たった一杯で夜も寝られず
「玲奈さん、その格好は!?」
「こういうときのために用意していたものよ」
玲奈が部屋に入り込んでくるやいなや、美香の体に抱きついてきた。彼女のトロンとした目つきが、正常でないことを示している。
「まっ、まっ、まさかあなた、香水に……」
「違うわ。全ては私が仕組んだことなのよ」
「どういうことなの……?」
「私が酔い止めのお薬をドイツから取り寄せていることを知っているわよね? 他のお薬だってドイツから取り寄せられるのよ。例えば睡眠薬とか、ちょっと危ないお薬とかもね」
美香の頭に、ある恐ろしい推測が浮かんできた。
「あなた、ハーブティーに一服盛ったわね!?」
「ええ」
あっさりと認めた。彼女はハーブティーを作りに一人で給湯室に向かったが、そのときにちょっと危ないお薬とやらを美香のハーブティーに入れたのだ。
「沙羅さんと里美さんには睡眠薬の方をごちそうしたわ。巨象も一発で眠らせる程の強烈な成分が入っているから、朝まで何があっても起きないわよ」
「何でこんなことをしたのよ!?」
「だって、私たちは今からたっぷり声をあげるんですもの。睡眠妨害になっちゃうでしょう? もう片隣と向かいと上の階の部屋の住民は明日にならないと帰ってこないし。思う存分いい声で鳴けるわよ。お互いにね」
「んひっ!?」
美香の耳たぶに生暖かい感触がして、そこから全身に電流が走ったかのようになった。玲奈に舌で弄ばれたのである。
「あなたにごちそうしたのは、まさしく猫が猛虎になる程の強烈な成分が入っている媚薬よ」
「あっあっあっ……」
さらに舌で弄んでくるが、美香は一切抵抗できなかった。それどころかもっとして欲しい、という気持ちが奥底から湧き上がってきた。
だんだんと自分が自分でなくなっていく。しかしそれを止める術はない。
「本当は日本どころかドイツでも使用禁止なのだけれど、抜け道はいっぱいあるから手に入りやすいの。もちろんあなただけに使うのはフェアじゃないから、私も飲んだわ。もう桜島みたいに爆発寸前よ」
玲奈は時々変なことを言って美香に呆れられるのだが、そんな空気ではなかった。ケダモノのようによだれを垂らし、舌なめずりをしている。大人しく食べられなさい、と挑発している。
それを見た美香は、ついに抑えが効かなくなってしまった。玲奈を自分のベッドに押し倒し、馬乗りなった。大きな音がしたにも関わらず、義妹は全く目を覚ます気配がない。
「薬の力を使ってまで……あなたはとんっでもない悪女ですわね!」
「ええ、私は悪い女よ。偽装交際で終わらせるつもりだったのに本気の愛に昇華させようとしているんだから」
「だったら、もう少しスマートなやり方で愛を伝えて欲しかったですわ」
美香はほぼ無意識的に、パジャマを脱ぎはじめた。
「待って、私がしてあげる」
玲奈が身を起こすと、まず唇を重ねてきた。容赦なく舌をねじ込んでくるが、美香もそれに対して応える。ファーストキスとは比べ物にならない甘さと痺れが襲うが、果たして薬のせいだけであろうか。やはり、こうなることを待ちわびていたからに他ならないのではないだろうか。性体験で先を越された妹に追いつきたいという気持ちがあったからではないだろうか。
そうした自問自答も束の間、唾液をすすり合ううちにもはや考えることもままならなくなっていく。
玲奈は荒っぽい手付きで美香のパジャマを脱がしにかかった。美香も玲奈の下着を剥ぎ取った。沙羅は相変わらず夢の世界の住民のままである。妹のすぐ側で事に及ぶ。その背徳感も相まって、美香はますます昂ぶった。
「初めてですけど、どうなっても知りませんわよ……」
「ええ。思い切り来てちょうだい、ミカミカ」
美香は鼻息を荒くして、体と体を重ね合わせた。淫靡な音と声は一晩中続いたが、聞いた者は誰もいなかった。
*
「うっ、何だこれは……」
沙羅が目を覚ますと、異様な匂いに気がついた。それは甘ったるくて重かった。
美香のいるベッドに目をやると、布団が大きく盛り上がっているのに気がついた。
「お姉さま……? うわっ!」
近くに寄って確かめた沙羅は腰を抜かしそうになった。美香に折り重なるような形で、玲奈が眠っていたのである。ヘッドボードには媚薬入り香水が置かれていたが、中身が半分以下にまで減っていた。ベッドの下には脱ぎ散らかしたパジャマに下着が落ちている。昨夜何が行われていたのか一瞬で察したが、行為に全く気がつかず眠りこけていた自分に対してもただ驚くばかりであった。
先に目が覚めたのは玲奈だった。
「あら、沙羅さん。おはようございます」
「お、おはよう。いつの間に……」
「ごめんなさい。つい我慢できなくてね」
玲奈が身を起こして布団をのけると、裸体が露になった。体のあちこちに愛し合った形跡がくっきりとあり、それは美香の体にも刻まれていた。どれだけ激しいことをしたのだろうか。沙羅は戦慄さえ覚えた。
「う、ん……」
遅れて、美香も目を覚ました。沙羅と目が合って何度かまばたきした後、
「うひぃぃぃぃっっ!?」
自分が今置かれている状況に気づいてか、奇声を上げて飛びのいた。すぐ後ろが壁であることに気づかず。どんっという大きな音がして、美香は背を丸めてうずくまった。
「あいたたた……」
「大丈夫ですか? お姉さま」
「うう、背中どころか腰も痛いわ……」
「うふふ」
玲奈が美香の首筋に腕を絡ませる。
「おはよう、私の愛しいミカミカ。昨日は凄かったわね」
「……」
美香は黙って、顔を赤らめてただうなずくばかりであった。沙羅はどう声をかけてあげるべきか悩んだあげく、こう言った。
「お、おめでとうございます……」
すると美香は照れ隠しなのか、枕を投げつけてきた。
「おめでとう、じゃないわよ! お前が部屋にいる中でいたしてしまったのよ!? ああああっ、わたくしったらなんて破廉恥なことをっ……」
「私は気にしてませんよ。むしろ良かったでしょう? 実際に体験してみて」
「うっ、それはまあ……否定はしないわ」
玲奈が頬ずりをしながら、美香に囁いた。
「じゃあ、今から沙羅さんが見てる中でしちゃいましょうか」
御神本姉妹は首を横に振って、玲奈の暴走を止めにかかった。
*
三学期が始まった。高等部三年生はいよいよ学び舎とのお別れの時期が迫り、中等部三年生は高等部進学に向けてソワソワしだしている頃である。
そんな中でも「キセキの世代」である高等部一年生は相変わらず騒がしくも楽しい日々を送り、二組の教室もその日々を同じように過ごしていた。
「北条さん、この前おすそ分けしてくれたハイビスカスティーだけど、ものすごく美味しかったよ」
美香と同じくハーブティーが好物の塩瀬昌が玲奈にお礼に言うと、玲奈は「ありがとうございます」とお辞儀した。
「塩瀬さん、飲んだ後に体がおかしくなったりしてませんわよね?」
美香が聞く。
「うん? すこぶる順調だけど。美香さんは何かあったの?」
「え、ええ。わたくしも飲んでみたのだけれどちょっと体のホルモンバランスが崩れてしまって。おほほほ」
玲奈が面前にも関わらず、美香の首筋に抱きつく。
「もう、ミカミカったら失礼なんだから。私が愛情こめて淹れたからちょっとのぼせただけでしょ?」
愛情こめて、とちょっとのぼせた、というフレーズが意味深に聞こえる。
「おほほ、冗談よ。さすがは茶道部と言うべきか、この子ったら人を酔わせる淹れ方も心得ていますの。塩瀬さんも一服、玲奈から頂いてみては?」
「そうなんだ。じゃあ今度、茶道部に顔を出してみようかな。弥斗も連れて」
「お待ちしていますわ」
玲奈の微笑みすら意味深なものに見えてくる。
朝のSHRの時間になり、チャイムが鳴った。
「それじゃ今日も一日頑張りましょう」
美香は玲奈の頬にキスをして、自分の席に着いた。玲奈と晶は隣同士の席である。三学期初めの日の席替えで隣同士になっていた。
「美香さんって人前でああいうことをする人だったかなあ?」
そう隣の玲奈に聞くことはせず、独り言にとどめた。玲奈は愛おしそうにキスされた方の頬を撫でていた。
*
放課後の体育館裏。陽が傾いてできた影の中で、三人の生徒が秘密の話をしている。
「やはり、沙羅さんがあいつを選んだのは許せないわ……」
「私たちを差し置いて……」
「やっぱり、一度痛い目にあってもらわないとね」
「だよねえ」
「だけど生半可なやり方じゃ堪えないんじゃない? それに沙羅さんにチクったら真っ先に私たちが疑われる。一度沙羅さんの姉を牽制したら、沙羅さんに呼び出されて説教食らったじゃん。二時間も体育館裏で正座させられて。沙羅さんに叱られるのはちょっと気持ちよかったけどさ……」
「大丈夫。もっと効率的な方法があるから」
「効率的な方法って?」
「うん。実はあたしね……」
びゅおお、と寒風が吹き付ける音がする。密談を聞いていたのは、人気がなくなった体育館しかない。




