も開けぬうちから武芸仲間でもある橘桜芽と一緒に特訓と称して山奥へ行った。事情を知った桜芽の方から誘ってきたのだが、一緒に武芸に打ち込むことで嫌な気持ちを晴らさせようというはからいである。桜芽は中等部生なので授業があるのだが、そんなことはお構いなしであった。
「沙羅さん、無事帰ってこれるかしらね」
「むしろ橘さんが一緒だからこそ安心ではなくて?」
「言えてるわ」
うっかり冬眠したクマを起こしても大丈夫よ、と美香は冗談を言いかけたがそういう状況ではないので口にしなかった。
車は長いトンネルを抜け、汐見市に入った。しばらく上り勾配の山道を走っていると、やがて白い建物が目に入った。そこには「北条組技術研究所」というサインが掲げらけていた。
スーパーゼネコン、北条組。本社所在地は玲奈の故郷でもあるS県西部竹浜市だが、技術研究所はここ汐見市郊外にある。ここで土木建築はもちろんのこと、地盤、地質、海洋、地球環境、都市計画、メカトロニクスと多様多種に渡る研究が行われている。
今回、用があるのはメカトロニクス部門である。里美の冤罪を証明するために、玲奈は北条組経営者の娘という特権を活かして最先端技術を使おうとしていた。
研究所は企業秘密の塊のようなものなので厳しいセキュリティが敷かれているが、経営者一族の娘という特権を持つ玲奈には関係ない。彼女は今までに何度も研究所を訪れたことがあるし、今回も所長に直接話を通していた。
二人は警備員から貰った入場パスを首にかけ、堂々と研究所内に入っていった。
「本来だったらミカミカは立ち入り禁止なのだけれど、所長はミカガクのOBなの。あなたの名前を出したらすぐに許可を貰うことができたわ」
「ありがとう。でも本当に良いのかしら、わたくしまでここに来てしまって」
「だって、デートを兼ねることもできるでしょ?」
「デート……」
そう言えば二人きりでどこかに行ったことがまだ無かった、と美香は思い返した。沙羅、里美と一緒に行った城崎旅行の際は二人で温泉に入ることはあったが。
「ごめんなさい、里美さんが大変なとき不謹慎だったわね。でも、この研究所はデートスポットにも使えそうなぐらい綺麗でしょ」
「ええ。研究所と言うよりは博物館か美術館みたいだし、デートに来た感じがしないでもないわね」
白を基調とした造りの長い廊下が、ガラスから射し込む太陽光で照り映えている。一言で表せば、光の回廊。ねずみ色の制服を着た職員が往来していなければ、ここが研究所であることを忘れてしまいそうな程に幻想的である。
美香は夏休みに天寿の研究所へ見学に行ったことがあった。こちらはいかにも研究所という感じで薬品の匂いが漂っていて、職員も変わった人間だらけであった。それに引き換え、北条組技術研究所の職員はみんな髪型をきちっと整えており、スマートでさわやかな印象を与える。同じ研究職でも会社が違えば働く人の質も違ってくるものらしい。
研究所は地上2階建て地下2階建ての造りになっている。メカトロニクス部門は地下2階にあった。このエリアは特に厳重なセキュリティが敷かれていて、5段階レベルのうちレベル4以上の権限が無いと入れないのだが、二人が貰ったパスはレベル4までのエリアなら行き来できる特別なものである。
メカトロニクス部門が入っているオフィスに着くと、玲奈がパスをカードリーダーにかざして解錠し、中に入った。そこは高級レストランのような小洒落た空間が広がっていたが、艶の出ている木製テーブルに置かれているパソコンが仕事場であることを示していた。
「お待ちしておりました、お嬢様」
朗らかそうな中年男性社員が出迎えた。
「そちらが御神本さまですね?」
「ええ。この子がどうしても研究所を見てみたい、と」
美香はそんなことを一言も言っていないのだが、研究所見学という名目でアポを取ったのだからそれに合わせる必要があった。
「この御方がメカトロニクス部門の橋本部長よ」
「御神本美香と申します。本日はわたくしのわがままを聞いてくださり、ありがとうございます。橋本部長」
「いえいえ。御神本さまの熱い想いを叶えるためなら何でもありません。自ら研究所を訪れて、研究職を志す御神本学園の生徒たちに我が北条組の最先端技術を伝えたいとか」
当然そんなことも言っていない。玲奈がどこまで話を盛っているのか気になってきた。
「それでは早速案内をいたします」
「いえ、部長は自分のお仕事に専念なさってください。私がこの子を案内します」
「お嬢様が? あ、いえ。承知いたしました」
あっさりと引き下がった。自分たちが好き勝手に動き回ってうっかり企業秘密に触れてしまうかもしれないのに。玲奈がよほど信頼されているのか、経営者の娘相手に逆らえないだけなのかはわからなかった。
「こっちよ」
玲奈に奥まで案内されると、周りをパーテーションで区切られた小部屋があった。
「失礼いたします」
声をかけて中に入ると、美香はぎょっとした。一人の社員がノートパソコンに向かって作業をしていたのだが、バズカットにした髪の毛は赤紫色に染められていて、口にピアス、両耳にもいくつものピアスがつけられていた。まるでパンクロッカーのような風貌だが、服だけはねずみ色の制服というのが何ともミスマッチで不気味さを際立たせている。
「お、来たなお嬢」
声の高さで、女性だとわかった。
「玲奈、こちらの方は?」
美香は恐る恐る尋ねた。
「AI研究グループのチーフを務めている小平さんよ」
「AI? 北条組ではAIの研究もやってるの?」
「おうよ。建設機器の制御に設計、製図その他諸々でAIが使われているからな」
小平がにっこり笑って答えたが、覗きでた歯を見ると七色になっていてどれ一つとて白い歯が見当たらない。美香は引いていたが、どうにか笑顔を取り繕って態度に出さないようにした。
「事情はお嬢から全部聞いている。早速ブツを見せてもらおうか」
「あ、はい」
美香はDVDが入ったパッケージをバッグから取り出して渡した。
「こいつを調べるんだな。よし、ちょっとだけ時間をくれ」
「では、よろしくお願いいたします」
玲奈が丁寧に頭を下げたのに対して、小平はおう、と軽く手を上げて応えた。
*
研究所の敷地にはハス池がある。その傍らのベンチに美香と玲奈は座っていた。この日は冬らしからぬ陽気に包まれていて、上に羽織るものがなくても青空の下を快適に過ごすことができた。
「ディープフェイクってご存知かしら?」
「でぃーぷふぇいく? 競走馬の名前みたいね」
美香が答えると、玲奈はくすくす笑った。
「簡単に言ってしまえばAIを使って人物の合成画像を作り上げることよ。こんな感じにね」
玲奈はスマートフォンの画像を一枚見せた。それは城崎に行った折に撮影したセルフィだったが、玲奈と一緒に映っていた沙羅と里美の顔が美香の顔にすげ替えられていた。背丈の関係で大サイズ・中サイズ・小サイズの美香がいるようである。
「う、これは……自分の顔とはいえ少し不気味ね」
「これぐらいだったらミカミカでもアプリで簡単に作れるわ。その気になれば動画を作ることもできる。もちろん、里美さんの偽物もね」
玲奈はスマートフォンを制服のポケットにしまいこんだ。
「里美さんのあの動画はディープフェイクに違いない。そう私の第六感が告げたの」
「だからAIに詳しい人に解析を依頼したのね」
「そう。小平さんはああ見えてもMITで学んだ秀才だから簡単に解決してくれるわ。ああ見えてもね」
念押しするように玲奈が言う。彼女が小平のことを本音でどう思っているのか、少し垣間見た気がした。
玲奈は体を寄せてきて、頭を肩に預けてきた。黒髪からただようミントシャンプーの香りが美香の嗅覚をくすぐる。
「私たちの関係もフェイクから始まったけど、真実になったでしょう。それはミカミカにとって良いこと? それとも悪いことだったかしら?」
「良いに決まってるじゃない。わたくしもあなたと本当にこういう関係になるなんて最初は露ほども思っていませんでしたけど」
美香が玲奈の黒髪を撫でると、絹のような手触りがした。
「嘘から出た真、ってことわざもあるものね」
「そう。だけどそれはときに悪い方に向かうこともある。歴史好きの同級生の子が言ってたんだけど、歴史書ってウソが書かれてることが多いらしくて、後世の研究でウソだとわかるケースが多いらしいの。だけど後世の人がウソを良いように扱ってきたせいで、世間には真実として定着してしまっているって」
「歴史は勝者によって作られる、と言うものね」
「そう。だからここで里美さんが負けてしまえば星花女子学園の歴史の汚点にされてしまう。それだけは絶対に防がないと」
玲奈が上目遣いで美香を見てくる。だが目つきはいつになく鋭かった。
「里美さんを陥れた犯人の目星はついているわ。自分たちが受け入れられなかったからって、里美さんに刃を向けようとするなんて許せない」
その犯人とやらが何者を指しているのか、美香にもわかっていた。冬休みに入る前、沙羅に告白してフラれた逆恨みで自分に藁人形を送りつけてきた人物。
「だけどあの子たちがやったって確証がないわ」
「今はね」
玲奈の手が美香の肩に伸びる。彼女の手には力がこもっていた。怒りの表情は見せてはいないが、確かに彼女は怒っていた。
その怒りは美香にも伝播した。犯人が誰であろうと、友人を侮辱し、妹を悲しませた者は何者であろうと厳しく断罪されるべきである。
美香は玲奈の手を取った。無言ではあったが、犯人は許さないという気概を伝えられた玲奈は大きくうなずいた。
「おう、お楽しみ中のところ悪いな」
「ひゃっ!?」
美香が飛び上がって後ろを振り返った。
「あ、ああ小平さんでしたのね。これは失礼致しました……」
「解析が終わったぞ」
小平はノートPCを携えていた。玲奈は姿勢を正し、
「あら、思ったより早かったですね」
「ブツは素人から見たら良くできてるかもしんねえが、あたしにとっちゃ雑な仕事すぎてな。暇つぶしにもなんねえよ」
「ということは、やっぱり」
「ああ、お嬢の睨んだ通りディープフェイクだったな」
小平はノートPCを広げて、動画を再生した。まずはラブホテルが映し出される。
「さあ、ここからが本番だ」
しばらくすると顔にモザイクのかかった男と里美と思われている少女が腕を組んでやってきたのだが、小平はその二つの正体を暴いていた。男の顔のモザイクは取れていて、里美の顔は全く似ても似つかない何者かになっていたのである。
「これが正体……」
やはり、里美ではなかったのだ。だが明らかになったのはそれだけではない。謎の二人連れが映る直前にカメラのアングルが切り替わるシーンで、小平は動画を一時停止した。
「こいつを見ろ」
小平は画面を指し示して、動画を再び再生する。かすかではあるが、黄色い光が明滅しているのが見えた。
「これはもしかして信号の光ですか?」
美香が聞くと、小平は「ああ、そうだ」と答えた。
「お嬢からいつ撮影されたのかわかるかって聞かれてたから調べてみたが、空の宮市じゃ交通量の少ない交差点では午後十時以降に点滅信号に切り替わるんだと。つまり、この動画は午後十時以降に撮影されたということだ」
「つまり、里美さんが寮に帰ってきた後……」
差し込んできた希望の光が、さらに強さを増した。里美の無実を証明する材料がこれで揃ったのだ。
「ありがとうございます小平さん! これで里美さんが救われますわ!」
「なあに、礼には及ばねえよ」
玲奈はにっこり笑って、小平の手を取った。
「いえいえ、あなたには礼を何度言っても足りません。お忙しい中貴重な時間を割いて頂いたのですから」
手の中でカサカサと紙が擦れるような音がした。その正体に小平は気づいているようで、
「おいおい、あたしはそんなつもりでしたんじゃねえぞ」
「誠意は言葉ではありませんのよ?」
「……ったく、まだガキンチョのくせに生意気言うんじゃねえよ。お嬢じゃなかったら張っ倒すとこだぞ」
そう悪態を突きつつも、小平は手を引っ込めてブツを制服のポケットに突っ込んだ。
「さて、これで後は風紀委員がどう動いてくれるか、ね。里美さんを無罪放免にするだけで終わらせることはしないと思うけど」
「当然よ。犯人にはそれ相応の代償を払ってもらうわ」
太陽はいつしか雲の中に隠れ、北風も吹き出して冬らしい気温へと戻っていった。




