祖父の七回忌
御神本家の実家は和風建築の平屋建てで、超がつくほどの豪邸まではいかないがそれなりの大きさがある。美香、沙羅の姉妹が帰宅したとき、父親は庭いじりをしていた。
「お父さま、ただいま帰りました」
「おお、無事帰ってきたか。二人とも、制服姿が一段とさまになってきたな」
「ありがとうございます」
星花女子の制服を着ているのは、明日の祖父の七回忌で着用するためである。
「長旅で疲れただろう。良い和菓子が手に入ったんだ。まずおじいさまに挨拶をしてから、甘いもので疲れを取りなさい」
電車と徒歩で計一時間すこししかかからないのに長旅は大げさだろうという気がするが、好意には甘えることにした。
「だけどこの後お見合いの話をされるのかと思うとウンザリするわ」
「そうですよね。しかも今は恋人がいる身なのに」
沙羅は義姉が玲奈とつきあっていると本気で信じている。だから彼女の言葉に少し胸がちくっとした。
「実はおつきあいしている人がいるのです、と言えたらどんなに楽かしら」
「まあ、今回もうまくかわしていくしかないですね」
美香と沙羅はまず仏間に入り、仏壇に手を合わせて亡き祖父に一年の報告を行った。それが済んで居間でこたつの世話になり体を温めていると、父親が高級和菓子を持ち出してきた。それだけでなく、自分の手で茶を淹れてくれた。
S県は茶で有名だが、その中でも最高級品とされる茶葉を使っているために風味はそんじょそこらの市販品と一線を画している。適うのは沙羅が淹れてくれるハーブティーぐらいなものであろう。
和菓子と茶を頂きながら父親に学校生活についてあれこれ聞かれたものの、お見合いの話がいつ来るかと身構えていたがなかなか言い出してこなかった。今まで帰省する折はいつもすぐさま「お前にふさわしい良い男性が見つかったぞ」と切り出してきたものであったが。
「さてと。庭いじりの続きをしてくるから、ゆっくりくつろいでくれ」
父親の口からははとうとうお見合いの話は出てこなかった。
「おかしいわね……」
「きっとお母さまを交えて話をするつもりなんですよ」
ライターを職業としている母親は教育関係の記事や本を書いている。この時期は受験が間近なために各地の学校や予備校に取材に行っていることが多いのだが、美香たちが帰宅してから一時間も経たないうちに、母親も帰ってきた。
「お帰りなさいませ、お母さま」
「あらまあ、先に帰ってきていたのね。少し見ない間に美香はより可憐に、沙羅はよりたくましくなったわねえ」
ありがとうございます、と異口同音にお礼を述べた。しばらくして父親がまた戻ってきて久々の家族団らんとなったが、それでもお見合いの話は一切なく、代わりに明日の七回忌のことが話題の中心となった。夕食が終わり、風呂が終わり、そして両親が就寝したことで、ついに一日目は何もなく終わったのである。
「ようやく諦めてくれたんでしょうか」
「まだ一日目よ。わからないわ」
美香と沙羅は和室に敷かれた布団の上で、小声で話し合っていた。
「明日は七回忌とはいえ、親戚以外にもおじいさまのお世話になった方が来られるのよ。そのツテで誰か紹介してくるに違いないわ」
「さすがにそれは不謹慎というか、なんというか」
「ま、仮に明日も何も無ければこれ以降何も無いのだろうけど」
「そうですね。とりあえず寝ますか。明日の朝は早いですからね」
「そうするわ」
美香はスイッチ紐を引いて照明を消した。それでも話はこれで終わりではない。
「沙羅、今のうちに言っておくわ」
「何です?」
「誕生日おめでとう」
明日は沙羅の誕生日でもある。
「ありがとうございます」
「また日を改めてお祝いするわ」
「楽しみにしてますよ」
沙羅は目を閉じた。美香も後を追うようにして眠りに入った。
(そう言えば玲奈さん、今日が帰省日だったわね)
玲奈とは微妙な空気のままでお別れてしまったが、メッセージはちゃんと送ってきてくれていた。ひとまず安心といったところである。
*
美香、沙羅の祖父の七回忌は菩提寺で盛大に執り行われた。美香は法要が始まる前、家族とともに参列者相手に挨拶を交わしていったが、親戚以外の人物には深く注意を払った。
彼らは主に祖父の教え子たちだが、いずれも高い社会的地位を築いている人ばかりである。職業は代議士、医師、弁護士、会社の社長、学者その他諸々と幅広く、御神本学園がいかに多種多様な人材を輩出してきたのか、その成果発表会のような様相を呈していた。
それでも出会う人はみんな中高年で、父親もことさら娘を全面に押し出すようなことをしていない。今の所、形式的な挨拶の域を出ていなかった。
ところが見た目二十代前半の参列者が現れたので、美香は警戒心を最大に働かせた。
「お久しぶりです」
「おお、君も来てくれたのか。七回忌なのに遠い所からありがとう。いや、見た目全く変わってないな」
「先生もお変わりないようで何よりです」
短いやり取りの間に、父親が呼び寄せたのではないことかわかって胸をなでおろした。相手も美香と形式的な挨拶だけをして、それで終わりとなった。
「さっきの子を覚えているか?」
「ええ。おじいさまのお葬式で生徒代表として弔辞を読んでくださった方ですわね」
「そうだ。今はシリコンバレーのゴーグル社で働いていて、若くして重要なポストにいると聞いている。現在の所、彼の世代の中で一番の出世頭だな」
スペックだけ見れば美香の婿候補として父親に選ばれてもおかしくないのだが、彼レベルでも候補に選ばれていないとなると、これは本当にお見合いの話は無いのではないかと思いだした。神妙な面持ちをして、心の中では喜色満面になっていった。
法要はつつがなく執り行われ、その後近くの懐石料理店で親戚のみが集まっての会食となった。美香は沙羅と隣同士になって末席に着座したが、もう片隣には小学生低学年ぐらいの男の子がきちんとした姿勢で座っていた。出席した親戚の中で唯一、美香より年下のこの子の名前は国分勇吾といい、祖父の妹の孫、つまりはとこに当たる。親戚一同が集まる折は沙羅と一緒に遊び相手になってあげているが、男性が苦手でもまだ小さい子どもだからか、彼には苦手意識を持っていなかった。
出された料理は会席膳で、それなりの値段を費やしているために盛り付けは華やかである。だが一つ問題点があった。野菜になぜか美香の嫌いなピーマンの炒めものが入っているのである。
「沙羅~……」
美香は小声で沙羅を呼んだ。
「だめですよ。みんなが見ている手前、きちんと食べて下さい」
「う、まだ何も言ってないのに……」
さすがは妹、といったところである。
父親の挨拶と献杯の音頭が済むと、一同は箸を付けだした。
「嫌いなものから食べた方が後で楽になりますよ」
沙羅はそっと耳打ちしてきた。そんなことは理屈でわかっているのだが、箸はどうしてもピーマンを避けて別のものを取ってきてしまう。さてどうしたものかと悩ませていたら、勇吾が唸りだした。
「ママ~、ピーマン要らないよ~」
「だめよ。好き嫌いはいけません。好き嫌いしたら美香お姉ちゃんと沙羅お姉ちゃんに嫌われるわよ」
「う~、それもやだ……」
うつむく勇吾。彼もピーマン嫌いだったのを知って大いに同情したが、それでお互いの事態が良くなるわけがない。
ここは年長者として、名だたる教育家の娘として何とかしなければいけないのではないか。使命感に突き動かされた美香は、つい口走った。
「勇吾ちゃん、実はわたくしもピーマンは嫌いでしてよ。だから一緒に頑張って食べちゃいましょう」
それを聞いた沙羅がすかさず褒める。退路を断つかのように。
「さすがはお姉さまです」
自分の言い出したことに急に後悔しはじめたが時既に遅し。勇吾は「僕頑張ってみる!」と意気込んでピーマンをつまむ。もうこうなっては取り消すことはできない。美香も腹を据えて、ピーマンをつまんだ。
「いきますわよ……せーのっ!」
掛け声に合わせて同時に口に放り込む。
「んぐっ!?」
たちまち苦味が走ってえづきかけたが堪えて、数回の咀嚼を経て飲み込んだ。勇吾もしかめっ面になっていたが、ゴクッ、と喉が動くのが見えた。
「美香お姉ちゃん、僕食べたよ!」
「えっ、偉いわねえ……わたくしも勇吾ちゃんのおかげで食べられましたわ……」
美香は顔で笑いながら、心の中ではボロボロ涙を流していた。
*
七回忌の翌朝、美香は実に気分良く起床することができた。今の所お見合いのおの字も聞かされることなく、ゆっくりと休息できている。母親は仕事に出かけていったが、父親は相変わらず庭いじりに精を出していた。今日の予定は冬休みの宿題を片付けられるところまで片付けてしまうことである。
「んー、実に清々しいわ」
気分良く問題集を解いていく美香に、沙羅が声をかける。
「そろそろ休憩しませんか?」
「そうね。じゃあ、ハーブティーを頂こうかしら」
「承知しました」
沙羅がキッチンに行こうとしたら、外から車のエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。続いて父親の「おお!」という声がする。さらに、
「おはよーございます!」
その元気な声は勇吾のものであった。
「あれ、また国分さんが来たみたいですね」
「何かしら? とにかくお出迎えするわよ」
勇吾とその両親が、美香の父親に引き連れられて家に上がってきた。美香たちは丁寧に頭を下げて出迎え、客間に通した。沙羅は改めてハーブティーを人数分淹れてお茶請けを添えて出したが、父親は、
「沙羅、ちょっと大事な話をするから勇吾くんと遊んであげてくれないか」
と言って二人を居間から出した。美香も一緒に行こうとしたが「お前はここに残りなさい」と言われた。その理由を聞こうともしなかったのは、すっかり警戒心が無くなっていたからに他ならない。
沙羅と勇吾がいなくなった客間で、勇吾の父親が切り出した。
「実は美香ちゃんに話があってね」
「何でしょうか?」
「うちの勇吾を婿として迎えて欲しいんだが、どうだろうか」
「あら、勇吾ちゃんをですか」
しばらく沈黙が続いた後、美香はとてつもなく大きな驚きの声を出したのであった




