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城崎にて その3 美香の吐露

 ある日、父親に連れられて学園の視察に行ったときのことである。学園百四十余年の歴史を肌で感じつつ、自分が理事長の椅子に座った後は歴史をさらにどう積み重ねていくか、学園を見回しながら頭の中で描いていた。


 途中、父親が校長に話があるというので校長室の方に向かい、美香が一人になる時間帯が生じた。父親からは理事長室から出ないようにと言われていたが、もっと自分の目で学園を確かめたくなり、じっとしていられず出て行ってしまった。向かった先は視察途中で見かけた生徒会室である。


「フフン、この御神本美香自ら将来の夫の仕事を視察して差し上げますわよ」


 ほんのいたずら心であった。生徒会室の扉は重厚な木製の両開きで、学園の生徒でも近寄りがたい場所である。事実、父親からは生徒会室は聖域である、と教えられていた。それでも美香はお構いなしに突撃しようとした。


 そのとき、扉の向こうでクスクスと笑う声を二つ聞いた。一つは許婚の声だが、もう一つの声は男子か女子か判別できなかった。女子生徒がいるはずがないので女性教師か、もしくは声変わりしていない生徒といったところだが、それが何やらただならぬ事態を引き起こしていた。


 切なそうに会長ぉ、会長ぉと呼びながら、甘ったるい嬌声を漏らしている。それに対して許婚がねっとりとした口調で囁いている。


「ああ、本当に可愛いなあこいつは……」


 激しく嫌な予感がした美香は、ノックもせず扉を勢いよく押し開けた。


 視界に飛び込んできた光景に絶句した。会長のデスク、椅子に座っている人物に自分と同い年ぐらいの少年が恍惚の表情を浮かべてまたがっている。そして彼に頬ずりしていたのは、紛れもなく生徒会長たる許婚であった。二人睦み合いは、仲の良い友達どうしがふざけあっている範疇を明らかに超えていた。


「みっ、美香さん!?」


 許婚が美香に気づくと、少年は悲鳴を上げて飛び退いた。


 聖域を汚す乱行を目の当たりにした美香の怒りは、あっという間に頂点に達した。


「こんのっ、恥知らず!!」

「ぶぐぁ!!」


 握り拳で許婚を殴ると、椅子ごと転倒した。美香はそのままマウントポジションを取って右、左と拳を顔面に叩きつける。少年ははだけたシャツを直して学ランを羽織って一目散に逃げ出したが、その場面を通りががった父親が見ていなければ、美香は延々と許婚を殴り続けていたかもしれない。


 いったん落ち着いたところで話し合いの場がもたれたが、許婚は謝罪するどころか美香を非難しはじめた。


「一言も連絡なしに来るなんて失礼じゃないか」


 許婚は鼻血が出る程殴られたために鼻にティッシュを詰め込んでおり、そのせいで声が若干こもっていた。もちろん良い顔も台無しになっていた。


「あなたこそわたくしと婚約しておきながら浮気を、それもよりによって男相手に聖域たる生徒会室で不適切な行為をするなんて破廉恥にも程がありますわ!!」

「結婚と恋愛は別だ。恋愛だって男を相手にして何が悪い。この学校じゃ普通だ」

「なっ!?」


 ひどい開き直り様に美香は目を剥いた。


「君のいる星花女子学園だって女の子どうしの恋愛が盛んだろう。それと同じことじゃないか」

「こっ、このっ……!」


 美香は同性どうしの恋愛に偏見は持っていない。性別の壁という考えは馬鹿らしいとさえ思っている。問題なのは、許婚が浮気をしていたという点に尽きた。例え相手が男性だろうと女性だろうと許されることではなかった。


 美香の母校を引き合いに出してまで自分の行いを正当化しようとする悪辣さ。徹底的に反論したいが、頭に血が上って言葉が組み立てられない。美香は助け舟を求めた。


「お父様! お父様からもこの破廉恥男にガツーンと一発お見舞いしてくださいまし!」

「……」

「お父様?」

「美香、すまないが私は彼を責めることができない。私にも覚えがあることだからな……」

「お父様!?」


 美香の顔から血の気が失せた。父親は御神本学園の生徒だった頃の想い出話を語りだした。父親も許婚がいたが、今回のパターンと逆に彼女に浮気をされて婚約が破談になり、心の傷を負った折に同級生に慰められ、そこから深い仲になっていったことを。


 許婚は涙ながらに頷きながら聞いていたが、美香は別の意味で泣きそうになっていた。グラグラと全身の血液が煮えたぎり、怒りの蒸気を吐き出した。


「お父様! わたくしは裏切られた側なのですよ! 許すことなんて到底できませんわ!」

「美香、何も無条件で許せとは言っとらん。ただ……」

「婚約の話は無かったことにします!」

「美香!」


 美香は立ち上がって生徒会室から出ていこうとした。このとき、一応は婚約破棄を口にはしたものの、その実本気でそうしようとは考えていなかった。お互いに少し頭を冷やして、その上で相手が誠意を見せてくれれば本当に許すつもりでいた。「過ちには懲罰でなく教育を施せ」という父親の教育思想に忠実に従ってのことであった。


「美香さん!」


 許婚が後を追ってきて、部屋から出る前に手を掴んで引き止めた。ここで一言詫びれば美香の態度は軟化していただろうが、破局への決定的な一言を意図せずに放ってしまった。


「ちゃんと子どもは作ってあげるから。僕は女の子も相手したことがあるんだ」

「…………あなた今、何とおっしゃいました?」

「あっ!」


 失言に気づいた生徒会長が口を抑える。父親もさすがにこれには聞き捨てならなかった。


「君、女も作っていたのか……? それだと話は変わるぞ……」

「う、あ、その……」


 優等生とは思えないうろたえぶり。鼻に詰めていたティッシュが落ちて、鼻血が垂れてくる。過去を赤裸々に話した父親の顔に失望の色が浮かぶ。美香はこのとき恐らく、夜叉のような顔つきになっていたかもしれない。自分を子どもを作る相手としか見てないような言い草をされたら、誰だってそうなるであろう。


 美香の視界に有田焼の皿が飛び込む。考えるよりも先に手が動き、皿を掴んでわけのわからない言葉を叫び、力の限り投げつけた。


「ひいいい!!」


 しかし怒りが過ぎたのか、皿は彼の遥か上を飛んでいき、壁に当たって砕け散った。


 無神経で馬鹿正直以外完璧だった生徒会長は当然ながら美香の父親の怒りも買って、婚約は直ちに破棄された。理事長の娘との破談はたちまち学園に知られ、その経緯も生徒たちの知るところとなってしまった。彼の評価は地の底まで落ち、後に開かれた生徒総会では不信任案を出されて可決成立、リコールされるという前代未聞の事件となった。


 その後彼がどうなったかは知らない。だが彼が最後に投げつけた一言がトラウマになってしまい、美香は男性との関わりを避けるようになったのである。


 * * *


「美香さんにそんなハードな過去があったなんてねえ」

「なーんにも面白く無い話でしたわね。ごめんあそばせ」


 美香と玲奈は湯から上がり、体を拭いてさっと浴衣に着替え直し外に出て、次の外湯に向かって歩き出した。湯で体が暖まったおかげで、冬の風が心地よいものになっている。


 湯で心も程よく緩んだようで、美香は溜まっていたものを吐き出し続けた。それを玲奈は嫌な顔ひとつせず傾聴する。


「……それでもお父様は懲りずに、わたくしを早く結婚させて、跡継ぎを産ませようと必死なの。家に帰ったらいつもお見合いの話ばっかりでうんざりよ」

「美香さんの気持ちも考えずに、酷なことをするわよね」

「まったく。あの事件の後も良くテレビで見かける弁護士の息子とか、脳外科の権威と言われる医者の息子とか、いろんな男と引き合わせようとしてきて。今年のお盆に帰ったときなんかどういうツテなのか、総理大臣の弟の孫を持ちだしてきたのよ。ぜーんぶお断りさせて頂きましたけど!」

「じゃあ、次はアラブの石油王でも持ち出してくるかもしれないわね」


 玲奈はあまり笑えないジョークを飛ばしてきたが、それでも美香はクスッと笑えた。心もすっかり軽くなった。積もりに積もった垢が落ちたかのようである。


「玲奈さんも結婚しろ、とか親にうるさく言われていなくて?」

「全然。私には弟がいるし、弟は会社を継ぐ気満々だから。私はどうぞご自由に生きてくださいって感じよ」

「羨ましい限りですわ」


 はぁ、と白いため息が吐き出される。


「それにしても美香さんったら、男性が苦手なのに男子校の次期経営者ってのも辛い立場よね。そっちの方は嫌にならないの?」

「それは大丈夫ですわ。あの恥知らずな男と御神本学園は別物として割り切っているし、生徒もあんなのばかりではないとわかってはいるから」


 父親も人間性に疑問を抱いてはいるが、教育者、経営者の面については認めている。そうでなければ父親に星花女子学園の経営について事細かに報告したりしない。


「では、美香さんが理事長になったら御神本学園をどうしたいか。次の湯ではそのことを話しましょうか」


 友人は笑みを向けた。かつての許婚が見せたものより、信用がおけるものであった。

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