茶道 and 柔道 vs 合気道
12月上旬の二学期期末試験最終日、最後の科目である現代文のテストの終わりを告げるチャイムが鳴ると、得も言われぬ開放感が押し寄せてきた。解答用紙が集められて教師の手に渡ると、教師は号令を促した。
「起立!」
学級委員長を務める御神本美香の一声で、全員が立ち上がる。
「礼!」
「「「ありがとうございました!!」」」
教師が出ていくと、一年二組の教室はたちまち喧騒に包まれた。テストでは名前の順に着席していたので一斉に元の席に戻っていく。美香の今の席は窓側の真ん中の列で、隣に友人の北条玲奈が座っていた。
「美香さん、出来はいかがかしら?」
「加古先生の出題は素直だから要領がわかればどうにかなるわ。玲奈さんこそいかが?」
「疲れた。城崎温泉に浸かってゆっくりしたいわね」
「その回答、玲奈さんらしいわ」
城崎温泉の名前が出てきた理由は、出題範囲内に志賀直哉の『城の崎にて』が入っていたからに他ならない。
「試験結果がフェータルなものにならなければ良いのだけれど」
「フェータルねえ」
作中に出てきた用語を使ったものだから、美香はつい笑ってしまう。それでも笑い方は上品で、決して口元を相手に見せなかった。
「とにかく全て終わったことだし、お茶でも一服いかがかしら?」
「良いわね。わたくし、テスト明けなのに部活が無くてどう時間を潰そうか考えていたところだったのよ」
そういうわけで放課後、美香は玲奈と一緒に離れに向かった。元より美香のいる書道部と玲奈の茶道部はともに離れを活動場所にしているので、いつもの光景である。
茶道部は外部のお客様も大歓迎の部活である。むしろ本日は「期末試験終了記念茶会」と銘打った茶会を催していて、大勢のお客様が足を運んでいた。美香は通常の日でもよく茶道部に顔を出してお茶を頂いていたが、たまには大勢がいる場でお茶を頂くのも賑やかで良いと思っていた。
ただ、昔の方がもっと賑やかではあった。入学した頃はちょっと変わった先輩の部員だらけで、だけど部の雰囲気はとても明るく部員どうしの仲も良く、部室からはいつも笑い声が絶えなかったものであった。かといって茶の湯の場ではふざけすぎることもなかったし、部員たちはお客様にもフレンドリーに接してくれた。変わり者の先輩たちが卒業してからもその精神は生き続けているが、やはり寂しさは拭いきれない。
玲奈は今年の春に高等部から入学したので、変わり者の先輩たちのことは知らない。だからだろうか、彼女の茶の点て方にあまり遊び心が見られない。だが所作は美しく、洗練されていた。
茶の味も良かった。ハーブティーを淹れさせたら沙羅が一番だが、抹茶は玲奈が一番だ。玲奈曰く茶道部に入るまではまったく未経験者だったらしいが、入部して八ヶ月でここまで上達するのは天賦の才あってのものに他ならない。彼女がいれば茶道部は安泰であろう。
茶会が終わった後も生徒たちは歓談に興じており、美香は改めて玲奈に感想を述べた。
「お美事でしたわ。今度個人的に茶の点て方をレクチャーしてくださらない? わたくしも茶道の心得があるけれど玲奈さんほど上手く点てられませんの」
「いいわよ。ただし授業料は安くないわ」
「おいくらかしら?」
「私と寝て頂ければ」
「……はい!?」
「あははは! あなた今、すごく面白い顔をしていましたわ」
からかわれたと知った美香は顔を赤らめた。
「な、何よその笑い方は! ちゃんと口元を隠しなさい! はしたない!」
「そうね。うふふふふ」
これはこれで馬鹿にしているようにも聞こえる。
急に部室が騒がしくなった。生徒の一人がスマートフォンを周りに見せながら、
「サラさんとオーガさんがやりあってるよ!」
「沙羅?」
美香は「ちょっと私にもお見せなさい」と断りを入れてから、スマートフォンを見せてもらった。
「これは……」
*
武道場で、二人の道着を来た少女が対峙していた。どちらも黒帯で、構えを取ってはいるが微動だにせず、顔に汗を浮かばせている。
季節は十二月とあって暖房はじゅうぶんに効かせてあるが、集まった野次馬たちはみな、氷点下かと思わしめるほどの恐ろしい寒気を感じていた。原因は二人から放たれる殺気であった。
美香と、ついでについてきた玲奈はこの異様な光景を目の当たりにして顔を見合わせるしかなかった。
「沙羅ったら、いったい何を……」
「稽古してんの」
「あら、里美さん」
玲奈のルームメイトで沙羅と同じ合気道部に属する南井里美もこの場にいた。彼女も道着を着用しているが白帯である。
「相手は柔道部の橘桜芽さん。全国大会の個人戦で優勝を成し遂げたエースだよ」
「名前は知ってるわ。夏休み明けに校舎に垂れ幕がかけられていたもの。しかしあの子、本当に中等部生かしら……」
沙羅は173cmの長身なのに、桜芽は彼女よりもさらに高い。白く輝く長髪がより大きく体を見せている。
「稽古にしては全然動かないわね」
玲奈が言った。
「そりゃ、下手したら大怪我するからね」
「大怪我……?」
「噂だけど、橘さんと試合で当たった人のほとんどが二度と柔道ができない体になってしまったとか」
「そ、そう……だけど沙羅も身体能力は凄いわよ。簡単に負けはしないわ」
「だから危険なの。合気道は相手の力を利用する武道。橘さんの力が自身に跳ね返ってきたとしたら、橘さんの方が二度と柔道ができない体になるわ」
動かない理由がわかった。動けないのだ。動くとどちらかが、あるいはどちらもただですまない結末を迎えることになると二人は理解しているのである。
「沙羅に大怪我されては困るわ! 止めさせないと!」
「いや、もうその必要はないよ」
二人が同時に構えを解いた。互いに歩み寄って握手をかわす。
「先輩のおかげで良い稽古ができましたわ」
「こちらこそ」
「人間と稽古するのは良いものですね。先輩以外だともう山に住むクマしか相手になりませんから」
「本当は実践の稽古をしたいのだけれどね。だけど合気道では試合は『死に合い』に繋がるとして禁じられているし、実際にやりあっていたらどちらかが死んでいただろう。君を失いたくないし私も死にたくない」
「それはお互いさまですわ」
「あはははは」
「うふふふふ」
殺伐とした言葉で、爽やかに健闘を称え合った。血の気が失せている野次馬に気づいたのはその後であった。
*
沙羅は星花女子入学前に合気道を習っていた。通っていた道場は「橘花武道塾」といい、全国あちこちに道場を開いていてさまざまな武道が学べるところである。桜芽はその経営者の娘であり、沙羅は実は入学後から知り合っていて時折稽古をつけてもらっていたのだそうである。たまたま今日は他生徒の目に触れてちょっとした騒ぎになってしまった、ということであった。
「イメージトレーニングの中で30回は殺されました」
沙羅はあっけらかんとして笑いながら、ラベンダーティーを淹れる。
「本当に死んだらシャレにならないわ。ほどほどにしてちょうだい」
「大丈夫です。お姉さまより先に死ぬという姉不考をするつもりはありませんから。どうぞ」
ティーカップを手に取ると、ラベンダーの香りが鼻をくすぐった。ラベンダーは安眠に誘う効果があるので、いつも眠りの前に一杯飲んでいた。
「わたくしはピアノ、バレエ、乗馬に琴といろんな習い事に手を出していたけれど、お前は合気道一筋だったわね」
「私はお姉さまほど器用ではありませんからね。だから一つに絞ってとことん究めようとしたのです」
そう謙遜したが、生き方の器用とハーブティーの淹れ方の器用は別物である。今夜のラベンダーティーも極上であった。
「美味しいわ」
「ありがとうございます」
「今度、お前も茶道部に来てみなさい。玲奈さんのお茶も良いわよ」
「ええ。必ずお伺いします」
程よく眠気が来たところで、二人とも眠りについた。今は別々のベッドで寝ているが、桜花寮に入る前日まで一緒のベッドに寝ていたことを美香はいつも思い出していた。
翌朝、美香はいつものように玲奈、沙羅、里美と一緒に登校したが、二組の教室に入ると、いつもと違う嫌な空気を感じ取った。十人ほど、自分の机の周りを取り囲んでヒソヒソと話をしていたからである。
「みなさんごきげんよう。わたくしの席に何か御用があって?」
「あ、おはよう美香さん」
塩瀬晶が挨拶してきた。
「君の机の上ににこんなものが置かれてたんだ」
晶が見せたのは、藁人形と紙切れであった。紙切れにはパソコンで入力された赤文字でこう書かれていた。
『御神本沙羅被害者の会より』
今回ご登場頂いたゲストキャラ
・橘桜芽(魔物兄貴様考案)
登場作品『桜が芽吹く縹の空に』(リレー小説)
https://syosetu.org/novel/205268/
・塩瀬晶(桜ノ夜月様考案)
登場作品『君に捧げる花の名は、』(桜ノ夜月様作)
https://ncode.syosetu.com/n8368fs/
(2020/6/7)
校内見取り図更新に伴って一部内容を書き直しましたが、話の大筋は変わっていません。