サタデーナイトトーク
一月下旬のある土曜日。星花女子学園の合気道部員は研修会で県庁所在地の武道場に赴いていた。研修会では他校の生徒と合同で稽古ができるため、試合が無い合気道部において実戦的な稽古ができるまたとない機会となっている。
稽古は男女合同で行われたが、沙羅は男相手でも軽々と投げたり、地面に組み伏せたりしていた。元々173センチと恵まれた体格をしているが、それよりも遥かに体格が大きい男子ですら沙羅の前では子どもを扱っているようである。
「さすが沙羅だ」
里美は恋人の稽古を見て、ただただ感心するしかなかった。
研修会が終わった後、部員たちは空の宮市に戻って空の宮中央駅前にある洋食店に向かった。研修会に同行した合気道部のOGが慰労会を開いてくれたためである。しかし沙羅の姿だけはそこにはいなかった。彼女は実家に一泊することになっていたが、それはついでのことで、本当の目的は研修会後も御神本学園の合気道部員を指導するためであった。
「沙羅ったら、ミカガクの生徒を相手するときだけやたら殺気が漲ってたねえ」
OGは上機嫌でそう言った。空になったグラスに、どうぞどうぞと顧問教師がビールを注ぐ。
「研修会が終わった後も部員たちを正座させてお前たちはたるんでる、とか説教してましたからね。うちの部員たちにはとても優しいんですが男相手、特に自分の父親が経営する学校の生徒相手だと別なんでしょうね」
「そうだろうねえ。あなた達も沙羅が相手に見せた厳しさを、自分のことだと思って稽古するんだよ」
部員たちは一斉にはい、と返事した。
慰労会後解散となり、顧問とOGからは遅くならないうちに帰れと言われたものの、部員たちはまだ物足りないようでカラオケ店に移動した。そこで里美は、普段はあまり進んでマイクを手にしないのだが、今日に限って我先にとマイクを手にして歌いまくったのである。
「里美ちゃん、だいぶストレス溜まってない?」
他の部員から心配されるのも無理なからぬことである。
「だって、沙羅がいないもん」
「あ、それでか。まあお家の事情があるからねえ。でも帰ってきたらその分たっぷり愛してくれるよ」
そう言ったスキから、向かいのソファーに座っていた部員二人がいちゃついている。合気道を通じて恋仲になった者どうしだ。
「見せつけてくれるねえ」
里美がちょっと棘を含んだ言い方でからかう。
「私たちに混ざりたいの? いいよ、沙羅のかわりに相手してあげても」
「バカッ!」
里美はリモコンを投げつけるフリをした。もちろん悪い冗談に対して悪い冗談で返しただけである。ふたりともキャーキャーとわざとらしく騒ぎ立てた。
そんなこんなで良くも悪くも盛り上がった二次会も終わって解散となった。里美以外は自宅住まいのため、バスや徒歩、またはJRを使って帰っていった。
東海道本線を使う子たちをお見送りした里美は、星川電鉄のホームに向かった。ちょうど学園方面に向かう下り線がやってきて、それに乗り込んだ。会社員たちが仕事を終える時間帯はとっくに過ぎていたから空席が目立つ。普段は鍛錬のために例え電車で空席があっても立っている里美だが、このときは稽古疲れと歌い疲れが重なっていたから座席に座り込んで、そのままウトウトとしてしまったのである。
『ご乗車ありがとうございましたー』
「うん……」
車内アナウンスで目を覚ました里美は学園駅前に着いたのだと思い、立ち上がった。
『終点夕明、夕明です』
「うえええっ!?」
慌てて車外に飛び出た里美。そこは学園駅前のホームではなく、下り線終着駅の夕明駅であった。ホームから直接外の様子が伺えるが、この辺りは栄えていないので民家の灯りがポツポツと見えるばかりである。
「や、やってしまった……」
ダッシュで跨線橋を渡り、向かい側の上り線ホームに向かう。時刻表を確認すると、発車までまだかなりの時間があった。
周りに他の客の姿は見当たらない。この時間帯に郊外から市街地まで出かける人間はいないだろう。
ほぼ、無意識的にスマートフォンに手を伸ばしていた。発車時刻までの間、寂しさを紛らわせてくれる相手は沙羅以外にいない。
「あ、もしもし沙羅? ごめんねこんな時間に急に」
『どうしたんだ?』
「んとね、歓迎会終わって帰ろうとしたんだけど乗り過ごして夕明まで来ちゃった」
『あははは! 里美らしくないミスだな』
「あはは。それでね、電車まで時間があるから話をしたいなと思って。今大丈夫かな」
『いいよ。私も今、何もすることがないし』
誰それが二次会でイチャイチャしていたとか、御神本学園の生徒に厳しい稽古をつけたこととか、お互いにいろんな出来事を話し合った。それだけでも寒い夜空の下で待たされる苦痛は和らいでいった。
『明日の夕方には帰るからね』
「うん、待ってる」
『そうだ、帰ってから言うつもりだったけど、今のうちに言っておく。来週、二人で遊びに行かない?』
「行く行く!」
里美は即答した。
『お姉さまと玲奈、二人水入らずになれる機会も少しでも多く作ってあげないとね』
「あはは、おねーさまのことをちゃんと考えてあげてるんだね。今日もたっぷりいちゃついてると思うよ。私たちがいない間に」
『そうだね』
発車時刻が来るまでは、あっという間であった。里美はおやすみ、と挨拶をして通話を切った。心も体もすっかり温まったような気がして、軽やかな足取りで電車に乗った。
「来週か。どこに行こうかな」
車内には誰もいなかったから、頬が緩んでも気にする必要はなかった。
*
桜花寮のロビーでは、寮生たちがテレビを視聴していた。
「へーくしっ!」
美香の大きなくしゃみを聞いて、一緒のソファーに座っていた玲奈と周りの寮生たちがクスクスと笑った。
「誰かミカミカの噂でも流しているのかしら?」
「疲れが出ただけよ」
あなたのせいでね、というセリフは口に出さずにおいた。沙羅と里美がいないのを良いことに、美香は玲奈からお誘いを受けて朝から夕方にかけてベッドの上で何度も何度も愛を交わしあったのである。体力の限界が近づいても歯止めが効かなかったが、今まで理性で押さえつけていた反動が来たのせいしれない。自身の中にこんな淫乱な部分が眠っていたことに、ただ驚き呆れるしかなかった。
それでいて自己嫌悪に陥らないのは、これが自分の本性だったということだろう。薬の効果はとっくに切れていたが、玲奈の何もかもが愛おしく感じるようになっていた。
(それにしても里美さん、遅いですわね。もうすぐ門限なのに)
里美は合気道部OGと食事をするから帰りは遅くなる、と言い残していた。ついでに部員たちと遊んでいるのかもしれないが、真面目な里美が門限ギリギリまで遊ぶことはあり得るのだろうか、と美香は訝しむ。
テレビにはクイズ番組が映っている。レポーターが世界各地を回って現地にまつわる歴史や風俗、人物を取材しそれに関する問題を出すという内容の長寿番組だ。全3問出題されるが、すでに最後の3問目に繋がるエピソードが紹介されている。しかし美香は里美のことが気になりだしたものだから、内容が頭に入ってこなくなった。
レポーターから最後の問題が出された。周りが答えは何なのか話し合っているが、美香の思考回路は答えを探す方に向いていない。
「どうしたの、ボーッとして」
玲奈が言った。
「里美さんが心配なのよ。まだ帰ってこないもの」
「ああ、それだったら大丈夫よ。見て」
玲奈の指し示した方向を見やると、制服姿の里美の姿を見つけた。美香はその場から声をかけた。
「あら、お帰りなさい里美さん。ずいぶん遅かったじゃない」
「ただいまー……あー、ヤバかったー。電車乗り過ごして夕明まで行っちゃってたんだ」
えー、と周りがびっくりする。星川電鉄の土日の夜は運行本数が少なく、乗り過ごすと致命的になりかねないことをみんな知っている。里美は走ってきたのか、肩で大きく息をしていた。
「まあ、それは災難でしたわね」
「あー寒い寒い! お風呂入んなきゃ」
里美は早足で部屋に向かっていった。
「あの子でもドジを踏むことがあるのねえ」
「でも、無事に帰ってこれてよかったわ」
その通り、と美香はうなずいた。
周りはというとテレビの方が大事だったのか、このときはこんな遅くまで里美が出歩いてたことに誰一人とて疑問を抱くことはなかった。
そして、事件が起きたのは月曜日のことであった。