城崎にて その5 カニとホラーと夢と
温泉に入ってさっぱりして宿に戻ると、すぐ夕食の時間となった。玲奈が予約したのは一番高い「カニづくし会席部屋食プラン」で、名前の通り日本海で取れたカニをふんだんに使った贅沢なメニューが部屋食で振る舞われる贅沢なプランだ。
「それではみなさま、これまでの学業生活を無事に終えられたことへの感謝と、これからの学業生活の無事を祈念して、乾杯!」
美香の音頭で、オレンジジュースが入った四つのコップが合わさって心地よい音を奏でた。後はとにかくカニづくしである。前菜としてカニサラダ、次にカニ味噌豆腐、カニ刺しと次々とカニ料理が出される。特にカニ刺しはいろんな魚貝類の刺し身とともに舟盛りとなって出てきた。当然、量だけでなく質も上等なものだ。
「あああ、どれもこれも美味なものばかりですわ……大人だったらお酒が進むのでしょうけど」
「うふふ、じゃあお酒頼んじゃう?」
「ななな、馬鹿なことをおっしゃい! 停学になりたくないわ!」
美香と玲奈の漫才を微笑ましく見ながら、沙羅と里美は黙々と刺し身に手をつける。
その後カニステーキ、カニしゃぶ、カニ天ぷら、カニ寿司が出てきて、最後はデザートとしてロールケーキ。デザート以外はまさにカニづくしだったが、食べ盛りのお嬢様たちはいずれも完食した。
「はあ~、天国のようなひとときでしたわ」
美香は敷かれた布団の上でくつろぐ。できればもう一泊したい気持ちになっていた。
「うふふふ」
重みと温かみを同時に感じた。玲奈が後ろから抱きついてきたのだ。
「ミカミカったら抱き心地が最高ね。このまま襲っちゃいたいぐらい」
「お、おほほほ」
美香は顔を引きつらせた。恋人どうしを装う演技のはずなのに言葉は冗談っぽく聞こえず、背筋に何か這うような感触がした。
「玲奈、ちょっとテンションおかしくなってない?」
里美はあからさまに呆れた態度を見せている。
「旅の恥はかき捨てって言うでしょ」
どこか噛み合わない返答に、里美は首をかしげた。もういいとばかりにテレビのリモコンを操作したが、適当に合わせたチャンネルで心霊番組をやっていた。たいていこの手の番組は夏に流れるのに、冬に流れるのは珍しいことだ。
「あ! これ空の宮市じゃん!」
「「「え?」」」」
美香玲奈里美が一斉にテレビの前にかじりつく。画面に映っていたの空の宮中央駅、まつしく空の宮市であった。画面右上には『首を求めてさまよう落ち武者の霊!!』とテロップが出ている。それを見た美香はとある場所を思い浮かべた。
「雪川城址公園……」
果たして、取り上げられたのはやはり雪川城址公園である。おどろおどろしいBGMを背景に重低音ボイスのナレーターがこの心霊スポットについて説明する。今はハイキングコースとして整備されている公園だが、名前の通り戦国時代には雪川城という山城があった。同時に戦場でもあったらしく、近代に入って公園を作る際に多数の頭部のない人骨が発見された。それからというもの、夜の公園には自分の首を求めてさまよう落ち武者の目撃談が絶えないらしい。
ちなみに芸能人の反応を見せるワイプ画面には下村義紀が映っている。どんな番組にでも顔を出すようだ。
番組スタッフが夜の公園を歩くが、ハイキングコースは通常夜間は閉鎖されており、照明も無いからヘッドライトで道を照らさないと視界を確保できない。
「夜中の公園ってこんなに暗いものなのね……」
美香はまたもや何か背中に何か這うような感触がしたものの、先程のものとはどこかが違う気がした。
スタッフたちはあちこちで写真を撮りつつずんずんと進んでいったが、その中の一人が「何か聞こえませんか!?」と言ったところから空気が一変する。
――キュイキュイキュイキュイ
「ひぃっ、何ですのこの音!?」
虫や鳥の鳴き声ではないどこか機械的な音だが、その正体はわからない。
「怖い?」
玲奈が顔を寄せてきた。
「こ、怖くないと言えばウソになるわ……だけどこのぐらい耐えられないようじゃ御神本の名折れですわ」
「お姉さま、声が思いっきり震えていますけど」
「お、おだまり! 沙羅こそ眠れなくなっても知らないわよ!」
結局、スタッフは何事もなくハイキングコースを歩き終えた。ところが本当の恐怖はこの先にあった。ロケバスの中で、撮影した写真を確認していたスタッフが叫ぶ。「一体何が映っていたのか!?」という迫真のナレーションを経て、場面はスタジオに移っていった。
「それでは、こちらが問題の写真です!」
司会が写真を拡大したパネルを見せると、
「ぎゃああああ!!」
美香とスタジオの悲鳴が重なった。
スタッフの一人の首から上が全く写っておらず、血糊のような赤い色が服についていた。現役時代は豪傑で鳴らしていた下村義紀も顔面真っ青になってうわー、うわー、うわーとしか叫ぶことしかできなくなっている。
「沙羅ああああ!!」
美香は義妹に飛びついた。涙までもがボロボロと溢れ出てきた。恐怖心の前には恥も何も関係なかった。
「お姉さま、よく見てください。作り物丸出しの映像ですよ。単に大げさに演出しているだけです」
「それでも怖いの! ひぃぃぃん!」
「はあ……しょうがないですね」
沙羅は背中を撫でた。もはやどっちが姉でどっちが妹なのかわからなかった。
「ほら、沙羅さんが困ってるじゃない」
今度は玲奈が抱きしめてくる。とにかく恐怖から逃れたい一心で、美香はぎゅっと彼女の体を抱きしめ返した。
「ふぇぇぇ、しばらくこうさせて……」
「そうそう、私にもっと甘えていいのよ」
その言葉は果たして演技なのか本心なのかはわからない。美香の方は安心のために、誰でも良いから人の温もりを欲していたのは確かであったが。
「別のチャンネルに変えるね……」
里美はすっかり白けていた。
適当な時間で就寝となったが、美香は泣き疲れたためか恐怖のあまり眠れなくなるということはなく、もともと寝入りが良いこともあってすーっと夢の中に入ることができたのであった。
*
一年二組の教室。
「ねえ美香さん、相撲しない?」
隣の席の玲奈が唐突に変なことを言う。しかし夢の世界とは不思議かつ理不尽なもので、美香の思考回路は相撲の申し出を当然のこととして受け取った。
「やりましょう!」
するとさっきまで並べられていた机と椅子が一瞬でどこかに消え去って、教室は即席の土俵と化した。クラスメートたちが二人の周りを取り囲んで声援を送っている。
「かたや、北条、北条~! こなた、御神本、御神本~!」
行司として軍配をかざしているのは泉見司。これもまた当然と受け止めている。美香と玲奈は四股を踏んでにらみ合い、塩をばら撒く。塩の入った箱を持っているのは塩瀬晶となぜか一組にいるはずの彼女のいとこ、塩瀬日色の二人。
「美香さん頑張って!」
「わははは! 玲奈さん怪我に気をつけてね!」
司だから行司、塩瀬だから塩という安直な字の連想が奇妙な世界観を作り出した一つの要因だが、それを奇妙とも思わないのが夢というものである。
「はい見合って!」
腰を落として仕切り線に両の握りこぶしをついてにらみ合う。玲奈は何を考えているのか読み取れない笑みを見せていた。
「はっけよい!」
少女と少女の体がぶつかり合う。
「うふふふふ」
玲奈はニコニコと笑いながら、物凄い力であっという間に美香を押し倒してしまった。
本当の相撲ならここで勝ち名乗りを上げるのだが、司も二人の塩瀬も、ギャラリーもいつの間にかいなくなっている。玲奈は美香の上から動こうとせず、馬乗りになって美香を見下ろしていた。
「じゃあ、遠慮なく頂くわね」
玲奈は懸賞金を受け取るときの手刀の作法をすると、美香に口づけをして、その中を貪りだした。
美香は一切抵抗しない。それどころか腕と足を絡めて積極的に受け止めた。何も疑問に思うこともなく。
*
「!?」
淡いオレンジ色の光を放つ、天井の照明の常夜灯が目に映っていた。今までが夢だったことを確信して安心したが、その一方で夢の中で繰り広げられた淫らな光景を思い出してしまい血の気が引いた。
口周りは唾液でベトベトしている。夢と現実がある程度リンクしていたようである。とにかく口を洗って水分を取ろうと、身を起こしたときであった。
「美香さん」
「ひい!?」
隣の布団で寝ていたはずの玲奈が起きて座っていた。その姿はオレンジ色に染まっている。
「うふふ、どうしたのそんなに驚いて」
「い、いえまさか起きているとは思わなかったから……」
あなたとエッチなことをする夢を見た、なんて言えるはずがない。
玲奈がにじり寄ってきた。夢のせいでどこか艶かしく見えた。
「な、何?」
「ちょっとトイレまでついてきて欲しいの」
雪川城址公園のネタは百合宮伯爵先生より拝借しました。