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城崎にて その2 温泉回です

 城崎温泉の外湯は七つあるが、美香と玲奈はまず「柳湯」に向かった。ここは「子授けの湯」と呼ばれており、浸かれば子宝に恵まれるというが未婚の女子高生の身である二人にとっては縁の無いご利益だ。


 むしろ、美香は不快感を覚えていた。温泉に罪があるわけではないが、実家に帰るごとに「孫の顔を見たい」と言う両親の姿を思い浮かべてしまったからである。この旅行が終わるとすぐ年の瀬で、帰省しなければいけないという現実を突きつけられて思わず大きなため息が出た。


「どうしたの()()()()? 慣れない下駄で足を痛めたの?」

「いいえ。ほんの少し旅の疲れが出ただけですわ」

「じゃ、温泉で流してしまいましょう」


 端末のバーコード読み取り口に外湯券をかざすと、画面に『大谿荘』の名前が表示された。どの旅館の宿泊者が来たのか記録されるようだ。


「おお、なかなかハイテクですわね」


 古い建物と先進的な入場システムのギャップに、美香は面白いと感じた。更衣室から先は歴史の重みを感じさせる空間となっていて、その雰囲気を味わいつつ、浴衣を脱いだ。


「美香さんったら、いい体してるのね」

「あら、わたくしの裸を見るのは初めてではないでしょうに」


 桜花寮の浴場で一緒になることは今までも何度もあった。だが玲奈はまるで芸術品を鑑賞するかのようにまじまじと美香の体を見つめてくる。


「豊かな胸にくびれた腰、触ったら柔らかそうなお尻……」

「言葉に出さないでくださる? はっきり言ってキモいですわ」

「うふふ」


 何がうふふよ、と問い詰めたくなった。玲奈こそ旅の疲れでテンションが少しおかしくなっているのではないか。


「さあ、わたくしばっか見てないで入りますわよ」


 引き戸を開けて浴場に入る。浴槽はそれほど広くないものの、先客の数は少なくゆっくりできそうである。はやる気持ちを抑えてまずは体を入念に洗ってから、浴槽に向かった。


「ここのお湯は熱いから気をつけてね」


 先に入ろうとした美香に玲奈が注意を促すが、すでに浴槽の中に片足を入れていた。


「わたくしは熱いのが好きなの。うん、いい湯加減ですわああああっ!?」


 ドボーン、と音を立てて美香の体は頭まで湯の中に沈んでしまった。すぐさま急浮上する潜水艦のようにしぶきを上げて顔を出したが、足を地につけることができずもがいた。


「さっ、沙羅ぁ!」

「うふふふ、落ち着いて。足を伸ばしたら大丈夫だから」

「あ、ついた……」


 浴槽はかなり深いが、立つことはできる。身の安全を確保した途端、無意識的にこの場にいない妹に助けを求めてしまったことを自覚してしまった。


「ああああっ!! わっ、わたくしとしたことがっ……!!」


 と叫んで、今度は自ら湯に顔を沈めた。美香らしからぬ、マナーのよろしくない振る舞いに辟易した先客が次々と湯から上がっていく。


「うふふふふふ」


 再び頭だけちょこんと出した美香は、まともに玲奈の顔を見られなかった。玲奈がゆっくりと湯の中に入っていく。


「柳湯は浴槽がとっても深いの。言い忘れてたわ」


 事実、美香は立っているにも関わらず湯は胸のあたりまで浸かっている。玲奈が隣に来た。

 

「二人だけでお風呂って、実はこれが初めてじゃないかしら」

「そうね」


 美香は視線を合わそうとせず、素っ気なく返した。確かに桜花寮の大浴場に入るときは常に大勢の寮生と一緒で、一人二人の少人数で入ることはまずなかった。


「こういうときだから、お互い話しにくいことを話しちゃいましょうか」

「話しにくいこと?」

「そう。愚痴だったり不安だったり。疲れと一緒に吐き出してスッキリしちゃいましょ?」


 真っ先に実家のことが頭に浮かんできた。旅が終わったら帰らなければならない場所。星花女子学園に入学して親と離れたときは寂しかったのに、今は憂鬱の種にしかならない。


 だが、恋人を演じている友人は心の重荷を少しでも背負ってくれるかもしれない。言葉に甘えてみることにした。


「じゃあ、わたくしの家のことでも話すわ」

「どうぞ」


 美香は口を開いた。


 * * *


 S県中部、県庁所在地。かつて神君と謳われた天下人が居住していた城の東に御神本学園はある。その歴史は古く、江戸時代末期に開校された蘭学塾「城東塾」を起源としている。維新後に一時衰退したものの、かつての塾生たちが集まって財を投じて、学制施行後に改めて開学となった。その運動の中心人物こそが御神本美香の先祖であり、美香は彼から数えて五代後の子孫にあたる。戦後の学制改革で御神本学園に名を改めてからは中高一貫校として再出発し今に至り、東海地方随一の進学校としてその名を津々浦々に轟かせている。


 美香の父親は現理事長で、かつては教師として教鞭を振るっていたこともある。それから高等部教頭、学園長を経て先代の逝去に伴い今の地位に着いた。母親は民間企業に勤めていたが、現在はライターとして日本の教育に関する本を執筆している。親類もほとんどが教育関係の仕事に就いている。このように御神本家は教育者の家系として県内に知られる存在であった。


 ただ、御神本家には懸念事項が一つあった。美香の上には兄が一人いて本来であれば彼が跡継ぎとなる予定であったが、教育や学校経営よりも動物学に興味を惹かれて、研究者になりたいと言い出して家出同然で海外に飛び出してしまったのだ。


 そういう事情があって長男が翻意しない限り、美香が学園を継ぐことになっている。星花女子学園に進学したのは、父親から天寿による学園改革の様子を実際に目で見てくるようにと命じられたからである。没落していた星花女子学園が理事長たる天寿社長の手腕でみるみる甦っていく様子は大いに参考になり、実際に改革の一部を御神本学園に持ち帰って成功させている。すでに学校運営に関わっていると言っても良かった。


 しかし、美香には将来の経営者以外の役割も求められていた。母親となって世継ぎを産んでもらうことである。父親は気が早く、まだ娘が年齢的に民法上結婚不可能であるにも関わらず将来の夫を探していた。


 当初、美香も父親の考えには納得しており、実際に許婚として選ばれた男性とお見合いをしたことがある。二年前、つまり美香がまだ中等部二年生だった頃。父親に紹介されたのは当時御神本学園高等部二年の生徒で、生徒会長を勤めている人物であった。


 天は二物を与えず、ということわざは彼には関係なかった。剣道部のエースとしてインターハイ出場経験を持ち、学業面ではテストで常に5位以内をキープ。人柄は温厚篤実でみんなから慕われていて、家柄も県知事の次男坊と申し分なし。御神本家の婿養子として迎え入れるのにこれ程相応しい人間はいなかった。


 初めてお互いに顔を合わせたときは恋愛感情はわかなかったものの、相手の話術は巧みで教養も豊富であり、何より屈託のない笑顔は人を信用させるものがあった。この人が伴侶なら上手くやっていけるかもしれない、と美香は考えた。


 そういうわけで話はあれよあれよと言う間に進んでいき、美香が高等部を卒業したら結婚することに決まった。


 ところがその直後、美香の男性観を変えてしまう事件が起きてしまうのである。原因を作ったのは許婚であった。

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